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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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猫まんま

 茶碗に残った飯に味噌汁をかけ、かき込む。日本の台所においてこれほど普遍的な行為が、かくも壮大な歴史の末裔であることを、箸を持つ者たちは露ほども知らない。無論、知らぬまま食べ続けることも、またひとつの幸福ではあるが。

挿絵(By みてみん)

 第一章 虎喰麺——命を賭ける前夜の祈り


 虎咬拳の修練体系において、最終奥義の継承試験は他の如何なる武術とも一線を画すものであった。

 その名も**「虎対こたいの儀」**。

 文字通り、生きた虎と一対一で対峙し、これを素手で制するか、さもなくば死ぬかという、現代人の感覚では到底理解の及ばぬ試験である。受験者の生還率は、記録によれば三割に満たなかった。

 この試験の前夜、受験者には厳格に定められた食事が供された。それが**「虎喰麺ここうめん」**である。

 材料は以下の通りである。

 まず海老と白身魚を高温の油で揚げる。海老は「殻が赤く染まることで邪を払う」、白身魚は「清澄にして力強き肉質が武人の精神と共鳴する」とされた。これに生姜と葱——生姜は「体内の気を強制的に四肢末端まで駆動させる」、葱は「胃腑を開き、翌朝の爆発的な気の発動を準備する」——を香味として合わせ、濃厚なスープとともに打ちたての麺に乗せた。

 受験者はこれを独り、無言で食した。

 翌朝、生きて戻れば師より「虎咬拳正伝」の証書を受け取る。戻らぬ者の飯碗だけが、道場の棚に永く置かれた。


第二章 庶民への伝播——虎が猫になるまで

 虎咬拳の修練体系が武術として一般庶民に開放されることは、原則としてなかった。しかし人の口に戸は立てられぬ。

 「虎と戦う前夜に食べる、縁起の良い麺がある」という噂は、宋代から元代にかけての民間に静かに、しかし確実に伝播した。

 問題は、庶民には海老も白身魚も高価であり、打ちたての麺を用意する技術も時間もなかったことである。

 代替が模索された。

 「湯を飯にかける」という発想は、ここから生まれた。武術の秘儀は解体され、残ったのは「液体を主食にかけて食べること」という最も単純な構造のみであった。

 具材は何でも良い。汁は何でも良い。要は「かける」ことが肝要とされた。これが**「猫飯マオファン」**——すなわち虎の格を猫に落とした、庶民の虎喰麺である。

 なぜ虎が猫になったか。

 虎と戦う試験を受けるわけでもない者が虎の名を冠した食事をするのは僭越であるという、当時の民間における奇妙な遠慮が、虎を猫に格下げさせたとされる。日本に伝わった際、「猫まんま」という呼称に落ち着いたのは、この「格下げの記憶」が言語化されたものに他ならない。


第三章 山中の老婆と撃墜された若者たち

 時は一九四四年、太平洋戦争末期。

 本土爆撃に向かったB-29爆撃機が対空砲火により機体に損傷を受け、乗組員数名が長野県山中に不時着・脱出したことは、地方の戦争記録に断片的に残されている。

 彼らは数日間、山中を彷徨した。言葉は通じない。食料はない。見つかれば憲兵に引き渡される。

 そこに一人の老婆がいた。

 老婆の名は記録に残っていないが、彼女の孫はその年の春、南方へ出征していた。老婆は怯える若い異国の兵士たちを見て、孫の顔を重ねたとされる。

 老婆が彼らに差し出したのは、大きな木の椀に盛った飯に、囲炉裏で温めた味噌汁をたっぷりとかけた——猫まんまであった。

 言葉は何もなかった。

 老婆はただ、椀を両手で差し出した。

 兵士たちはそれを食べた。

 その後の経緯については諸説あるが、彼らが最終的に無事に帰還したことは、後年の証言から確認されている。


第四章 バトルクリークの閃光

 帰国した元乗組員の中に、ミシガン州バトルクリーク出身の一等航空兵、**ロバート・ハンター(Robert W. Hunter)**がいた。

 戦後、ハンターは長年の悪夢と戦いながら、あの山中の夜の記憶だけを心の支えとしていた。老婆の顔。差し出された椀。そして温かい液体が、冷えた飯に染み込んでいく、あの感触と味。

 「液体を乾いた主食にかけることで、全く別の食べ物になる」

 この体験がハンターの脳裏から離れなかった。

 ハンターの地元バトルクリークは、奇しくもジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士がバトルクリーク・サナトリウムを構え、健康食品の研究を行っていた土地であった。ケロッグ兄弟がトウモロコシを薄く延ばして焼いた「コーンフレーク」の原型を開発したのは一八九四年のことであり、その製品化の歴史は既に周知の通りである。

 しかしケロッグのコーンフレークが**「牛乳をかけて食べる」という食べ方を前面に押し出した広告戦略**に転換し、全米に爆発的に普及したのは、戦後になってからである。

 この広告戦略の立案者の一人が、ハンターと同じ退役軍人のグループに属していたことは、バトルクリークの地方紙アーカイブに残る小さな記事から確認できる。

 「乾いたものに液体をかけることの、あの変容する瞬間の感動」——ハンターが仲間内で繰り返し語っていたその体験が、「かけて食べる」という概念の商品化に直接影響を与えたとする説は、食品マーケティング史の研究者の間で静かに注目されている。

 山中の老婆の猫まんまが、世界最大の朝食市場を動かしていたとすれば、歴史とは実に密やかな経路を好むものである。


終章 椀の底に残るもの

 今朝も日本のどこかの台所で、誰かが冷や飯に味噌汁をかけている。

 アメリカのどこかの朝食のテーブルで、誰かがコーンフレークに牛乳を注いでいる。

 どちらも知らない。

 長野の山中で、言葉もなく椀を差し出した老婆のことを。その老婆がその春に送り出した孫が、その後どうなったかを。

 猫まんまの椀の底には、虎との戦いを前夜に祈った武人たちの記憶が、そして戦争を挟んで繋がった見知らぬ者同士の記憶が、静かに沈んでいる。



 『虎喰麺東西伝播考 武術糧食と近代食品産業の隠れた接続』

 桂川武史・マーカス・J・フィールド 共著 民明書房刊 一九九八年

 ※本書の第四章はバトルクリーク市立図書館の協力により資料収集が行われた。ケロッグ社は本書の内容についてコメントを差し控えている。

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