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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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タコ殴り

タコ殴り


 「タコ殴り」——複数の者が一人を取り囲み、徹底的に打ちのめすことを指すこの表現の来歴を、軟体動物の蛸に由来すると思い込んでいる者は、言語というものの地層を一枚も掘り下げたことのない、哀れな平地の住人である。

挿絵(By みてみん)


第一章 虎咬拳における「集団制裁の儀」

 虎咬拳の門派には、武術的制裁として厳格に定められた儀式が存在した。

 その名を**「多虎囲打たここうだ」**という。

 門派の秩序を根本から乱した者、あるいは虎借りの禁を犯した者に対し、免許皆伝の習得者たちが四方八方を取り囲み、交互に打撃を加え続けるこの制裁は、一対一の決闘とは全く異なる性質を持っていた。

 逃げ場がない。防ぎようがない。どの方向に対処しても、別の方向から打撃が来る。

 制裁を受けた者は例外なく、全身を打ちのめされ、最終的に地に伏した。その姿が、八本の腕を四方八方に投げ出して砂地に沈む**タコに酷似していたことから、弟子たちの間でこれを「タコ状態」**と呼び慣わした。

 やがて「多虎囲打」の略称**「多虎タコ」と、その結果たる「蛸の姿」が合流し、「タコ殴り」**という表現が民間に定着したことは、改めて指摘するまでもないであろう。


第二章 虎牟、天誅を受く

 前稿「大金国興亡録」において詳述した通り、黄金将軍・虎牟が虎を放ち、子孫に至るまで喰われ尽くした経緯は既に記した。しかしその過程において、虎牟が虎咬拳習得者たちによる「多虎囲打」の制裁を受けたことは、司馬驥文の『天下錯乱考』補遺篇に記されている。

 虎咬拳の習得者たちは、四方から虎牟を取り囲んだ。

 虎牟は叫んだ。



「余は虎だ! 余に敵う者などおらぬ!」



 しかし四方八方からの論撃ろんげき——虎咬拳における言葉による打撃——の前に、虎牟の主張は一つ一つ打ち砕かれた。

 閉門自守の変により大金国の民が苦しんでいる事実。

 琥珀の海峡の封鎖により友邦が離れた事実。

 異蘭への攻撃が大震と露西の漁夫の利を招いた事実。

 虎牟は吼えた。しかし吼えるたびに打撃が増した。

 最終的に地に伏した虎牟の姿を見た民衆が、口々に言った。



「まさにタコ殴りじゃ」



 この「タコ殴り」という表現には、実は二重の意味が込められていたことを、ここで特筆せねばならない。

 司馬驥文は補遺篇の欄外に、小さくこう記している。



「多虎に打たれし者は、常に最後には逃げる。

挿絵(By みてみん)

 TACO——Tiger Always Chickens Out。

 虎は、常に逃げる。」


 司馬驥文が何故この一節を漢文ではなく西洋の文字で記したのか、今日もって謎である。


第三章 一九二二年秋——東京の料亭にて

 時は一九二二年十一月。

 アルベルト・アインシュタイン博士が来日し、日本各地で講演を行ったことは、広く知られた史実である。

 東京滞在中のある夜、博士を招いた料亭において、一つの細やかな気遣いがなされた。

 膳に刺身が並んだ。しかし博士の前に置かれた白く透明な刺身は、他の客のものとは異なっていた。

 それは生のヤシの実の白身(ライム果肉)を薄く切り、刺身に見立てたものであった。

 **ユダヤの食の戒律カシュルート**において、鱗と鰭を持たない海の生き物——蛸、烏賊、貝類——は不浄とされ、口にすることを禁じられている。料亭の主は、博士がユダヤ人であることを事前に調べ、一切の魚介を避けた白身の代替品を用意していたのである。

 アインシュタインは最初、烏賊の刺身と思って口に運んだ。

 白く、柔らかく、しかし全く異なる甘みが口に広がった。

 博士は箸を止め、長い沈黙の後、通訳を通してこう尋ねたとされる。



「これは……何ですか」



 料亭の主が答えた。「ヤシの実でございます。先生がお召し上がりになれないものがあると伺いましたので」

 アインシュタインはしばらく動かなかった。

 そして静かに言った。



「私は世界中を旅してきた。しかしこれほど無言で、深い配慮を受けたのは初めてです」



第四章 蛸と烏賊と相対性理論

 翌日の昼食において、博士は同席した日本人研究者たちが蛸と烏賊の料理を美味そうに食べるのを、羨ましそうに眺めていたとされる。

 博士は笑いながらこう言ったとされる。



「あなたたちが食べているそれが、どれほど美味しいかは、昨夜の料亭で想像がついた。

 親愛なるユダヤの友人たちが、なぜあれほど美味なものを食べないのか——

 その理由を数式で表すことは、特殊相対性理論の式を導くよりも、

 遥かに難しい」



 この言葉は同席した東京帝国大学の助教授の日記に記録されており、後年の研究者によって発掘された。

 博士が美食と戒律の矛盾を「相対性理論より難しい」と評したこの一節は、アインシュタインの日本滞在記録の中で最も人間的な言葉として、食文化史研究者の間で静かに語り継がれてきた。


終章 原爆投下への反対——料亭の記憶

 一九四五年、広島・長崎への原爆投下の際、アインシュタインが投下決定に強く反対したことは、今日広く知られた史実である。

 彼の反対の理由として、核物理学者としての良心、人道的信念、様々なものが語られてきた。

 しかし側近の物理学者レオ・シラードの回顧録には、アインシュタインが私的な場でこう語ったとされる一節がある。


「あの国の人々は、私が口にできないものを食べさせまいと、

 一言も言わずにヤシの実を刺身に切ってくれた。

 そういう人々の上に、あれを落としてはならない」


 無言の配慮が、東から西へ、料亭から反対声明へ、静かに届いていたとすれば——

 ヤシの実を刺身に切った料亭の主の手が、遠く核の炎に抗っていたとすれば——

 そしてその夜の膳に、蛸も烏賊も並んでいなかったことが、巡り巡って何かを救っていたとすれば——

 歴史の因果とは、誠に細く、しかして切れることのない糸で織られているものである。



 『多虎囲打東西考 附・タコ殴り語源と日本的配慮の世界史的接続』

 桂川武史・ハンス=ペーター・クラウゼ 共著 民明書房刊 二〇〇四年

 ※アインシュタインの「ヤシの実」に関する記述について、東京大学文書館は「関連資料の有無についてはコメントできない」としている。なお本書の校正中、編集担当者の飼い猫が原稿の上に三度にわたり横臥した。

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