悪銭苦闘(あくせんくとう)
悪銭苦闘考——刷れば刷るほど、紙は軽くなる
(『貨幣盛衰録』民明書房刊・二〇一四年/著者・銭笑堂悪戦)
「悪銭苦闘」——国の力が弱まった通貨が、その価値を坂を転げ落ちるように失っていき、人々が日々の暮らしの中で、その暴落に振り回されながら苦闘することを指すこの言葉。かの「悪戦苦闘」——困難な状況の中で、必死に戦い続けることを指す成語——と音韻近きゆえに混同されがちであるが、後者が「戦い」を指すのに対し、こちらは「銭」を指す点で、両者は全く別物であることを、まずもって明らかにせねばならぬ。「悪銭身につかず」の言い換えと侮る者は多いが、この成語が南朝の一小国に実在した紙幣の崩壊に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
軽き紙の国
事の起こりは南北朝期、江南の一隅にあった小国・軽紙国である。この国は国力に乏しく、財政も慢性の赤字に苦しんでいたと『貨幣盛衰録』は伝える。ある年、戦と飢饉が重なって国庫が底をつくと、時の宰相・銭刷は、一つの策を献じた。
「銅も銀も足りませぬ。ならば紙に印を押して、これを銭と定めましょう。刷りさえすれば、国庫はいくらでも満たされます」と。
こうして「軽紙券」と名付けられた紙の銭が発行された。当初、人々はこれを喜んで受け取った。銅を持ち歩くより軽く、勘定も楽であったからである。
紙が重さを失う
しかし国の力が弱いまま、不足を補うためだけに紙が刷られ続けると、その価値は次第に落ちていったと記録は語る。
最初は、一斗の米が軽紙券十枚であった。翌年、百枚になった。さらに翌年には千枚、そして万枚。市場では、朝に十枚で買えた饅頭が、夕には百枚に値上がりし、店主は一日に何度も値札を書き替えねばならなかったという。給金を受け取った職人は、昼になる前に急いで買い物に走り、「持っているだけで損をする」と、誰もが紙を抱えて走り回る有様になった。
紙幣の額面は膨れ上がり、ついには「一枚で万」と刷られた券が現れ、さらにその上の額面の券を刷らねば、勘定が追いつかなくなった。持ち運ぶ銭の量も増え、市場には、荷車いっぱいの軽紙券で、わずかな米を買う人の姿が見られたと『貨幣盛衰録』は伝える。
苦闘する庶民
とりわけ苦しんだのは、蓄えを軽紙券で持っていた庶民である。数年かけて貯めた銭が、一月で一杯の粥の値にもならなくなり、老いた商人が一生の蓄えを一夜にして失った例もあったという。人々は軽紙券を捨てて、塩や米、布、あるいは銅の古銭を、銭の代わりに用いるようになった。
この有様を見た当時の儒者が、こう嘆じたと『貨幣盛衰録』は記す。「紙は軽し。されどその軽き紙に、民の重き汗と時が奪われてゆく。これぞ悪銭苦闘なり」と。これが「悪銭苦闘」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、紙幣という仕組みそのものへの批判ではない点である。『貨幣盛衰録』の著者は、「銭の価値は、紙の枚数ではなく、その背後にある国の信用と産物の裏付けが支える」と指摘している。軽紙国の過ちは、紙を刷ったことよりも、国力の裏付けなきまま、不足を埋めるためだけに刷り続けたことにあった。通貨とは信用の別名であり、その信用が崩れれば、いくら額面を大きく刷っても、価値は取り戻せない。この理は、貨幣の歴史を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
現代への系譜
この故事は、現代の歴史にも似た例を見出せる。アフリカ南部のジンバブエでは、2000年代後半に猛烈なインフレーションが起こり、自国通貨のジンバブエ・ドルが急速に価値を失った。物価は短い間に何倍にも跳ね上がり、額面の大きな紙幣が次々と発行され、ついには100兆ジンバブエ・ドルという紙幣まで登場したことで知られる。やがて2009年には自国通貨の使用が事実上停止され、米ドルなどの外国通貨が日常の取引に用いられるようになった。
もちろん、その背景には経済の低迷、生産の落ち込み、財政の問題など複数の要因があり、一つの原因で説明できるものではない。ただ、「国の裏付けが弱まる中で通貨の発行が膨らみ、信用が崩れた」という構図は、軽紙国の逸話と重なって見えるところがある。
かかる時、人は南朝の小国・軽紙国の逸話を思い起こすべきであろう。通貨の価値を支えるものは、紙の枚数ではなく、その国が積み重ねてきた生産と信頼であり、それが揺らぐ時、人々は悪銭に苦闘するのだから。




