天跡未踏(てんせきみとう)
天跡未踏考——神すら踏み込まざる加護なき果ての地
(『異境絶域録』民明書房刊・一九九一年/著者・絶地行者無天)
「天跡未踏」——いかなる神仏の加護をも期待し得ぬ、天の神々ですら一度たりとも足を踏み入れたことがないと恐れられる、想像を絶する辺境の地を指すこの言葉。単なる「人跡未踏」の誇張表現と片付ける者は多いが、この成語が古代中国の西域探検史における、ある求道僧の壮絶な経験に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
事の起こりは南北朝時代、仏法を求めて西域への旅を志した一人の求道僧・無天である。無天は幾多の高僧が説く経典に飽き足らず、「天地開闢以来、いかなる神仏の教化も及ばざる地」があるという伝聞を頼りに、西域のさらに奥、崑崙山脈を越えた先の荒野へと単身足を踏み入れたと『異境絶域録』は伝える。
無天が辿り着いたその地は、後世の記録者をして「筆舌に尽くし難し」と言わしめるほどの凄惨な光景であったという。灼熱の砂漠と極寒の岩山が隣り合い、一木一草すら生えず、風は絶え間なく怪しき唸り声を上げ、昼夜を問わず砂塵が視界を閉ざし続けたと記録は語る。無天はこの地にて、道中で唱え続けてきたいかなる経文も、いかなる祈りも、この地においては一切の効力を発揮しないことを悟ったという。
無天は同行していた従者にこう漏らしたと『異境絶域録』は伝える。「これまで越えてきたる砂漠、山岳には、いずこにも土地の神、あるいは仏法の加護の名残が僅かなりとも感じられたるものを、この地にはそれすらもない。恐らくはいかなる天の神々も、この地にだけは一度として足を踏み入れたることがないのであろう」と。この言葉が後に無天の弟子によって書き留められ、「天の跡すら未だ踏まざる地」、すなわち「天跡未踏」として語り継がれるに至ったのである。これが初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべきは、この言葉が単に地理的な辺鄙さを誇張するものではない点である。「人跡未踏」が人間の到達の有無を問う言葉であるのに対し、「天跡未踏」はより根源的に、その地に一切の秩序・加護・意味づけが及んでいないことを指す、いわば絶対的な無縁の地を示す言葉であった。神仏の加護が及ばぬということは、善悪の理も、因果の理すらもこの地には通用せぬということであり、そこは文字通り人知を超えた無秩序の領域であった。この「加護の不在」という概念こそが、この成語の恐ろしさの核心であることは、宗教地理学を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
無天はこの地に三日三晩留まった後、命からがら西域の集落まで戻り着いたと伝えられるが、以後二度とこの地に足を向けることはなかったという。晩年の無天は弟子たちにこう語り継いだと伝えられる。「世には、いかなる信仰も、いかなる祈りも届かぬ地がある。それを知りしのみでも、我が旅は無駄ではなかった」と。
現代においても、いかなる救済も秩序も及ばぬかと思われるほどの凄惨な状況——天災の爪痕、あるいは人の手による荒廃の極み——を目の当たりにした時、人はこの南北朝の求道僧・無天が見た、神すら踏み込まざる地の逸話を思い起こすことがあるかもしれぬ。天跡未踏とは、単なる辺境ではなく、加護という概念そのものが意味を失う、人知の最果てを指す言葉なのである。




