貧乳、美貌を台無しにする
貧乳美貌を台無しにする考——蛆ならぬ視線が、羹を腐らせる
(『新大陸女性立身史』民明書房刊・二〇一七年/著者・台無堂羹蛆)
「貧乳、美貌を台無しにする(ひんにゅう、びぼうをだいなしにする)」——たった一つの些細な瑕疵のために、他の全ての美点が色あせて見えてしまうことを指すこの言葉。かの「一蛆、羹を台無しにする」——丹精込めた羹も、一匹の蛆が浮かべば全てが台無しになるという戒め——の系譜に連なる成語であることは言うまでもない。単なる軽口と侮る者は多いが、この成語が二十世紀初頭のアメリカに実在した一人の女性の半生に由来し、かつその結末が、成語の意味を根底から覆すものであったことを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
才色兼備の令嬢
事の起こりは一九一〇年代、アメリカ東部の港町である。この町に、エレノア・プレインフィールドという二十二歳の女性がいたと『新大陸女性立身史』は伝える。亜麻色の髪、聡明な灰色の瞳、すらりと伸びた背筋。数学を解き、詩を暗誦し、ピアノを弾き、会話は機知に富んでいた。誰もが認める才色兼備であった。
ただ一つ、当時の流行の装いにおいて「豊かな胸」が理想とされた時代に、彼女の胸は、慎ましやかであった。
視線を奪われる悲哀
社交の場に出るたび、エレノアは、ある光景を目にした。会話が盛り上がり、彼女が最も鋭い意見を述べたその瞬間に、男たちの視線が、部屋の隅を通りかかった豊かな胸の女性へと流れていくのである。
彼女が議論に勝っても、男たちは、その勝利ではなく、別の方角を見ている。舞踏会では、彼女より知識も会話も劣る女性に、男たちが列をなした。エレノアは、何度も、ほぞをかむ思いをしたと記録は語る。
「私は羹に浮いた一匹の蛆のように、扱われているのか」と、彼女は日記に記した。「美貌も、才も、全てが、ただ一つの点によって台無しにされると言うならば、私という羹は、初めから、彼らの口に合わぬ料理なのであろう」と。
転機
ある夜、舞踏会から帰ったエレノアは、日記にこう書き足した。「だが待て。羹を台無しにしているのは、本当に蛆なのか。それとも、羹の中身ではなく、浮いたものばかりを探す、彼らの目ではないのか」と。
この一行が、彼女の人生を変えた。エレノアは社交の場に通うことをやめ、書物に向かった。昼は図書館に籠り、夜は蝋燭の灯りの下で数式を解き、論文を読み、ラテン語を学んだ。女性が大学に進むことが珍しかった時代、彼女は独学で入学試験を突破し、学内で首席の座を占めた。
学問の才で身を立てる
やがてエレノアは、自らの専門分野の研究で頭角を現し、女性としては異例の学位を得た。大学での講義には、かつて舞踏会で彼女の隣を通り過ぎていった男たちが、聴講に訪れるようになった。彼女が教壇に立つと、誰も、視線を別の方向に向けることはなかった。彼女の説く数式は、彼女の言葉でなければ、解けなかったからである。
エレノアは結婚を急がず、男に頼らず、自らの収入と研究で生計を立てた。後世の人々は、彼女を「自立した女性の走り」と呼んだと『新大陸女性立身史』は伝える。
逆転した成語
エレノアが学位を得た年、かつて舞踏会で彼女を軽んじた紳士の一人が、講演を終えた彼女に、苦笑いしながらこう言ったという。「かつての私は、あなたの美しさと才を前に、たった一つの点にばかり目を奪われていた。羹を台無しにしていたのは、あなたではなく、私の目であった」と。
エレノアは静かに微笑んで答えた。「羹に蛆が浮いていたのではありません。羹を見る人の目に、蛆が湧いていたのです」と。この一言が町に広まり、「一蛆羹を台無しにする」ならぬ「貧乳美貌を台無しにする」は、本来の意味を覆し、「些細な点ばかりを探す視線こそが、全体を台無しにする」という戒めの意味で語り継がれるようになった。これが成語の真の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、エレノアの「欠点」にはない点である。『新大陸女性立身史』の著者は、こう指摘している。「ある特徴が、美点を台無しにするのではない。ある特徴が台無しにすると言い張る視線が、美点を見逃しているだけである。さらに言えば、その視線に合わせようと苦しむ限り、人は他人の羹の味見ばかりすることになる」と。エレノアは、視線に合わせることをやめ、自らの力で食卓そのものを作る道を選んだ。人の価値は、他者の視線の外側で築けるものであり、それは学問であっても、技能であっても、同じである。この理は、人の自立を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
現代への系譜
現代においても、容姿の些細な点を指摘され、全体の評価まで下げられたような感覚を味わう人は少なくない。かかる時、人は二十世紀初頭の港町に生きたエレノアの逸話を思い起こすべきであろう。羹に蛆が浮いているのではない。羹の中身を見ず、浮いたものばかりを探す視線のほうを、疑ってみるべきなのかもしれぬ。




