春淫醜堕(しゅんいんしゅうだ)
春淫醜堕考——うねり曲がりし道の果てに、醜く堕つ
(『官紳失脚録』民明書房刊・二〇〇七年/著者・醜堕軒自戒)
「春淫醜堕」——色を買う行いが露見し、社会的地位も信用も一挙に失い、醜く堕ちぶれていくことを指すこの言葉。かの書道における「春蚓秋蛇」——春の蚯蚓、秋の蛇の如くうねうねと曲がりくねった拙き筆跡を評する成語——と全く同音なるがゆえに、古来しばしば混同されてきたが、この同音の裏には、単なる偶然に留まらぬ深い因縁が潜んでいることを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
事の起こりは清代中期、都にて重用されていた高官・醜堕軒自戒である。自戒は若くして科挙に及第し、以後は順調に昇進を重ね、朝廷でも屈指の切れ者として名を馳せていたと『官紳失脚録』は伝える。しかしこの自戒、公の場での謹厳実直な顔とは裏腹に、夜な夜な人目を忍んで花街に通い、金で色を買う放蕩を長年にわたり重ねていたという。
自戒は己の地位と権勢をもってすれば、この秘めごとは決して表に出ぬと高をくくっていたと記録は語る。しかしある時、彼が贔屓にしていた妓楼の女将と、政敵の一人との間に密約が結ばれたことから、事態は一変する。自戒の通い詰めた日時、金の遣り取り、果ては私的な会話の数々までもが、詳細に記録され朝廷に密告されたのである。
この一件を取り調べた監察官が、自戒の長年の行状——表向きは真っ直ぐな官道を歩むと見せかけながら、裏では幾重にも偽りを重ね、人の道をうねうねと曲げて花街へと通い続けていたその軌跡——を記録にまとめた際、こう記したと『官紳失脚録』は伝える。「この者の歩みし道、うねうねと人の道を曲げて、まるで春の蚯蚓、秋の蛇の如し。筆の乱れは紙の上のみに留まらず、ついにはその人生そのものを醜く曲げ、堕落せしめたり」と。この一節が都の官界に広まり、「春蚓秋蛇」と全く同じ響きを持ちながら、字の拙さではなく人の道の曲がりと転落を指す「春淫醜堕」として、別個の成語が定着するに至ったのである。これが初出であることに、もはや疑いの余地はない。
自戒が公の場に提出する上奏文は、いずれも端正な楷書で一分の乱れもなかったと伝えられるが、その筆の正しさとは裏腹に、私生活における彼の歩みは、幾重にも偽りを塗り重ね、まっすぐな道を外れて曲がりくねっていた。表の筆跡はまっすぐでも、裏の生き様がうねり曲がっていれば、いずれ化けの皮は剥がれ落ちる——この一件が公になるや、都中が蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、自戒を慕っていた者も、頼りにしていた同僚も、皆が次々と距離を置き始めたという。
注目すべきは、この故事が単に「不品行は悪い」という道徳論に留まらぬ点である。『官紳失脚録』の著者が強調するのは、人の生き様における「曲がり」というものが、紙の上の筆跡の乱れと同じく、一度始まれば自然に真っ直ぐには戻らず、むしろ隠そうとするほどに、より複雑にうねり込んでいくという構造であった。春の蚯蚓が土中をうねりながら進み、秋の蛇が草叢を曲がりくねって這うように、一度人の道を外れた者の軌跡もまた、隠蔽と偽りを重ねるたびに、ますます曲がりを深めていく。まっすぐな筆致を保つ難しさと、まっすぐな生き様を保つ難しさは、根において同じ理であることは、書の道と人の道をともに学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
自戒はその後、都を追われ、郷里にてひっそりと余生を送ったと伝えられる。晩年、彼は己の半生を顧みてこう記したという。「我が筆は生涯まっすぐなりしと自負せしが、我が歩みし道は、気づかぬうちに春蚓秋蛇の如く曲がり果てておりき」と。
現代においても、社会的地位のある人物が買春の露見によって一夜にして築き上げた全てを失う光景は、時代を超えて繰り返されている。かかる時、人はこの清代の高官・自戒が、うねうねと人の道を曲げていった、その軌跡を思い起こすべきであろう。まっすぐに見える表の顔の裏で、道がどれほど曲がっているか——それは、いずれ必ず白日の下に晒されるのだから。




