参戦学員
参戦学員考 ―訓練の名のもと、戦場へと駆り出す兵法―
出典:『兵法異聞・裏三十六計大全』(著・欅田柾彦/民明書房刊・大正十四年)
一、定義
参戦学員とは、兵員の不足という切迫した現実を前に、正規の兵として募ることの叶わぬ者たちを「訓練生」「見習い」という穏当な名目のもとに集め、当人たちには実戦への参加という自覚すら十分に持たせぬまま、なし崩し的にそのまま戦場へと投入してしまうという、まことに非情な一計である。
正規兵として召集すれば、当人も家族も、死地へ赴くことの重みを覚悟せざるを得ぬ。しかし「学ぶ者」「訓練を受ける者」という名目を与えれば、当人はあくまで己を学生・見習いの身と信じたまま、いつしか気づけば最前線に立たされている。名目一つで、人の覚悟の在り方すら操ってしまう――これぞ本策の恐るべき点であることは、もはや言うまでもなかろう。
二、事例 ―総力戦の末期に現れた、最も苦い現実―
この策が最も先鋭化した形で現れた事例として、後世必ず引き合いに出されるのが、二十世紀の大戦末期、ドイツにおいて見られた兵員動員の実態である。戦局が悪化の一途を辿り、正規の成年男子による兵員が著しく払底したその末期、当局は年若き者や、本来であれば銃後にて後方支援に徹すべき者たちを、「訓練生」「補助要員」という名目のもとに次々と徴集した。彼らの多くは、自らを正規の戦闘要員としてではなく、あくまで訓練の途上にある身と信じていたと伝えられる。しかし戦況の逼迫は、そうした悠長な建前を許さなかった。訓練半ばの若者たちは、満足な実戦経験も、時に満足な装備すら与えられぬまま、書類上は「教育期間中」の身分のままで、そのまま前線へと投入されていったという。
三、日本における実例 ―学徒出陣と予科練―
なお、この参戦学員の構図は、決して遠い異国の一事例に留まるものではない。同時代の日本においても、これと驚くほど近い実態が、紛れもない史実として存在したことを、後世の我々は決して忘れてはならぬ。
昭和十八年(1943年)、戦局の悪化に伴い、それまで徴兵を猶予されていた大学・専門学校の文科系学生に対する猶予が停止され、多くの学生が学業半ばにして戦場へと送られた。世に言う**「学徒出陣」**である。彼らは「学生」という身分のまま、十分な軍事教育を受ける間もなく、次々と各戦線へと動員されていった。
さらに、より切実な形でこの構図を体現したのが、予科練(海軍飛行予科練習生)である。これは本来、少年たちに数年をかけて航空機搭乗員としての教育を施すための「練習生」制度であった。しかし戦局が逼迫するにつれ、当初数年を要した教育課程は幾度も短縮を重ね、末期にはごく短期間にまで圧縮された。「練習生」という名目のまま、満足な訓練期間すら与えられぬ十代の少年たちが、実戦機に乗せられ、中には帰還を期さぬ作戦に投じられた者も少なくなかったと伝えられる。
「学ぶ者」の名のもとに集められた者たちが、その名目とは裏腹に、最も過酷な現実へと投げ込まれていったこの史実は、洋の東西を問わず、総力戦というものが末期に至って必ず露呈させる、最も苦く、最も逃れようのない本質を、我々に静かに、しかし重く物語っているのである。
四、後世への影響 ―練習機で挑む、空の戦場―
なお、この歴史の記憶が、時を超えて実に思いがけない形で、戦後の日本の家庭用遊戯文化の中にその影を落としていることは、諸君も薄々察していることであろう。昭和六十年、任天堂よりファミリーコンピュータ用ソフトとして発売された縦スクロールシューティングゲーム『スカイキッド』において、プレイヤーが操縦する複葉機は、本来であれば実戦には投入され得ぬはずの、旧式にして華奢な練習機という設定であったと伝えられる。
にもかかわらず、この練習機は物語の中でそのまま敵基地への強襲、爆撃、空中戦といった、正規の戦闘機にすら匹敵する苛烈な実戦任務へと、なんの前置きもなく投入されることとなる。訓練のための機体が、訓練という建前をそのままに、本物の戦場へと連れ出されてしまう――この構図が、学徒出陣や予科練を経て若き命が戦場へと送られていった史実と、無関係ではいられぬことを、我々はこの遊戯を通じて、時に思い起こすべきなのかもしれない。
五、結び
「学ぶ者」という名目は、時として最も残酷な戦場への切符となり得る。名目の軽やかさと、現実の重さとの間に横たわる乖離を、当人にすら気づかせぬまま押し進めてしまうこの計は、いかなる時代、いかなる国においても、最も若く、最も弱い立場にある者から順に、その牙を剥いてきた。この歴史を、単なる兵法の一計として片付けるのではなく、二度と繰り返してはならぬ教訓として、静かに胸に刻んでおく必要があろう。
(民明書房刊)




