七店抜刀(しちてんばっとう)
七店抜刀考——実あれど怒りに刃を抜きし者の流転
(『商賈流転記・異聞』民明書房刊・一九九五年/著者・七転八起堂)
「七店抜刀」——確かな実力を持ちながらも、些細なことで激昂しやすく、行く先々の店で騒動を起こしては暇を出され、店から店へと渡り歩く羽目に陥ることを指すこの言葉。先述の「七店発揮」が忍耐と適材適所の末に大成する美談であるのに対し、この「抜刀」は、実力ある者が己の短気ゆえにその力を活かしきれず、同じ轍を踏み続けるという、いわば裏面の教訓を示す成語であることは言うまでもない。
事の起こりは明代、同じく江南の商都・蘇州にて奉公していた一人の若者・抜刀丸の逸話である。抜刀丸は算盤の腕、交渉の弁舌、いずれをとっても抜きん出た才を持つ奉公人であったと『商賈流転記・異聞』は伝える。主人からも当初は大いに期待され、将来を嘱望される奉公人であったという。
ところがこの抜刀丸、いささか堪忍の緒が細く、客や同僚から些細な難癖をつけられただけで、たちまち顔色を変えて激昂する性癖があった。最初に奉公した米問屋では、客との値引き交渉のもつれから殴り合いの喧嘩に発展し、二軒目の呉服店では、同僚の何気ない軽口に激高して店の反物を蹴散らし、三軒目の骨董商では、鑑定を疑われたことに腹を立てて客の目の前で棚を薙ぎ倒すという有様であったと記録は語る。
以後も抜刀丸は油屋、両替商、茶葉商と次々に奉公先を変えたが、いずれの店でもその優れた才覚が認められる前に、決まって何らかの諍いを起こし、店の暖簾に泥を塗る形で追い出されてしまったという。七軒目の紙問屋に至っては、入店してわずか十日で得意先との些細な口論から殴打騒ぎを起こし、主人が謝罪と弁済に奔走する事態にまで発展したと『商賈流転記・異聞』は伝える。
この紙問屋の主人が、抜刀丸を送り出す際にこう嘆じたという。「そなたの才、まことに惜しむべし。されど七つの店を渡り歩きてなお、その怒りの短さだけは些かも直っておらぬ。これでは、いかなる才も宝の持ち腐れよ」と。この一件が蘇州の商人仲間に伝わり、「抜刀丸は七店にて抜刀せり」との評判が広まり、これが「七店抜刀」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべきは、この故事が「七店発揮」と表裏を成しながらも、全く異なる教訓を含む点である。七蔵の流転が己に合う場を見出すまでの必要な回り道であったのに対し、抜刀丸の流転は、いかなる場に移ろうとも本質的な問題——短気という己自身の性分——が解決されぬ限り、同じ失敗を無限に繰り返すに過ぎぬという、より厳しい戒めを含んでいる。場所を変えることは問題の解決にはならず、己の内なる短気と向き合わぬ限り、才は永遠に活かされぬままである——この教えは、処世の道を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
抜刀丸のその後については諸説あるが、晩年に至ってようやく怒りを抑える術を身につけ、遅まきながら小さな店を構えるに至ったという説と、生涯にわたり転々とし続けたという説の両方が伝わっている。
現代においても、確かな能力を持ちながら、職場での怒りの制御ができず、転職を繰り返す人物は少なくない。かかる時、人はこの明代の奉公人・抜刀丸の逸話を思い起こすべきであろう。場所を変えることのみに解決を求める前に、まず己の刃をいかに鞘に収めるかを学ばねばならぬのである。




