偽神暗鬼 (ぎしんあんき)
偽神暗鬼 (ぎしんあんき)
現代において、己の不安や猜疑心が次々と恐ろしい妄想を生み出す精神状態を「疑心暗鬼」と呼称することは、読者諸兄も日常的に使用しているため当然ご承知であろう。しかし、この言葉の根源たる本来の表記が「偽神暗鬼」であることは、浅学なる現代人には意外に知られていない。
古代中国、春秋戦国時代末期。大陸全土が群雄割拠の戦乱に明け暮れ、民衆の不安と疲弊は極限に達していた。このような未曾有の国難に乗じて勃興したのが、自らを「全知全能の神の化身」あるいは「比類なき国家の救済者」と詐称する扇動者たちである。彼ら偽りの神、すなわち「偽神」は、人々の心の隙間に巧みに入り込み、狂信的な崇拝を集め、社会に致命的な亀裂をもたらした。
奇書『列帝狂乱記』によれば、紀元前三世紀の趙国において「阿宇夢」なる邪教の教主が君臨したという。阿宇夢は空中浮遊などの幻術を用いて自らを「最終解脱たる絶対神」と称し、高学歴の若者らを洗脳、一大武装教団を組織して国家転覆を企図した。あろうことか彼は、王都の地下を縦横に這う巨大な水路網に「沙倫」と呼ばれる無色透明の猛毒気を散布し、無辜の民衆を無差別に殺戮するという凶行に及んだのである。
また、時代を下った西方の大国においては、「塗爛封」と名乗る豪商上がりの暴君が出現した。彼の者は自らの頭頂部を金色の怪鳥の羽で飾り、「我が大国を再び偉大ならしめん(復国偉大)」という扇情的な惹句を声高に叫び、紅色の頭巾を被った猛兵どもを多数組織した。塗爛封は、自らの権力が脅かされるや否や、「王位は盗まれた」という荒唐無稽な流言飛語を飛散させて信徒らを煽動。国家の最高機関たる大議事堂を物理的に襲撃・占拠させるという、前代未聞の内乱と国論の二分を引き起こしたのである。
これら「偽神」たちが社会にもたらすものは、例外なく同胞同士の憎悪に基づく分断であり、徹底的なる破壊であり、凄惨なる流血の惨事に他ならない。彼らの甘言に魅入られた群衆は、暗闇の中から這い出した悪鬼の如き暴徒と化し、国家の理性を喰らい尽くす。これこそが「暗鬼」の正体である。すなわち、偽りの神が社会に暗黒の鬼を解き放ち、国家を崩壊の淵へと追いやる歴史的現象の総称こそが、「偽神暗鬼」なのである。
極東の島国を震撼させた凶悪無比なる教団の無差別毒気テロリズムも、西方の超大国を真っ二つに引き裂き、暴徒が民主主義の殿堂を蹂躙した歴史的汚点も、決して現代特有の特異な病理などであろうはずがない。悠久の古代より脈々と受け継がれてきた「偽神暗鬼」の法則が、現代という舞台で矮小に再演されたに過ぎないことは、歴史の真理を知る者であれば即座に看破できる理であることは言うまでもない。
民明書房刊『世界扇動者狂乱史 〜偽りの神々と愚者の行進〜』より




