金権力行(きんけんりっこう)
金権力行考——勤倹の蔵に積まれし銭が、朝廷を買う
(『貨殖政事録』民明書房刊・二〇二三年/著者・銭柄堂力行)
「金権力行」——財の力をもって政治を動かし、官職も法も議論も、思うがままに牛耳ることを指すこの言葉。かの「勤倹力行」——勤勉に働き、倹約に努め、力を尽くして行うという、古来の美徳を説く成語——と音韻を同じくするがゆえに混同されがちであるが、前者が汗の徳を讃えるのに対し、こちらは銭の暴を嘆く点で、両者は正反対であることを、まずもって明らかにせねばならぬ。もっとも、この二語がもとは一人の人物の前半生と後半生を指していたことを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
勤倹の商人
事の起こりは後漢末、南陽の地に生きた一人の商人・銭柄力行である。力行は貧しい塩売りの子として生まれ、朝は日の出前から荷を担ぎ、夜は蝋燭を惜しんで月明かりで帳簿をつけたと『貨殖政事録』は伝える。食事は一日二度、衣は継ぎ当てを重ね、無駄な銭は一文も使わなかった。
この勤勉と倹約が実を結び、塩売りは塩商となり、塩商は郡随一の豪商となった。里の者は彼を「勤倹力行の人」と呼び、子供への教訓には、必ず力行の名が引かれたという。
ここまでは、まことに美しい話である。
銭の味
問題は、財が山ほど積まれた後に起こった。蔵が満ちた力行は、ある時、ふと気づいたと記録は語る。「銭は、塩を売るためだけのものではない。銭は、人を動かせる」と。
最初は小さな出来事であった。郡の役人に酒食を振る舞い、塩の専売の許可を、少し有利に取り付けた。次に、商売敵の許可を、金品で取り消させた。そこで力行は、銭の力の大きさを知った。
力行は、勤倹の信条をそのままに、新たな働き方を始めた。それは、銭を貯めることではなく、銭で人を買い、官を買い、政を買うことであった。
買われる朝廷
力行はまず、郡の太守に近づいた。多額の贈り物と、愛妾への宝飾、息子への就職の斡旋。太守は、次第に力行の意に添う政を行うようになった。塩の税は軽くなり、力行に有利な法令が通り、競合する商人は理由もなく罰せられた。
次に力行は、都の朝廷の高官に目を向けた。ここでも銭の力は絶大であった。官職には「値」がつき、都の官位は、力行の差し出す金額に応じて、力行の腹心へと与えられた。力行が推す者は昇進し、力行に逆らう者は左遷された。諫言をなす清廉な官は、「いつの間にか」席を失い、残ったのは、銭で買われた者ばかりであった。
こうして力行は、自らは何の官職にも就かぬまま、郡から朝廷に至るまで、政の糸を裏から操る存在となった。人々はこれを「力行の世」と呼んだ。
勤倹から金権へ
力行は、日々、倦むことなく働いた。朝は役人に会い、昼は贈り物を選び、夜は帳簿を確かめ、倹約も怠らなかった。ただし、その勤勉と倹約は、すべて「銭の力で政を動かす」ことに注がれていた。
この様を見た、かつての弟子が、嘆いてこう言ったという。「師は昔と同じく、力を尽くして働いておられる。ただ、その働きの向かう先が、勤倹から金権へと変わってしもうた。まさに、勤倹力行ならぬ、金権力行なり」と。これが「金権力行」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、力行個人の欲深さにはない点である。『貨殖政事録』の著者は、こう指摘している。「銭が政を買えるのは、政が買われうる仕組みであるからだ。買う者がいれば、売る者がいる。売る者がいなければ、買う者は力を持たぬ」と。つまり金権政治とは、金持ちの悪行である以前に、官や議論や法が、金銭によって左右されうる状態にあることそのものの病である。力行を責めるだけでは足りず、買われた者、買われうる制度、それを黙認した世の目が、すべて同じ病の一部であった。この理は、政治の歴史を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
力行の末路
力行の世は、長くは続かなかった。銭で動く政は、銭が尽きれば動かなくなる。力行が老いて財が尽きかけた時、彼に買われた者たちは、一人、また一人と去っていった。「銭がなくなれば、あの方に用はない」と。
さらに、金で官職を得た者たちは、その元手を取り戻すため、民から容赦なく取り立てを始めた。民の怨嗟は朝廷に満ち、やがて世は乱れ、力行の築いた財も権力も、すべて戦火の中に消えたと伝えられる。晩年の力行は、荒れた蔵の前に座り、「勤倹のままに銭を貯めていれば、塩商として、里の者に慕われて死ねたものを」と呟いたという。
現代への系譜
現代においても、政治に関わる資金の流れが不透明であったり、巨額の資金を持つ者が政策に大きな影響を及ぼしたりすることへの批判は、洋の東西を問わず繰り返されている。政治資金の公開や上限の設定といった制度が整えられてきたのも、金が政を買う病を防ぐための知恵であろう。かかる時、人は南陽の豪商・力行の逸話を思い起こすべきであろう。勤勉も倹約も、美徳である。しかしその力が銭に向かい、銭が政を買い始めた時、美徳は最も恐ろしい道具に変わるのだから。




