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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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神障膨大(しんしょうぼうだい)

神障棒大考——神罰の重さ、人智の及ばぬところ

挿絵(By みてみん)

(『祭祀畏敬録』民明書房刊・一九九〇年/著者・畏神堂棒大)


「神障膨大(しんしょうぼうだい)」——神の下す罰・祟りというものは、人間の想定をはるかに超えて途轍もなく大きいことを指すこの言葉。単なる迷信の戒めと侮る者は多いが、この成語が殷代の祭祀制度における、ある不敬事件の顛末に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。


事の起こりは殷代、祭祀を司る一族の末裔・畏神堂棒大(いしんどうぼうだい)が仕えていた邑の逸話である。この邑では代々、山中に祀られた神への供物を絶やさぬことが厳格な掟とされていたが、ある年、邑を治めていた若き族長が「かかる古き習わしに、いかほどの意味があろうか」と嘯き、供物の量を密かに減らすよう命じたと『祭祀畏敬録』は伝える。


棒大はこの族長の決定に幾度も諫言を試みた。「神の怒りは、我らの目に見えぬところにて積み重なり、いざ発する時には、いかなる備えをもってしても防ぎ得ぬほどの大いさとなりて現れましょう」と説いたが、族長はこれを「祭祀職の権威を守らんがための脅し」と一笑に付したという。


供物を減らして三年が過ぎた頃、この邑を未曾有の大干魃が襲ったと記録は語る。それも尋常な干魃ではなく、隣接する幾つもの邑々を巻き込む規模のものであり、川という川が涸れ果て、作物という作物が枯死する惨状であったという。棒大はこの様を目の当たりにし、族長にこう述べたと『祭祀畏敬録』は伝える。「見られよ、これが神の障りなり。我らが怠りし供物は僅かなものであったが、その罰は邑一つの及ぶところにあらず、周辺すべてを呑み込むほどの大いさとなりて返って参った。まさに神障は棒の如く大なり」と。これが「神障棒大」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。


注目すべきは、この故事が単に「神を敬わねば罰が当たる」という素朴な教訓に留まらぬ点である。棒大が説いたのは、怠りや不敬というものが、当初はごく些細なものに見えても、それに対する報いは決して等分の大きさに収まらず、しばしば原因をはるかに凌駕する規模で現れるという、因果の不均衡そのものへの畏れであった。小さな手抜かりが、取り返しのつかぬ大災厄として跳ね返ってくることもある——この「原因と結果の非対称性」への戒めこそが、この成語の核心であることは、祭祀思想を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。


族長はこの大干魃の後、深く己の不明を悔い、以後は棒大の助言に従って祭祀を厳格に執り行うようになったと伝えられる。棒大はこの一件を後世に伝えるべく、「神の障りは棒の如く大なり、侮る勿れ」との戒めを一族の家訓として残したという。


現代においても、些細な手抜きや慢心が、思いもよらぬ規模の災いとなって返ってくることは少なくない。かかる時、人はこの殷代の祭祀官・棒大の戒めを思い起こすべきであろう。神罰であれ、天災であれ、あるいは日々の不注意の積み重ねであれ、その報いというものは、しばしば人智の及ばぬほどの大いさをもって現れるのだから。

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