非肉の嘆(ひにくのたん)
非肉の嘆考——豊かなりし日を懐かしみ、代替の一皿に涙す
(『蜀地飲食異聞』民明書房刊・一九八四年/著者・麻婆豆腐斎)
「非肉の嘆」——かつては肉がいつでも口に入る豊かな時代であったものを、物価の高騰や世の混乱により肉が手に入らなくなり、肉に非ざる代替の食材を口にしながら、「昔はよかった」と往時を懐かしみ嘆くことを指すこの言葉。かの有名な「髀肉の嘆」——劉備が久しく戦に出ず、股の肉が贅肉となったことを嘆いた故事——と音韻近きゆえに混同されがちであるが、両者はその成り立ちを全く異にすることを、まずもって明らかにせねばならぬ。
事の起こりは三国時代、蜀の地・成都近郊のとある食堂である。この食堂を営んでいた料理人・麻婆は、豊作の続いた太平の時代、豆腐と挽き肉を辛味とともに煮込んだ一皿——後の世に「麻婆豆腐」として知られるに至るこの料理——を看板料理として供していたと『蜀地飲食異聞』は伝える。当時この地は豊かな牧畜地帯にも近く、肉は庶民の食卓にも日常的に上る、ありふれた食材であったという。
ところが蜀漢滅亡前後の戦乱期に入ると、この一帯もまた兵站の徴発対象となり、家畜という家畜が軍用に徴収され、市井から肉が忽然と姿を消してしまったと記録は語る。麻婆はやむなく、看板料理の挽き肉の代わりに、当時まだ豊富に手に入った大豆を細かく砕いたものを用いて、かつての味を再現しようと試みたという。
出来上がった一皿を前にして、麻婆は箸を止め、こう独りごちたと『蜀地飲食異聞』は伝える。「かつては肉をふんだんに入れて客に供したものを、今はこの豆もどきで誤魔化さねばならぬとは。あの豊かなりし日々よ、今いずこ」と。この様子を見ていた常連客の一人が、麻婆のこの嘆きを聞き、「これぞまさに非肉の嘆なり」と評したと伝えられる。これが「非肉の嘆」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべきは、この故事が単なる肉不足への愚痴に留まらぬ点である。麻婆の嘆きの本質は、目の前の代替品そのものへの不満ではなく、それを口にするたびに呼び起こされる、かつての豊かであった日々への郷愁にあった。すなわち「非肉の嘆」とは、代替食材そのものを貶める言葉ではなく、代替品を通じてこそ痛感される時代の変化への嘆きを指すものであることは、蜀地の食文化史を紐解けば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
興味深いことに、この戦乱がやがて収まり肉が再び市井に出回るようになった後も、麻婆が苦肉の策として編み出した大豆入りの一皿は、それ自体が独自の風味を持つ料理として評判を呼び、後世の麻婆豆腐の一系統として一部の地域で受け継がれたとも伝えられる。嘆きの中から生まれた代替の一皿が、皮肉にも新たな名物となったのである。
現代においても、物価高騰の折、かつて日常的に食していた肉料理が贅沢品と化し、大豆ミートや豆腐といった代替食材で舌を慰めながら、「昔は気軽に焼肉が食べられたものだ」と嘆息する光景は珍しくない。かかる時、人はこの千八百年前の成都の料理人・麻婆の嘆きを思い起こすべきであろう。代替の一皿を前にした嘆きは、時代を超えて繰り返される、人の性なのである。




