万法帰一(ばんぽうきいつ)
万法帰一考——書も剣も文も、根は一つに通ず
(『芸道通底録』民明書房刊・二〇〇六年/著者・一法庵帰元)
「万法帰一」——書であれ剣であれ文であれ、あらゆる技芸の表現は、一見すれば全く異なる営みのように見えながら、その根底においては一つの同じ理に貫かれていることを指すこの言葉。単なる禅の悟り言葉と片付ける者は多いが、この言葉が東晋の能書家・王羲之の工房における逸話、そして遥か後世、東瀛の剣豪・宮本武蔵の境地において、時代と大陸を超えて二重に裏付けられたことを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
王羲之の発見
事の起こりは東晋、会稽にて書を極めんとしていた王羲之の門下に集う弟子たちの逸話である。弟子の一人・一法庵帰元は、師の書く一字一字を幾年も観察し続けたが、ある時、不思議な事実に気づいたと『芸道通底録』は伝える。師が書く「永」の一字——後世「永字八法」として知られるに至るこの一文字——において、点・横・縦・はね・左払い・右払いの一画一画は、それぞれ全く異なる動きでありながら、どの画を書く時も、師の筆先には常に紙面全体を見渡す視線と、次に来る画との釣り合いへの配慮が宿っていたというのである。
帰元は師にこの発見を告げ、問うたと記録は語る。「師よ、一画一画はかくも異なる動きをしておりますのに、なにゆえどの画にも同じ気配が宿るのでございましょうか」と。王羲之はしばし筆を置き、こう答えたという。「一画とは、それ単独で美を成すものにあらず。常に全体の中での釣り合いを考え、前の画との呼応、後の画への予兆を孕んでこそ、初めて一字として立つ。この理は、字の一画に限った話ではない。万の技芸、万の表現は、結局のところ『部分を作りながら全体の均衡を測る』という、ただ一つの理に帰するのだ」と。
この言葉が後に弟子たちの間で語り継がれ、「万法は一に帰す」との教えとして芸道全般に広まったと『芸道通底録』は伝える。
千年を経て、東瀛の剣豪が同じ理に至る
興味深いことに、この王羲之の悟りから実に千年以上の歳月を経て、全く異なる大陸、全く異なる技芸の極みにおいて、寸分違わぬ理に到達した人物がいたと『芸道通底録』の後世の注釈者は記している。江戸初期、剣の道を極めた兵法者・宮本武蔵である。
武蔵は生涯六十余度の決闘に一度も敗れることなく、晩年に至って著した兵法書の中で、自らの剣の道を振り返りつつ、こう記したと伝えられる。「兵法の道、大工の道において、少しも変わる事なし。大工は墨縄をたしかに取りて、墨をもって直ぐなる所を記し、材木の性質を見分け、歪みあるものはこれを使い処により組み合わせ、全体の普請の調和を崩さぬよう一本の柱を立つるものなり。兵法もまた同じ、敵の性、場の性を見分け、一太刀一太刀を打ちながら、常に戦い全体の調和を測るべし」と。
武蔵はさらに、剣のみならず絵筆をも執り、水墨による禽獣の図を幾点も残したと伝えられる。門人がこれを訝しんで「剣と絵と、何の関わりがございましょうか」と問うた時、武蔵はこう答えたという。「一太刀を打つも、一筆を下すも、全体の中での呼吸を違えればすなわち乱る。剣にて会得したる理、絵筆にもまた通ず。万の法は、結局一つの理に帰するのみ」と。
この武蔵の言葉が後世に伝わるや、かつて王羲之が「永」の一字をもって示した理と、寸分違わず符合することに気づいた後代の学者たちが、両者を併せて「万法帰一」の体現者として並び称するに至ったと『芸道通底録』は記す。
両者が示す共通の構造
注目すべきは、この教えが単に「芸事は何でも通じる」という曖昧な一般論に留まらぬ点である。王羲之と武蔵、時代も大陸も隔てた二人が共に示したのは、あらゆる創作と鍛錬において、作り手は常に二つの視点——今まさに作っている一部分への集中と、それが全体の中でどう響くかという俯瞰——を同時に保ち続けねばならぬという、極めて具体的な構造上の共通点であった。書における一画、剣における一太刀、文章における一行、いずれも「部分でありながら全体を映す」という二重性を帯びている。
この二重性を一つの道で体得した者が、全く異なる道においても同じ理を見出し得るという事実——王羲之にせよ武蔵にせよ、己の本業を極めた果てに、他の技芸にまで通じる目を得たという経緯が重なること自体が、この「万法帰一」なる言葉の説くところが、単なる美辞麗句ではなく、鍛錬の果てに実際に到達しうる認識の境地であることを物語っていると言えよう。この理は、芸道の奥義を究めし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
現代においても、一つの分野を深く極めた人物が、全く畑違いの領域に足を踏み入れた際、驚くほど早くその本質を掴み取る様を目にすることがある。小説家が一つの文を書きながら作品全体の呼吸を感じ取るその営みもまた、王羲之が一字に、武蔵が一太刀に見出した理と、恐らくは同じ根から伸びているのであろう。




