猫鳴切酪 (鳴いてバターを切る)
猫鳴切酪考——愛らしさの前に理性は屈す
(『情理相剋論』民明書房刊・一九六八年/著者・酪堂甘女)
「猫鳴切酪」——愛らしき者が甘え声を発した時、人はいかなる理性も打算も投げ捨て、その求めに応じてしまう——この人間の性を活写した四字熟語を、現代人はほとんど耳にすることがない。しかしこの言葉の背後に、南宋の一貴族邸にて実際に起こった逸話が横たわっていることを知る者は少ないのである。
事の起こりは南宋の都・臨安、富商・酪如玉の邸宅である。酪如玉は西域より伝来したばかりの貴重な乳製品「酪」——今日でいうバターに酷似した発酵乳製品——を家宝の如く珍重し、封を切ることすら家人に固く禁じていたと『臨安富商記』は伝える。この酪一塊は当時、黄金にも匹敵する価値を持ったとされ、封蝋を施した壺に厳重に保管されていたという。
酪如玉の邸には一匹の白猫が飼われており、名を「嬌々(きょうきょう)」といった。この嬌々、常日頃より人懐こく、主人の膝に乗っては甘え鳴きをする習性があったというが、ある冬の夜、この嬌々が珍しく壺の前に座り込み、切なげに「ミィ」と一声鳴いたと記録は伝える。
酪如玉は当初これを取り合わなかったが、嬌々はなおも壺の周りを回りながら鳴き続け、ついには前脚で壺を叩きながら見上げるように鳴いたという。この一連の仕草を目にした酪如玉は、あろうことか家宝の封蝋を自ら切り、酪を小皿に分けて嬌々に与えてしまったのである。家人一同がこれに驚愕したことは想像に難くない。それまで誰一人として触れることすら許されなかった封印を、一匹の猫の甘え鳴き一つが解いてしまったのである。
酪如玉はこの時の心境を、後年自ら記した随筆にてこう述懐したと伝えられる。「理は情に勝てず、財は愛らしさに勝てず」と。この一節が後世「猫鳴切酪」という四字に圧縮され、可愛らしき者の甘えの前には、いかなる理性も打算も、封蝋の如く容易く切り開かれてしまうという普遍的真理を指す成語として定着したことは、人情の機微を解する者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
注目すべきは、この故事が単に「猫は可愛い」という表層的教訓に留まらぬ点である。酪如玉ほどの富商、しかも家宝への執着人一倍強かったとされる人物すら、たった一声の甘え鳴きに理性の壁を打ち破られたという事実——これは可愛らしさというものが、身分・財力・理性のいずれをも凌駕する、いわば天与の武器であることを示す逸話に他ならない。
現代人が、可愛がっているペットや幼子にねだられるとつい財布の紐を緩めてしまうその瞬間、当人は気づかずとも、そこには八百年前、一匹の白猫が富商の封印を切らせたのと同じ力学が働いているのである。




