新店同地(しんてんどうち)
新店同地考——同じ辻に旗二つ、天を震わせ地を動かす
(『市肆競争録』民明書房刊・二〇二二年/著者・辻角堂開店)
「新店同地」——新たに店を構えようとした場所が、すでに他の競合の狙う場所と重なってしまうことを指すこの言葉。転じて、出店の競争が激しく、良き地を巡って商人たちが鎬を削る様をも指す。かの「震天動地」——天を震わせ地を動かすほどの、世を驚かす大事件や大騒動を指す成語——と音韻を同じくするがゆえに、しばしば混同されがちであるが、後者が天変地異にも比すべき事件を指すのに対し、こちらは一つの辻に生じた商人たちの騒動を指す点で、両者は似て非なるものであることを、まずもって明らかにせねばならぬ。もっとも、その辻の騒ぎが、まさに天を震わせ地を動かすほどであったがゆえに、この洒落が生まれたことは、後に述べる通りである。単なる商売の愚痴と侮る者は多いが、この成語が北宋の都・開封の一つの辻に実在した出来事に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
良き辻
事の起こりは北宋、都・開封の繁華な一角である。大通りが二本交わる「四つ辻」は、人の流れが絶えず、朝は役所へ向かう官吏、昼は市へ向かう民、夕は酒楼へ向かう旅人で賑わっていたと『市肆競争録』は伝える。この辻に面した角地の一画が、ある年、空き家となった。
商人にとって、これは天の恵みである。辻の角に旗を立てれば、四方から客が集まるからである。
二人の商人
この空き地に目をつけたのが、饅頭屋の老舗の若主人・蒸太と、新参の饅頭商・焼平であった。二人は互いを知らず、それぞれ密かに地主と交渉を進めていた。
蒸太は、「この辻は我が店の次の一手」と、前金を払って口約束を取り付けた。焼平は、「この地こそ、我が商いの命運を握る」と、別の筋から地主の親戚を通じて話をまとめた。
そして吉日、二人は同じ日の同じ時刻に、同じ角地へ、それぞれ大工と看板を連れて現れた。『市肆競争録』は、この様子を「蒸太の旗と焼平の旗、同時に辻へ立つ」と記している。
争いの始まり
二人は驚き、言い争いになった。「ここは私の約束した地だ」「いや、私が先に話をつけた」。結局、辻の角には店が建てられず、角地の向かい合う両側に、それぞれ店を構えることで決着したという。
ところが、それで話は終わらなかった。
蒸太が饅頭を一つ一文で売り出せば、焼平は一つ半文に下げた。蒸太が大きな看板を掲げれば、焼平はさらに大きな看板を立てた。蒸太が客寄せの太鼓を叩き始めれば、焼平は銅鑼を鳴らし、笛を吹かせた。
天を震わせ、地を動かす
この太鼓と銅鑼の応酬は、日を追うごとに激しさを増したと記録は語る。蒸太が百の太鼓を並べれば、焼平は二百の銅鑼を連ね、その音は辻から城壁まで響き渡り、朝には鳥が飛び立ち、昼には馬が驚き、夜には赤子が泣き止まなかった。
近隣の者は、こう嘆じたという。「あの辻の騒ぎは、天を震わせ、地を動かすほどだ」と。
さらに悪いことに、この噂を聞きつけて、他の商人たちも続々と辻に集まった。茶屋、酒屋、麺屋、薬屋と、四つ辻の周囲は、わずか一年のうちに、同業の店で隙間なく埋まってしまった。それぞれが負けじと鳴り物を鳴らし、割引を競い、辻はまさに「震天動地」の騒ぎとなったと『市肆競争録』は記す。
共倒れの危機
競争は、客に利益をもたらした。饅頭は安くなり、茶は量が増え、あちこちの店が割引を競った。しかし店主たちは、利益が削られ、働き手に払う銭も減り、やがて一軒、また一軒と、旗を降ろす店が出始めた。
蒸太と焼平も、疲れ果てていた。ある夜、二人は偶然、辻の真ん中で顔を合わせ、互いの目の下の隈を見て、思わず笑ってしまったという。
焼平が言った。「我らは、同じ地に立ったがゆえに、天地を震わせるほどの騒ぎを起こしてしまった」と。
蒸太が答えた。「震天動地ならぬ、新店同地よ。同じ地に立ったことが、我らの縁なのだろう」と。この一言が辻の商人たちの間に広まり、「新店同地」の成語として定着したと『市肆競争録』は記す。これが初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、競争の是非ではなく、「良き地は、誰にとっても良き地である」という単純な事実にある点である。『市肆競争録』の著者は、こう指摘している。「ある場所が良いと見抜いた者は、一人ではない。良い地を見抜く目を持つ者が複数いる以上、新店の出店先が重なるのは、偶然ではなく必然である」と。そしてさらに、「ゆえに商人の勝負は、場所を取ることではなく、取った場所で何を差し出すかに移る」と続ける。同じ地に立つ以上、同じ客を相手にする以上、価格や音の大きさだけで競っても、行き着く先は共倒れである。この理は、商いの道を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
蒸太と焼平のその後
その後、蒸太と焼平は、客を奪い合うのをやめ、それぞれの得意を磨くことにした。蒸太は、蒸し立ての柔らかい饅頭を、朝の官吏向けに。焼平は、香ばしい焼き饅頭を、夕の旅人向けに。太鼓も銅鑼も片付け、客層と時間帯を分けたことで、二人の店はともに残り、「辻の二つ旗」として都の名物となったと伝えられる。
現代への系譜
現代においても、人通りの多い交差点や駅前に、同業種の店舗が競うように並ぶ光景は珍しくない。コンビニエンスストアやドラッグストア、飲食店などが、同じ角を挟んで向かい合う例はその典型であろう。かかる時、人は北宋の都・開封の辻に立った二つの旗の逸話を思い起こすべきであろう。良き地を得ることは第一歩にすぎず、同じ地に立った相手と、いかに違う価値を差し出せるかが、その後の命運を分けるのだから。




