放球縛賊(ほうきゅう・ばくぞく)
放球縛賊考 ―妖を珠に封じ、我が配下と為す兵法―
出典:『兵法異聞・裏三十六計大全』(著・欅田柾彦/民明書房刊・大正十四年)
一、定義
放球縛賊とは、力ずくで討ち果たすべき凶悪な賊・妖を、命を奪うことなく小さき宝珠の内へと封じ込め、のちにこれを自らの配下として使役するという、討伐と登用とを一手に収める策である。
敵を斬れば、敵の力はそこで尽きる。しかし敵を珠に封じて従えれば、敵の力はそのまま我が力となる。これを「殺さぬ勝利」と呼ぶも愚かなほどの、まことに経済的かつ合理的な一計であることは、もはや言うまでもなかろう。しかも封じられた妖は、必要な時に珠より放たれ、主の命じるままに敵へと立ち向かうのである。
二、語源と起源
この策の起源として後世必ず引き合いに出されるのが、唐代、玄奘三蔵に仕えた高弟の一人、**珠縛延**法師の逸話である。
世に名高い玄奘の天竺行において、孫悟空の頭に**緊箍児**を嵌めて制御した故事は、諸君も周知のことであろう。しかし、この緊箍児の術理を、悟空一匹のみならず「あらゆる妖に応用できぬものか」と考え抜いた者こそ、珠縛延であったと『西域異聞録』の異本は伝える。彼は師の術を受け継ぎつつ、妖を頭の輪で縛るのではなく、掌に収まる宝珠の内へ封じ込める方式へと発展させた。
ある時、珠縛延は村々を荒らし回る数多の妖怪に出くわした。彼は妖と戦うことをせず、掌中の宝珠を投げ放ち、妖がこれに吸い込まれるや否や、ただちに印を結んで珠を閉じたという。珠に封じられた妖は、法師の徳に感化されたのか、あるいは術に縛られたのか、いずれにせよ以後は法師の命に従い、彼の旅路の守護者となった。珠縛延の腰には常に数個の宝珠が下げられ、いざという時にはこれを放って、封じた妖を戦わせたと伝えられる。宝珠を「放つ」ことで妖を呼び出し、妖を「縛る」ことで村の賊を鎮める――この二つの動作を合わせて、後世の兵法家は**「放球縛賊」**と呼び習わしたのである。
三、後世への影響 ―虫取り少年、古の秘術を電子の箱に蘇らす―
なお、この珠縛延の秘術が、千数百年の時を経て、思いがけぬ形で現代の遊戯として蘇っていることは、諸君も薄々察していることであろう。
平成八年二月、ゲームフリークが開発し、当時は任天堂より発売された携帯ゲーム機用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』において、プレイヤーは「ポケモントレーナー」となり、作中世界に生息する不思議な生き物を捕獲して育て、戦わせ、他のプレイヤーと交換して図鑑を完成させることを目的とする。生き物はボール状のアイテムで捕獲され、そのボールに入るとポケットに収まることから、「ポケモン」という愛称が付けられたという。投げ放った珠に妖を封じ、これを手元に携え、いざという時に放って戦わせる――これが珠縛延の秘術と寸分違わぬ構造であることは、もはや偶然の一致などという言葉で片付けられるものではない。
ポケットモンスター (ゲームシリーズ) +2
企画の原点は「カプセルモンスター」と呼ばれる、カプセルトイのような容れ物に入ったモンスターが通信ケーブルを行き来するという着想であり、開発者の田尻智は、少年時代に熱中した昆虫採集や、友達との昆虫の交換・相撲を元にこのゲームを考案したと伝えられる。珠に妖を封じて携え、人と人とが取り交わす。この「集めて、従えて、交換する」という構図の奥底に、千数百年前の西域にて一人の高僧が編み出した秘術の面影が静かに息づいているのだと考えれば、あの小さき球体の見え方も、自ずと変わってくるのではあるまいか。
四、結び ―縛るは力にあらず、徳なり―
しかし、珠縛延の術が単なる拘束の技にとどまらなかったことは、特に強調しておかねばならぬ。彼が従えた妖は、決して力のみで屈服させられたのではなく、法師の徳に感化されて従ったのだと伝えられる。力で縛られた者は、縄が緩めば牙を剥く。徳で結ばれた者は、珠が開かれようとも傍らを離れぬ。
妖を珠に封じ、配下として育て、共に戦う。その根幹にあるのは支配ではなく、信頼である。この一点を見失った放球縛賊は、ただの捕縛に堕するであろう。
(民明書房刊)




