霧筍(むじゅん)
霧筍考——見かけの巨大障害、その実は触れれば消ゆるもの
(『幻怪地誌録』民明書房刊・一九七八年/著者・霧堂朦朧斎)
「霧筍」——一見して越え難き巨大な障害に見えながら、実際に踏み込んでみれば何の実害もなく、いともたやすく通り抜けられる物事を指すこの言葉。単なる幻覚や錯覚の逸話と片付ける者は多いが、この成語が古代中国のとある山道に夜な夜な現れたと伝えられる怪異譚に由来することを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
事の起こりは、いずれの時代とも判然とせぬが、中原と西域を結ぶ交易路の一角、深き渓谷を貫く山道に伝わる伝承である。この道には夜が更けると、道幅いっぱいを塞ぐほどの巨大な石筍——鍾乳石にも似た、天を衝かんばかりの石の柱——が忽然と出現すると『幻怪地誌録』は伝える。行商人や旅人はこの石筍を目にするや恐れをなし、夜間この道を通ることを固く避けるようになったという。中にはこの石筍を山神の化身、あるいは死者の祟りと信じ、日暮れとともに遠回りの道を選ぶ商隊すら現れる始末であった。
ある年、この道を頻繁に行き来していた武器商人・霧堂なる者があった。霧堂はある晩、商談の酒に酔い、帰路を急ぐあまり、かの噂の石筍が現れるという道を、恐れも知らず突き進んでしまったと伝えられる。案の定、道の中程にて件の巨大な石筍が眼前に立ちはだかったが、酔いに任せた霧堂は引き返すこともできず、そのまま前へと足を踏み出してしまったという。
次の瞬間、霧堂の身体は何の抵抗もなく、その石筍の中をすり抜けてしまったのである。驚いた霧堂が振り返って確かめてみると、そこにあったのは石でも岩でもなく、渓谷特有の冷気と暖気が入り混じって生じる、濃密な霧の柱であったと『幻怪地誌録』は記す。夜露と地形の妙により、遠目には石筍そのものの形状と質感を呈するこの霧の柱こそが、長年商人たちを恐れさせていた正体であったのである。
霧堂はこの一件を仲間の商人たちに語り、「かの石筍、その実は霧なり。触るれば通り抜くるのみにて、何の害もなし」と述べたと伝えられる。以後、この道を行き交う商人たちは夜間の通行を恐れなくなり、この逸話が「霧筍」という言葉として広まったのである。
注目すべきは、この故事が単なる怪異の正体暴きに留まらぬ点である。人々が長年この道を避け続けてきたのは、実際に被害に遭った者がいたからではなく、ただ「見た目の巨大さ・不気味さ」ゆえの恐怖が、検証されぬまま伝承として固定化されていたからに他ならない。実際に踏み込んで確かめた者が皆無であったがゆえに、幻影が実害ある障害として何年も語り継がれてしまったという事実は、風説というものの恐ろしさを物語ると同時に、この成語の核心を成すものであることは、幻怪の史書を紐解けば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
現代においても、着手する前から途方もなく困難・危険に見える案件が、実際に踏み込んでみれば拍子抜けするほど何の実害もなかったという経験は少なくない。かかる時、人はこの山道の石筍——その実は一片の霧に過ぎなかった——の逸話を思い起こすべきであろう。恐れて遠回りを続ける前に、酔ってでもよいから一度踏み込んでみれば、それが霧筍であったと知れることもあるのだから。




