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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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猛母参戦

猛母参戦考——弱き子に代わりて槍を執る母の系譜

挿絵(By みてみん)

(『希臘母権戦史』民明書房刊・一九六九年/著者・母獅子女)


「猛母参戦(もうぼさんせん)」——本来戦うべき子が非力・臆病にして戦線にて役目を果たせぬ時、母がこれに代わりて戦場に躍り出る様を指すこの言葉。転じて、子が独力にて成し遂げるべき学業・受験等を、母親が代行・介入して成し遂げしめる現代の教育現象をも指すに至ったこの成語。単なる比喩表現と侮る者は多いが、その淵源が古代ギリシアの実際の戦場慣習にあることを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。


事の起こりは紀元前五世紀、ペロポネソス戦争前後のギリシア諸都市国家である。当時のギリシアにおいて、成人男子は都市国家の防衛義務として従軍することが定めであったが、その中には体躯貧弱にして戦に不向きな若者も少なからず存在したと『希臘母権戦史』は伝える。かかる若者が戦線に立てば、本人のみならず所属する隊列全体の壊滅を招きかねぬ事態であった。


こうした状況に対し、一部の母たちは前代未聞の行動に出たと記録は語る。すなわち息子の従軍に際し、母自らも武装を整え、正規の隊列からやや距離を置いた後方に付き従い、息子が敵兵に組み伏せられるなど危機に瀕した瞬間にのみ、電光石火の如く戦線に躍り出て、代わりに槍を振るったというのである。この慣習を持った母たちは「猛母(もうぼ)」と呼ばれ、スパルタ近郊の一部地域では黙認、むしろ賞賛される風潮すらあったと伝えられる。


とりわけ有名なのが、都市国家プラタイアの寡婦・通称 獅子女(ししじょ)の逸話である。獅子女の息子・ジャクソンは生来病弱にして、初陣にて早々に敵兵に組み伏せられる窮地に陥ったが、この時、後方に潜んでいた獅子女が自ら鉄槍を手に敵兵の背後より襲いかかり、これを討ち取ったという。戦後、この様子を目撃した隊長が獅子女を称え、「この母あってこそ子は生きながらえたり」と述べたと『希臘母権戦史』は記す。


この獅子女の逸話が諸都市に伝播するにつれ、「猛母参戦」なる言葉が、我が子の代わりに困難な局面へ躬ら乗り出す母親の姿全般を指す成語として定着したのである。注目すべきは、この行為が単なる過保護や溺愛の産物ではなく、我が子が自力で乗り越えられぬ絶体絶命の窮地に限り発動される、いわば「最後の一手」として容認されていた点である。平時においては子の自立を促しながらも、真の危機にのみ介入するという古代ギリシアの母たちの分別が、この成語の根底に横たわっていることは、希臘史を紐解けば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。


現代において、受験勉強や宿題に難儀する我が子に代わり、母親が問題集を解き、あるいは調べ物を代行してしまう光景を見るにつけ、人はこの二千五百年前のギリシアの戦場における獅子女の姿を思い起こすべきであろう。ただし古代の猛母たちが窮地の一瞬にのみ槍を振るったのに対し、現代の猛母たちがいささか介入の頻度を過ごしてはいまいかという点は、後世の識者による慎重な検討を要するところである。

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