軽説之功(けいせつのこう)
軽説之功考——難き理を、童の掌に載せる
(『童蒙解説録』民明書房刊・二〇二一年/著者・平易堂軽説)
「軽説之功」——難解な話題や深遠な理を、子供にも分かるほど平易な言葉で説き明かす功績を指すこの言葉。かの「蛍雪之功」——東晋の車胤が蛍の光で、孫康が雪明かりで書を読み、貧しさの中で学問に励んだという故事に由来し、苦学の末に得た成果を指す成語——と音韻近きゆえに混同されがちであるが、前者が「学ぶ者」の努力を讃えるのに対し、こちらは「教える者」の努力を讃える点で、両者は表裏の関係にあることを、まずもって明らかにせねばならぬ。単なる教え方の巧拙と侮る者は多いが、この成語が東晋の一学者の、ある決断に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
難解を極めた学者
事の起こりは東晋、会稽の山里に住んでいた学者・軽説である。若き日の軽説は、車胤や孫康に劣らぬ苦学の人であったと『童蒙解説録』は伝える。昼は田を耕し、夜は松明の灯りで、易、老荘、春秋と、あらゆる難解な古典を読み破った。
学問が深まるにつれ、軽説の語り口は難しくなっていった。「太極は両儀を生じ、両儀は四象を生ず」「無為にして為さざるなし」。彼の講義は、天下の俊才が聴きに来ても、半分も理解できぬほどの高みに達していた。
軽説自身は、これを誇りとしていた。「分からぬのは、聴く者の学が足りぬからだ」と。
童の一言
ある日、軽説の講義を、村の子供がこっそり聞いていた。近所に住む七歳の童・小蛍である。講義が終わり、客が帰った後、小蛍は軽説に、無邪気にこう尋ねたと記録は語る。
「先生、今日のお話は、どういう意味だったの?」
軽説は、先ほどと同じ言葉を、もう一度、ゆっくりと繰り返した。小蛍は首を傾げた。もう一度繰り返した。小蛍は泣きそうな顔になった。
軽説は、愕然とした。小蛍が愚かだったのではない。自分が、小蛍に伝わる言葉を一つも持っていなかったのである。
苦闘
その夜、軽説は書斎で考え込んだ。
「私は、あの理をどれほど深く理解しているつもりでいた。だが、七つの童にすら説明できぬならば、本当に分かっているのだろうか」と。
翌日から、軽説の新しい修行が始まった。難しい言葉を使わず、童に分かる言葉だけで、同じ理を説き直すのである。
「太極は両儀を生ず」を、どう言えばよいか。軽説は幾晩も悩み、やがて、台所の湯気を見て思いついた。「一つの大きな鍋から、湯気が二つの筋になって立ち昇る。その二つの筋が、昼と夜、暑さと寒さになる。分かれる前は、一つの鍋なのだよ」と。小蛍は、目を輝かせた。「じゃあ、お鍋が世界なんだね!」
軽説は、思わず笑った。完璧ではない。だが、童の心に、確かに届いたのである。
解説の功
こうして軽説は、あらゆる難解な古典を、蛍の光や雪明かりのように、童にも手の届く言葉へ置き換える作業を続けた。「無為にして為さざるなし」は「畑の稲は、引っ張らなくても、お日様と雨で自分で伸びる」。「天網恢恢疎にして漏らさず」は「大きな網は目が粗く見えるけれど、悪いことをした人は、ちゃんと引っかかる」。
その講義は評判を呼び、各地の学者や親たちが、子を連れて聴きに来た。やがて大人たちも、「軽説先生の話で、初めて分かった」と口々に言うようになったという。
この評判を聞いた古老が、こう評したと『童蒙解説録』は記す。「車胤は蛍の光で学び、孫康は雪明かりで学んだ。軽説は、その学びを、童の手にまで届けた。これぞ蛍雪の功ならぬ、軽説の功なり」と。これが「軽説之功」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、「易しく言うこと」の難しさにある点である。『童蒙解説録』の著者は、こう指摘している。「難しいことを難しく言うのは、易しい。易しいことを易しく言うのも、易しい。真に難しいのは、難しいことを易しく言うことである。それは、その理の骨格を、枝葉を落としても残る核を、本当に掴んでいなければできぬ」と。軽説の功とは、言葉を薄めることではなく、理の芯を見極めることであった。彼が「軽」と名乗ったのは、内容が軽いからではなく、持ち運べるほど軽やかに、核心だけを取り出したからである。この理は、教える道を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
軽説のその後
晩年の軽説は、弟子たちにこう語ったと伝えられる。「あの日の小蛍の一言がなければ、私は一生、難しい言葉の中に閉じこもっていたであろう。童は、最も厳しく、最も誠実な、私の師であった」と。
現代への系譜
現代においても、複雑な科学や経済、社会の仕組みを、専門家でない人にも分かる言葉で解説できる人は、深い理解を持つ人として尊敬される。「小学生にも説明できなければ、本当に理解したとは言えない」という言葉が語られるのも、その表れであろう。かかる時、人は東晋の会稽に住んだ学者・軽説の逸話を思い起こすべきであろう。難しい話を易しくできる人こそが、実は最も深く、その理を知っているのだから。




