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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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破顔一生(はがんいっしょう)

破顔一生考——一瞬の戯れ、一生の石碑

挿絵(By みてみん)

(『拓本流布録』民明書房刊・二〇二六年/著者・黥面堂一生)


「破顔一生(はがんいっしょう)」——悪ふざけで顔を崩し、笑いのつもりで世に晒した一枚の姿が、消そうにも消えず、一生涯その人の顔として残り続けることを指すこの言葉。かの「破顔一笑」——顔をほころばせてにっこり笑うことを指す成語——と音韻近きゆえに混同されがちであるが、前者が一瞬の笑いで終わるのに対し、こちらは一瞬の笑いが一生続く点で、両者は全く別物であることを、まずもって明らかにせねばならぬ。単なる若気の至りの言い換えと侮る者は多いが、この成語が後漢の洛陽に実在した一人の書生の運命に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。


戯れの書生


事の起こりは後漢末、都・洛陽の太学である。この学舎に、軽口と悪ふざけを何よりの楽しみとする書生・一生(いっしょう)がいたと『拓本流布録』は伝える。学問の腕は並であったが、仲間を笑わせることにかけては、学舎随一であった。


ある夏の夜、酒宴の席で盛り上がった一生は、仲間にけしかけられ、前代未聞の戯れに出た。顔を墨で真っ黒に塗り、目を白く剥き、舌を長く垂らし、鼻に箸を二本突っ込んで、師の訓示の口まねをしたのである。


仲間は転げ回って笑い、その夜の一座は、これ以上ない盛り上がりを見せた。


石に刻まれる


この宴席に、石工の見習いの若者が居合わせていた。若者は、一生の変顔の傑作ぶりに感心し、腕試しも兼ねて、その場で見たままの顔を、手元の石板に彫り上げた。出来は見事であった。目の剥き方、舌の垂れ具合、鼻の箸に至るまで、寸分違わず刻まれていた。


悪ふざけの宴の戯れ、のはずであった。ところが、若者がこの石板を酒の勢いで学舎の門前に立て、「傑作なり」と掲げたことから、話は一変する。


広がる拓本


当時の洛陽では、碑文や石刻の写しを、紙を当てて墨で写し取る「拓本」が大流行していた。通りがかりの者が、面白がってこの石板を拓本に取った。一枚が十枚、十枚が百枚、百枚が千枚と、瞬く間に写されていった。


拓本は、行商人の荷物に紛れて街道を渡り、地方の市で売られ、遠国の酒場の壁に貼られた。「洛陽の太学には、こんな顔の書生がいるそうだ」と、笑い話の種として津々浦々に広がった。


一生が事態に気づいた時には、すでに手遅れであった。石板を叩き割って回収しようにも、写しはどこまで広がったか分からず、一枚残らず集めることなど、およそ叶わぬ話であった。


消えぬ顔


一生の悲劇は、そこから始まった。


成績が上がり、官職を得て、郷里に帰ろうとするたびに、「あの拓本の顔の者か」と指をさされた。婚礼の話が進めば、「あの顔の男では」と先方が渋った。真面目な議論を交わそうとすれば、聞き手の目には、墨を塗り箸を鼻に挿した顔が、重なって見えた。


一生が老いて白髪になっても、世の人は、あの石板の顔を、彼の顔として記憶し続けた。笑いの種であったはずの一枚は、いつしか、彼の人生に刻まれた、消えぬ黥(いれずみ)となったのである。


古来、黥は罪人の顔に刻む刑罰であった。一生は、己の戯れによって、自らに黥刑を科してしまったのだと、都の識者は嘆いたという。


命名


晩年の一生が、見舞いに来た旧友に、苦笑いして語った言葉が、記録に残っている。「破顔一笑は、顔がほころび、すぐに元に戻る。だが私の顔は、壊れたまま、元に戻らなんだ。これぞ破顔一生なり」と。これが「破顔一生」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。


注目すべき点


注目すべきは、この故事の核心が、一生の軽率さにだけあるわけではない点である。『拓本流布録』の著者は、こう指摘している。「一生が過ちを犯したのは、戯れを演じた一瞬である。しかし、それを一生の問題にしたのは、写しを取り、広め、面白がった無数の人々であった。拓本は、一度取れば、もはや誰の手にも戻せぬ」と。石に刻まれたものは、刻んだ者の意図を離れ、複製され、流通し、独り歩きを始める。笑いは、その場で消えるが、記録は消えぬ。そして記録が残る世では、「その場限り」という概念そのものが失われる。この理は、記録の歴史を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。


一生の晩年


一生は、その後、自らの経験を踏まえて、若い書生たちにこう説いて回ったと伝えられる。「面白がって人に見せる前に、一度考えよ。これは、百年後に、我が子や孫の目にも触れて構わぬものか、と」。この言葉は、洛陽の太学の若者たちの間で、長く語り継がれた。


また一生は、自分の顔の拓本を持つ者に、一枚ずつ手紙を書いて、引き取りを願い出る地道な活動を続けたとも伝えられるが、すべてを集めることは、ついに叶わなかったという。


現代への系譜


現代においても、冗談のつもりで撮影した写真や動画を、SNSに投稿し、それが複製され、拡散され、何年経っても検索すれば出てくる「デジタルタトゥー」となって、進学、就職、人間関係に影を落とす例は、後を絶たない。かかる時、人は後漢の洛陽に生きた書生・一生の逸話を思い起こすべきであろう。笑いは一瞬だが、記録は一生。画面の向こうに「送信」を押す前に、その一枚が、百年後の自分の顔になっても構わぬかを、一度だけ立ち止まって考えてみるべきなのかもしれぬ。

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