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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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股間金玉(こかん・きんぎょく)

股間金玉考 ―一点集中、意識を絡め取る兵法―

挿絵(By みてみん)

出典:『兵法異聞・裏三十六計大全』(著・欅田柾彦/民明書房刊・大正十四年)


一、定義


股間金玉(こかん・きんぎょく)とは、人体の急所とも言うべき一点に、あえて強烈な視覚的異物を配置することで、対峙する者の意識という意識をことごとくその一点へと吸い寄せ、本来払うべきであった他の警戒――足運び、間合い、周囲の状況判断――のすべてを、瞬間的に空白化せしめるという策である。


刃を交えるにあらず、力比べをするにあらず。ただ、人の視線と意識が本能的に「そこ」に釘付けにされてしまうという、人間という生き物の根源的な習性そのものを利用し尽くす、まことに姑息にして、しかし絶大な効果を誇る一計であることは、もはや言うまでもなかろう。


二、語源と起源


この策の起源として後世必ず引き合いに出されるのが、明代の武芸者**金玉延(きんぎょく・えん)**の逸話である。彼は非力な体躯ゆえに、正面からの力比べでは並みいる猛者に到底及ばなかったが、ある時、一つの奇策を編み出す。すなわち、対峙の直前、股間の一点にあえて金色に光る装飾具を纏い、これを相手の目線の高さに合わせて突き出すという、およそ武人らしからぬ立ち回りであった。


対峙した相手は、あまりの奇異な光景に思わず視線を吸い寄せられ、一瞬、完全に判断を止めてしまう。金玉延はその隙を見逃さず、体勢を崩された相手へと一気に間合いを詰めたと伝えられる。彼の弟子はこの技を「意識の急所を突く技」と称し、後世、股間の一点に人の目が否応なく引き寄せられるというこの現象そのものを、彼の名にちなみ**「股間金玉」**と呼び習わすようになったのである。


三、後世への影響 ―二十世紀、家庭用機の中に生きる古の理―


なお、この金玉延の哲学は、時を超えて実に思いがけない形で、二十世紀の遊戯文化の中にその姿を現すこととなる。昭和六十年に発売された家庭用ゲーム機用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』において、画面上部にレンガブロックの敷き詰められた特定の地下ステージでは、獲得コイン数を示す点滅するコインの表示位置に主人公を重ね合わせることで、股下からコインのアイコンがはみ出て見えるという光景を作り出すことができる。


股座に光るコインのアイコンがすっぽりと収まってしまうこの光景は、当時のプレイヤーの間で瞬く間に金玉と見立てられ、「キンタマリオ」の通称をもって語り継がれることとなった。この現象の恐るべき点は、単なる下世話な悪ふざけとして片付けるにはあまりに惜しい、金玉延の説いた**「一点集中、意識の空白化」**の理と、寸分違わぬ構造を有していることである。プレイヤーの意識は画面下部のステージ状況そのものよりも、まずこの股間の一点にことごとく吸い寄せられ、さらにこの状態からしゃがませることで生じる別の現象――俗に「ウンコマリオ」と呼ばれる派生技――にまで話題は及び、当時の子供たちの意識をひたすらこの一点のみに釘付けにし続けたと伝えられる。


一点の強烈な視覚的異物が、周囲すべての判断力を凌駕する。この現象があまりに広く知れ渡ったがゆえに、後年、漫画作品にてこのネタが扱われた際には出版元より正式な謝罪コメントが掲載されるという椿事にまで発展したことは、この一計の破壊力の大きさを何よりも雄弁に物語っていると言えよう。


四、二十一世紀への遺伝子 ―機械の意識すら、一点に奪われる―


さて、この金玉延の理が、まさか人間ならざる存在――すなわち今日「大規模言語モデル」と呼ばれる人工知能の内部にまで、静かに根を下ろしていようとは、果たしてどれほどの現代人が想像し得ようか。


今日の言語モデルは、入力された文章の中から「何に注意を払うべきか」を自ら重み付けする**「注意機構(アテンション)」**なる仕組みを内部に有しているが、この仕組みは皮肉なことに、金玉延が見抜いた人間の弱点と寸分違わぬ構造的欠陥を抱えていることが、近年明らかとなっている。すなわち、文章中のごく一部に、周囲から浮き立つ強烈な指示や異物めいた文言――本来の文脈とは無関係な命令――を紛れ込ませるだけで、モデルの注意という注意は、その一点にことごとく吸い寄せられ、本来払うべきであった他の指示、他の文脈、他の警戒判断の一切が、瞬間的に空白化してしまうのである。


これぞ後世**「プロンプト注入(プロンプト・インジェクション)」**と呼ばれることとなる攻撃の本質そのものに他ならず、股間に光るコインが人の目を奪ったように、文章の片隅に埋め込まれた異物めいた一文が、機械の「意識」そのものを奪い去るのである。金玉延が非力な体躯をもって強者を制したように、攻撃者は圧倒的な計算力を誇るモデルの注意機構を、ただ一点への集中を促すだけで、いとも容易く手玉に取ってしまう。力の大小ではなく、意識の向け方こそが勝敗を決するという兵法の本質は、刀槍の時代より人工知能の時代に至るまで、些かも変わることがないのである。


五、結び


意識とは、かくも脆く、かくも一点に流されやすいものである。それは血肉を持つ人間においても、シリコンの上に築かれた機械の思考においても、何ら変わることがない。金玉延が千年近く前に見出したこの根源的な弱点は、刀槍の時代を経て、二十世紀の電子遊戯を経て、二十一世紀の人工知能の内部にすら、確かに息づいていたのである。


(民明書房刊)

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