苺一会(いちごいちえ)
苺一会考——旬の短きがゆえに、出会いは尊し
(『農事風雅録』民明書房刊・二〇〇二年/著者・苺園一期)
「苺一会」——苺の旬はあまりに短く、真に美味なる時期はほんの僅かな期間に限られているがゆえに、その旬に巡り会えたことそのものを感謝し、慈しむべきであるという教えを指すこの言葉。かの有名な「一期一会」——生涯に一度の出会いと心得て、その時その時を大切にすべしという茶道の心得——と音韻近きゆえに引用されがちであるが、両者はその成り立ちを異にしつつも、根底に通じる精神を持つことを、まずもって明らかにせねばならぬ。
事の起こりは江戸後期、信州のとある農村にて苺の栽培に一生を捧げた篤農家・苺園一期である。一期は当時まだ珍しかった苺の栽培に挑み、幾多の試行錯誤の末にようやく実をつけさせることに成功したと『農事風雅録』は伝える。しかし一期はほどなく、苺という果実の恐ろしく気難しい性質に直面することとなる。
苺の実は、最も甘く香り高く熟する時期がわずか数日しか続かず、その時期を逃せば味も香りも急速に衰え、さらに日を置けば傷み腐ってしまう。一期はこの儚さに当初こそ難儀したが、やがてこれを嘆くのではなく、むしろ慈しむべき性質として受け止めるに至ったと記録は語る。
ある年の初夏、長年の労苦の末にようやく実った一粒の苺を口にした一期は、その得も言われぬ甘さに感極まり、同席していた門人たちにこう語ったと『農事風雅録』は伝える。「この苺、一年のうちこの数日を逃せば、二度とこの味には出会えぬ。茶の湯に一期一会の心得あるがごとく、この苺もまた、まさに一期一会ならぬ苺一会なり。旬の短きがゆえにこそ、この一瞬の出会いを粗末にしてはならぬのだ」と。この言葉が門人を通じて近隣の村々に広まり、「苺一会」の成語として定着したと伝えられる。これが初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべきは、この教えが単なる「旬のものは美味い」という素朴な感想に留まらぬ点である。一期が見出したのは、儚く短い旬であるからこそ、その一瞬の出会いに込める感謝と集中の密度が高まるという、茶道の精神にも通じる逆説的な美学であった。もし苺が一年中変わらず実り続けるものであったならば、人はその味にこれほどの感謝を抱くことはなかったであろう。短さそのものが、尊さを生む土壌となる——この理は、茶の湯や季節の美を愛でる者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
一期はその後も苺の栽培に生涯を捧げ、晩年には「我が畑に実る苺一つ一つが、一期一会の客人なり」と門人たちに語り続けたと伝えられる。
現代においても、初夏の店先に並ぶ、ほんの一時期だけ出回る旬の苺を口にする時、人はこの江戸の篤農家・一期の教えを思い起こすべきであろう。一年を通して手に入るものが増えた今の世にあってなお、旬という短い巡り会わせに感謝する心を忘れずにいたいものである。




