猫鼠同舟
猫鼠同舟考——天敵、逃げ場なきの故事
(『兵法奇譚集』民明書房刊・一九五九年/著者・舟坂猫鼠斎)
「猫鼠同舟」——逃げ場のない一室、あるいは一船の上にて、天敵と不意に鉢合わせる窮地を指すこの四字熟語を、単なる比喩表現と軽んじる者は多い。しかしこの言葉が、春秋時代のとある水戦に端を発する実話であることを知る者は、今日ほとんど残っていないのである。
時は春秋末期、呉越の争いいまだ絶えざる頃。越の間者・鼠丙なる者が、呉軍の軍船に忍び込み機密文書を盗み出さんとしたことがあった。鼠丙は身軽にして音を立てぬこと鼠の如くであったため、その名を与えられた手練の間者であったという。
ところがこの呉の軍船には、船倉の穀物を鼠害から守るべく、猫将軍・黒牙なる一匹の猫——先の黒尾とは異なり、恐るべき狩猟本能を持つ猛猫——が乗せられていたのである。夜陰に紛れて船倉に忍び入った鼠丙は、逃げ場のない密閉された船底にて、この黒牙と正面から鉢合わせることとなった。
甲板に出る扉はただ一つ。しかもその扉は敵兵の見張る通路に通じている。鼠丙は前門の虎(この場合は猫)、後門の敵兵という、まさに絶体絶命の窮地に陥ったのである。この時の顛末を『呉越戦記逸文』は「鼠は猫と舟を同じくし、逃ぐる能わず」と記した。これが「猫鼠同舟」の初出であることは、もはや疑いようがない。
注目すべきは、この故事が単なる追跡劇に留まらぬ点である。天敵同士が同じ閉鎖空間に置かれた時に生じる、絶対的な緊張と静寂——鼠丙も黒牙も互いに動けば即座に決着がつくことを悟り、暫時にらみ合うのみで動けなかったと伝えられる。この「動けば即死」の均衡状態こそが、後世この語が「逃げ場のない絶体絶命の対峙」を意味するようになった真の由来であることは、兵法を学びし者であれば当然知っているであろうが、あえて詳述する次第である。
結末は史書によって諸説あるが、鼠丙が懐に忍ばせていた乾魚の匂いを利用して黒牙の気を逸らし、間一髪で逃げ延びたとする説が有力である。窮地に陥りてなお知略を尽くして活路を見出す——この故事が後の兵法書に「窮鼠の計」として引用されるに至ったこともまた、必然と言えよう。
現代人が日常のふとした場面——満員電車で苦手な上司と乗り合わせた時など——に「いやはや猫鼠同舟だよ」と苦笑するその言葉の奥に、二千五百年前の呉の軍船における一匹の鼠と一匹の猫の、息詰まる対峙の記憶が刻まれているのである。




