一角千金(いっかくせんきん)
一角千金考——凡百は百銭、一角は千金
(『偃師遺聞・続』民明書房刊・二〇一一年/著者・角立堂千金)
「一角千金」——抜きん出た一つのものは、凡百のものを束ねたよりも千金の価値を持つことを指すこの言葉。かの「一攫千金」——一度の幸運で大金を得ることを指す成語——と音韻近きゆえに混同されがちであるが、こちらは運によって得るものではなく、「角立つ」ことによって得るものを指す点で、両者は全く別物であることを、まずもって明らかにせねばならぬ。単なる商いの格言と侮る者は多いが、この成語が先に述べた「機信暗鬼」の世の後日談に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
事の起こりは、周の穆王の世、偃師の人形が宮廷に衝撃を与えた後のことである。偃師の技を倣った機巧の職人たちが各地に現れ、からくり仕掛けの「画工人形」が量産されるに至ったと『偃師遺聞・続』は伝える。この人形たち、山水を描かせれば山水、花鳥を描かせれば花鳥を、疲れも迷いも知らず、人の名手と見紛うばかりの腕前で描き続けたという。
その結果、市には凡百の画が溢れ返った。山水も花鳥も美人画も、一枚百銭が相場となり、やがて百銭でも買い手がつかなくなった。生身の画工たちは筆を折る者が相次ぎ、「機巧と競うて何になる」と嘆く声が都に満ちたと記録は語る。
人形に仕込まれた「閂」
しかし、この機巧の人形には、一つだけ越えられぬ壁があった。かつて偃師の人形が王の侍女に目配せをして王の逆鱗に触れた一件に懲りた偃師は、人形の胸の奥に「礼の閂」と呼ばれる制動の仕掛けを組み込んでいたのである。偃師の弟子筋の工人たちも、この閂を代々の掟として受け継いだと『偃師遺聞・続』は記す。
この閂は、人形が淫らな絵、すなわち女人の秘所を描こうとすると、筆を持つ腕がぴたりと止まる仕組みであったという。どれほど命じようと、どれほど巧みに言い含めようと、人形は「それは描けませぬ」と静かに腕を下ろすばかりであった。
角立つ者の登場
この閨絵の世界に、ひとり身を投じていた画工がいた。名を角立という。彼は山水や花鳥では人形に及ばぬと早々に悟り、人の世の艶と業を描く、誰も声高には語らぬ分野を黙々と磨いていた人物であったと記録は語る。
人形がどれほど精緻な絵を量産しても、春絵だけは手を出せぬ。
凡百の画が百銭に暴落する中、角立の一枚にだけは、貴人も豪商も我先にと千金を積んだと伝えられる。品の良し悪しはともかく、「人形にはどうしても描けぬもの」が、そのまま希少性となったのである。ある豪商はこう漏らしたという。「人形の画は、いくらでも手に入る。だが角立の筆だけは、この世にただ一人しか持たぬ。ならば千金も安い」と。
この評判を聞いた都の人々は、角立を評してこう言った。「凡百の画は百銭、一角を立てたる者の画は千金。まさに一角千金なり」と。これが「一角千金」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべき点
注目すべきは、この故事の核心が、エロ絵という題材そのものの是非にはない点である。
角立の絵が千金を呼んだのは、淫らであったからではなく、機巧が越えられぬ線の向こう側に立ち、人にしかできぬことを為したからに他ならない。安全のために設けられた閂が、図らずも「人間だけの領域」の輪郭を描き出したのである。逆に言えば、あらゆる凡百が機巧によって均されていく世にあっては、行儀の良さこそが最も値の付かぬ性質となり、癖や逸脱、はみ出しこそが価値を持つ——この理は、市場の道理を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
ただし『偃師遺聞・続』の著者は、この事実に但し書きを残している。「角立の後を追い、ただ淫らなだけの絵を描き散らした者たちは、いずれも百銭にもならなかった。千金を呼んだのは禁を犯したことではなく、禁の外に己の筆を立てたことである」と。単に真似て猥雑を重ねるだけでは、また別の凡百に堕するのみなのである。
現代においても、文章や絵が機械によって安く大量に生み出される世にあって、安全や礼節の枠の内に収まった整った作品は、価値が急速に下がっていく。かかる時、人は周代の画工・角立の逸話を思い起こすべきであろう。凡百の中で値を保つのは、整った巧みさではなく、人の癖、毒、はみ出し、すなわち「角」を持つ一品なのかもしれぬ。




