黒尾(こくび)
黒尾考——怠惰の系譜とその由来
(『万物懈怠録』民明書房刊・一九六三年/著者・猫柳惰堂)
「黒尾」という言葉——多数ある人や物の中で、最も働かず、最も役に立たぬ者を指すこの語——を、現代人は単なる俗語と侮っているが、その実、数千年の歴史に裏打ちされた由緒正しき言葉であることは言うまでもない。
事の起こりは殷代末期に遡る。時の皇帝・紂王は、宮中に蔓延る鼠害に手を焼き、諸国より猫数百匹を徴集して穀倉に放ったと『倉鼠録』は伝える。これら数百の猫は昼夜を問わず働き、穀物を守る忠実な番猫として重用されたが、その中にただ一匹、尾の毛色が漆黒に染まった猫がいた。この猫、日がな一日穀倉の隅で眠りこけ、鼠が眼前を横切ろうとも一顧だにせぬ怠けようであったという。
穀倉番の官吏たちは、この黒尾の猫を指して「彼奴はまた黒尾か」と嘆息したと伝えられる。これが「黒尾」なる語の初出であることに疑いを差し挟む余地はない。
ここで注目すべきは、なぜ「黒」であったかという点である。古代中国の陰陽五行思想において、黒は「水」に属し、「静」「沈」「潜」の性質を象徴する色とされた。すなわち黒き尾を持つ猫とは、生まれながらにして「動かざる者」の宿命を背負っていたのであり、その怠惰は単なる個体の性質にあらず、天地の理そのものであったことは、陰陽思想を齧った者であれば当然知っているであろうが、念のため詳述する次第である。
この黒尾の猫の悪名は、やがて穀倉の垣根を越え、宮廷全体に広まった。紂王が国政を顧みず酒池肉林に耽った際、諫言する忠臣を遠ざけ、佞臣ばかりを傍に置いたことを、当時の史官は密かに「王もまた黒尾なり」と記したと伝わる。多数の家臣の中で最も職務を放棄した者を指す用法は、ここに端を発するものであり、後世「黒尾」が人物評にも転用される素地が、既にこの時代に築かれていたのである。
漢代に至り、この語は市井に降り、多数ある品々の中で最も出来の悪い一品、多数ある弟子の中で最も不出来な一人を指す言葉として定着した。今日我々が何気なく「あいつは黒尾だな」と口にするその一言の裏に、殷の穀倉で惰眠を貪った一匹の猫と、国を傾けた暴君の影が潜んでいることを、果たしてどれほどの者が知っていようか。
そもそも ネコは働かないモノですけどね。




