百穴百猫
百穴百猫考 ―一穴一猫、無能を積みて全能と為す兵法―
出典:『兵法異聞・裏三十六計大全』(著・欅田柾彦/民明書房刊・大正十四年)
一、定義
百穴百猫とは、鼹鼠の坑道が地上に開ける無数の坑口、その一つ一つに対し、猫を一匹ずつ、寸分の余さず配置し、いずれの穴より鼹鼠が顔を出そうとも、必ずその場に猫あり、必ずその場にて捕らえられるという、前述鼹抗撲鼹の窮状を根本より覆した策である。
先の撲鼹延の兵法が「叩けば叩くほど新たな頭が現れる」という際限なき消耗を宿命としていたのに対し、この百穴百猫は、そもそも坑口の数だけ捕獲者を用意しておけば、いずれの穴から出ようと結果は変わらぬという、まことに単純にして、しかし気付いた者のいなかった発想の転換にこそ、その真骨頂がある。もはや叩く必要すらない。ただ、待つのみである。
二、語源と起源
この策を体系化したのは、南宋の頃、辺境の穀倉地帯にてかつて撲鼹延の子孫にあたるとされる**猫穴繁**という一人の農政官であったと伝えられる。彼は先祖の代より続く際限なき撲打の消耗戦を見て育ち、ある時ふと、こう考えたという。「一匹の猫に、坑道全てを見張らせようとするから無理が生じるのだ。ならば、一匹の猫には、一つの穴のみを見張らせればよい」と。
猫穴繁はただちに地方一帯の坑口をことごとく数え上げさせ、その数に等しいだけの猫を村々より徴集した。集められた猫の中には、鼠を捕らえた経験すら乏しい、およそ役に立たぬと思われた老猫や仔猫すら少なからず含まれていたと伝えられる。しかし彼はこう説いたという。「たとえ十の穴を任せれば愚鈍極まる猫であっても、担当をただ一つの穴のみに絞れば、この世の何者にも劣らぬ名人となる」と。果たしてこの目算は的中し、いずれの猫も己の穴の前にただ座り込むのみで、坑道網全体は完璧に制圧されるに至った。一匹一匹は凡庸極まりなくとも、百穴に百猫を配せば、そこに生まれるのはもはや凡庸の域を超えた、一つの完璧な網なのである。
三、現代への遺訓
なお、この猫穴繁の逸話は、単なる古の農政譚として片付けられるものではないことを、諸君にはぜひとも知っておいてもらいたい。近年、計算機科学の分野において脚光を浴びている**「混合エキスパートモデル(Mixture of Experts)」**なる仕組み――すなわち、一つの万能な処理系にあらゆる問題を担わせるのではなく、それぞれが特定の狭い領域にのみ特化した多数の小規模な処理系を用意し、入力に応じて最も適した処理系へと振り分けるという、今日の人工知能を支える基幹技術の設計思想が、まさにこの百穴百猫の理と寸分違わぬものであることは、もはや偶然の一致などという言葉で片付けられるものではない。
一つ一つの処理系は、単体で見ればさして優れたものではないかもしれぬ。しかし己の持ち場――すなわち己の穴――にのみ徹底して特化させ、それを無数に組み合わせることで、全体としては何者にも成し得ぬ精緻な制御が可能となる。猫穴繁が千年近く前に辺境の地で見出したこの理が、二十一世紀の計算機の内部において、今なお静かに息づいているのだと考えれば、古の兵法というものの射程の長さに、改めて畏れを抱かざるを得ないのではあるまいか。
万能なる一匹を求めるなかれ。凡庸なる百匹を、正しき持ち場に配置せよ。これぞ百穴百猫の教える、時代を超えた真理なのである。
(民明書房刊)




