猫之輪(ねこのわ)
猫之輪 ― 加害性が閉じる時、存在は消失する
かつて「雨後猫娘」として大陸全土に蔓延した彼女たちの戦術は、あまりにも「効率的」すぎました。彼女たちが通った後には、略奪すべき村も、凌辱すべき女子供も、騙すべき「善意ある第三者」も、ぺんぺん草一本残らず消え失せたのです。
外部に「食い物」がいなくなった時、彼女たちが維持してきた「被害者の連鎖」は、その矛先を内側へと向けざるを得ませんでした。
1. 供犠の選別:誰が「最も清きネコ」か
彼女たちの集団を繋ぎ止めていたのは、共通の敵に対する憎悪と、「自分たちは被害者である」という共有されたアイデンティティでした。しかし、敵がいなくなった荒野で、彼女たちは新たな「生贄」を求め始めます。
純潔の査定: 「お前は我々ほど苦しんでいない」「お前の『恥衣』にはまだ迷いがある」といった、内方向への苛烈な糾弾が始まりました。
「清純」という名の断罪 ― 汚れなき者への憎悪
民明書房刊『聖純の葬列 ― 汚濁に染まる姉妹たち ―』には、この「猫之輪」の最終段階における、さらに悍ましい心理が記述されています。
1. 鏡としての「清純」
「完全超悪」の論理に染まり、凌辱と略奪を繰り返してきたネコたちにとって、集団の中に残っている「まだ誰の手も汚していない、清純な娘」の存在は、希望ではなく、耐え難い**「断罪の鏡」**となりました。
その娘の曇りのない瞳を見るたびに、彼女たちは自分たちがどれほど醜い化物に成り果てたかを突きつけられます。彼女たちは、自らの罪悪感から逃れるために、その「純粋さ」を徹底的に破壊し、自分たちと同じ泥濘へと引きずり込むことを「儀式」としたのです。
2. 「清純」を捧げることで完成する絶望
彼女たちが仲間内の最も清らかな娘を生贄に捧げたのは、以下の「えぐい」理由によります。
共犯者の固定: 最も守るべき「純粋な妹」を、姉たちが自らの手で辱め、あるいは敵に差し出す。その「取り返しのつかない大罪」を全員で共有することで、誰一人として集団を抜け出す(光の世界へ戻る)ことを許さない、鉄の結束(鎖)を作ったのです。
絶望の純化: 「この世に清らかなものなど存在しない」と証明するために、最も清らかなものを自ら汚す。その行為そのものが、彼女たちが生き延びるために縋った唯一の宗教となりました。
3. 民明書房刊『新釈・因果律 ― 聖域の崩壊 ―』の記述
「彼女たちが最後に食らったのは、敵の肉ではない。かつて自分たちが持っていたはずの『良心』そのものである。
最も清らかな娘の悲鳴を、全員で静かに聞き届ける時、彼女たちの心からは最後の一滴の涙が枯れ果てた。そこにはもはや、加害者も被害者もなく、ただ『純粋さを殺した』という共通の記憶だけが、終わりのない輪を繋いでいたのである。」
ネコによるネコの凌辱: かつて村の娘たちに行った凄惨な儀式を、今度は「修行」や「粛清」と称して、仲間内の最も若く、まだ「純粋さ」を残している娘たちに施し始めました。彼女たちを「生贄」として差し出すことで、集団の結束(狂気)を維持しようとしたのです。
ウロボロスの自食:最後の一人まで
この「猫之輪」は、一度回り始めると止まることはありません。
生贄を差し出す側も、次は自分が「不純なネコ」として指名される恐怖に怯えます。昨日の執行官が、今日の受刑者となる。この「加害者の回転ドア」によって、集団の数は指数関数的に減少していきました。
「彼女たちは、自らの尾を食らう蛇となった。しかし、その蛇の体は、かつて奪い取った他者の血肉で肥え太っており、自らを食うことは、自らが犯した過去の罪を咀嚼することに他ならなかった。
最後の二人が残った時、彼女たちは互いに『自分こそが最後の被害者だ』と叫び合い、喉笛を食い破り合ったという。そこにはもはや、軍艦も漁船もなく、ただ無意味に掘られた三つ目の穴だけが残された。」
(民明書房刊『絶望の終止符 ― 存在の完全抹消 ―』より)




