馬倒(ばとう)
馬倒考——馬耳東風にも、限りあり
(『厩舎言霊録』民明書房刊・二〇二六年/著者・罵詈堂厩人)
「馬倒」——人の悪口や罵声など、どこ吹く風と聞き流すはずの馬ですら、日々浴びせられ続ければ、ついには目を回して倒れてしまうことを指すこの言葉。かの「罵倒」——激しい言葉で相手をののしることを指す成語——と音を同じくするがゆえに混同されがちであるが、前者が「罵る側」の行為を指すのに対し、こちらは「罵られ続けた側」の末路を指す点で、両者は原因と結果の関係にあることを、まずもって明らかにせねばならぬ。単なる動物の逸話と侮る者は多いが、この成語が前漢の宮廷厩舎に実在した一頭の名馬に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
動じぬ名馬
事の起こりは前漢中期、長安の宮廷厩舎である。この厩に、「東風」と名づけられた一頭の駿馬がいたと『厩舎言霊録』は伝える。毛並みは漆黒、脚は千里を駆け、そして何より、何があっても動じぬ胆力で知られていた。雷が鳴っても、爆竹が弾けても、耳をぴくりとも動かさぬ。そのさまから、世に言う「馬耳東風」とは、この馬のことだとまで言われた。
罵る厩番
この東風の世話を任された厩番に、罵吉という男がいた。腕は確かであったが、口が極めて悪く、気に入らぬことがあれば、誰彼構わず罵声を浴びせる癖があったという。
罵吉の罵声は、人にも馬にも向けられた。「この駄馬め」「飯ばかり食らいおって」「そのいななき、耳障りだ」。しかし東風は、動じなかった。罵声を浴びても、いつものように静かに飼葉を食み、耳を東の風に向けたまま、涼しい顔をしていた。
罵吉は、これを見て、ますます調子に乗った。「この馬は聞こえておらぬ。何を言っても構わぬ」と、毎朝毎晩、罵声は日増しに増えていった。
積もる言葉
ところが、言葉というものは、一つ一つは風のように軽くとも、積み重なれば、静かに重さを増すものである。
最初の一月、東風は変わらず健やかであった。三月目、東風の飼葉の食いが、わずかに減った。半年目、毛艶がくすみ、耳が下がり始めた。罵吉はそれに気づかず、「やはり駄馬だ」と罵り続けた。一年が過ぎる頃には、東風は、罵声が聞こえる刻限になると、前脚をそわそわと踏み鳴らし、目を落ち着きなく動かすようになった。
厩の同僚たちは、心配して罵吉に忠告した。「あの馬は、疲れておる。罵るのは、やめたほうがよい」。罵吉は笑った。「馬が言葉を解するものか。馬耳東風と言うではないか」と。
倒れる
その日は、突然に訪れた。朝の罵声が始まった刹那、東風の目が、ぐるりと白く回った。四本の脚がもつれ、蹄が藁を掻き、巨体はゆっくりと傾いて、ついに、厩の床に、どうと倒れ伏した。
厩は大騒ぎとなった。侍医が駆けつけ、馬の瞼を持ち上げ、脈を診て、首を傾げた。「病ではない。外傷もない。ただ、極度に疲れ果て、目を回して倒れたとしか言いようがない」と。
罵吉は、呆然と立ち尽くした。耳に東の風と聞こえていたはずの馬が、毎日の罵声を、一つ残らず聞き続けていたのだと、その時ようやく悟ったのである。
命名
この出来事を聞いた老いた馬飼いは、深く頷いて、こう言ったという。「人の罵倒を、馬が倒れるまで聞かせる。これぞ馬倒なり。馬耳東風にも、限りがあったのだ」と。これが「馬倒」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、東風の弱さにはない点である。『厩舎言霊録』の著者は、こう指摘している。「聞き流しているように見えることと、傷ついていないことは、別である。東風は動じなかったのではなく、動じぬよう耐えていたのである。耐える力が強い者ほど、限界が来るまで、外からは健やかに見える」と。そして罵吉の罪は、一つひとつの罵声の激しさよりも、「相手は何も感じていない」と決めつけ、反応が見えるまで、やめなかったことにある。反応が見えた時には、すでに手遅れなのである。この理は、人に接する道を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
その後
東風は、数か月の静養を経て、ようやく立ち上がった。厩番は交代となり、新しい厩番は、馬の耳元に、静かに歌を聞かせる男であったという。東風は次第に、元の毛艶と胆力を取り戻し、以後は、再び千里を駆ける名馬として、人々の記憶に残った。
罵吉は、この一件を深く恥じ、以来、人にも馬にも、むやみに罵声を浴びせることを控えたと伝えられる。晩年の罵吉は、孫に聞かれて、こう答えた。「口は、刃物より切れぬと思うておったが、毎日振るえば、鉄でも折れる」と。
現代への系譜
現代においても、職場や家庭で、「あの人は何を言っても平気だ」「気にしていないはずだ」と決めつけられ、日々の言葉の刃を浴び続けた人が、ある日突然、心身の不調で倒れてしまう例は、残念ながら少なくない。耐え続ける人ほど、外からは気づかれにくい。かかる時、人は前漢の宮廷厩舎に倒れた名馬・東風の逸話を思い起こすべきであろう。聞き流しているように見える相手こそ、実は、最も多くの言葉を、静かに受け止め続けているのかもしれぬのだから。




