鬼憂(きゆう)
鬼憂考——負けざる者が負けを憂うる真意
(『武人心得抄』民明書房刊・一九七九年/著者・憂鬼庵主人)
「鬼憂」——取り越し苦労、すなわち起こりもせぬ悪しき結末を先んじて憂い、思い悩むことを指すこの言葉。単なる杞憂の類義語と侮る者は多いが、この成語が、生涯無敗を誇りながらも常に敗北の可能性を憂い続けたという、ある武人の逸話に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
事の起こりは南北朝の争乱期、その武勇のあまりの凄まじさより「鬼人」の異名をとった一人の武将、憂鬼庵である。憂鬼庵は幾多の戦場を渡り歩きながら、生涯にわたり一度たりとも敗北を喫したことがなかったと『武人心得抄』は伝える。その膂力と武略は敵味方双方より畏怖され、その名を聞いただけで戦意を喪失する敵将すらいたという。
ところがこの憂鬼庵、戦の前夜には決まって陣幕の中でひとり眉根を寄せ、夜通し何事か思案に耽る癖があったと記録は語る。従者がその様を訝しみ、ある時こう尋ねたという。「将軍は未だかつて一度も敗れたることなきに、何をそれほど憂えておられるのですか」と。
憂鬼庵はこの問いにこう答えたと伝えられる。「我が勝ち続けしは、勝つと信じて驕りしゆえにあらず。むしろ常に負けたる後の有様を思い描き、その時いかにして態勢を立て直すか、いかにして次善の策を打つかを、寝ずして考え抜いてきたるがゆえなり。負けを憂えぬ者こそ、いずれ真に負くるものぞ」と。
この一言が晩年の憂鬼庵の口から諸将に伝えられ、後世「鬼人と呼ばれし武人ですら、負けを憂いて心を砕いておられたのか」との驚嘆とともに語り継がれたと『武人心得抄』は記す。これが「鬼憂」の初出であることに、もはや疑いの余地はない。
注目すべきは、この故事が単なる悲観主義や自信のなさを説くものでは断じてない点である。憂鬼庵の憂いは、根拠なき不安に振り回される取り越し苦労とは似て非なるものであり、むしろ最悪の事態を具体的に想定し、その対応策までも用意しておくという、極めて能動的かつ実践的な思考であった。この「起こりうる敗北を憂うることで、真の敗北を遠ざける」という逆説的な知恵こそが、鬼憂という言葉の本質であることは、武人の心得を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
しかるに後世、この言葉が広まるにつれ、憂鬼庵の思考の「行動を伴う憂い」という核心部分が失われ、ただ根拠なく悪しき結末を思い煩うばかりの状態——すなわち今日いう「取り越し苦労」を指す言葉へと、その意味合いが軽く転じてしまったことは、いささか残念な語義の変遷であると『武人心得抄』の著者は嘆いている。
現代においても、実力ある者ほど、あるいは順調な局面にある者ほど、あえて最悪の事態を思い描き、その対策を練っておくことの重要性は変わらない。ただし憂鬼庵の教えが説くのは、ただ漫然と負けを恐れることではなく、負けた先の一手までも用意しておくことである。この違いを弁えぬまま憂うるのみに終始するならば、それはもはや鬼憂ならぬ、ただの杞憂に過ぎぬのである。




