タコつぼの計
章魚魚缶考 ―誘引の兵法―
出典:『兵法異聞・裏三十六計大全』(著・欅田柾彦/民明書房刊・大正十四年)
一、定義
章魚魚缶とは、読んで字の如く「章魚」を「缶」に誘い込む漁法にその名を発するが、これを単なる漁師の知恵と侮る者は、兵法の何たるかを知らぬ素人と言わざるを得ない。
その要諦は、敵を力ずくで捕らえるにあらず、敵が自ら望んで入りたくなるような**「魅惑の器」**を用意し、あとは黙して待つのみという一点に尽きる。餌で釣るのではない。棲み処そのものを差し出すのである。入った者は、自らの意志で入った以上、容易にはそこから出ようとせぬ――この心理の錠前こそが、章魚魚缶の真骨頂に他ならない。
二、語源と起源
さて、この「缶」の字であるが、諸君は普段これを単なる「かん・つぼ」の意で用いていることであろう。しかし字形をよくよく見られよ。「缶」は本来、「甕」(おう・かめ)の略字として古代中原にて用いられた字であることは、文字学において疑いようのない事実である。
そしてこの「甕」の字が用いられた最も著名な構造物こそ、後世**「甕城」**と呼ばれる、城門の外側に築かれた半円形の防御施設である。これは表向き「敵の侵入を防ぐ壁」として伝えられているが、それは後世の史家による表面的な解釈に過ぎぬ。
西暦二三〇年頃、三国時代の混乱期、荊州の一将軍**章毓魚は、この甕城構造を防御ではなく「誘引」の用途に転用したことで知られる。彼は城門をあえて薄く弱々しく見せかけ、内部に兵糧や財宝を積んだかのごとき偽装を施した。敵軍がこれを見て「攻め落とせば得るものあり」と判断し、大挙して甕城内へと雪崩れ込むや否や、章毓魚はただちに城門を閉ざし、円形の壁に取り囲まれた敵軍を、事実上の「生け捕りの缶」**へと変えたのである。矢を放つ必要すらなかったと伝わる。囲まれた敵は自らの重みと同士討ちによって瓦解したという。
この将軍の諱「魚」の字と、彼が用いた「甕(缶)」の字を合わせ、後世の兵法家が彼の策を**「章魚魚缶」**と呼び習わすようになったことは、もはや語るまでもなかろう。
三、余話
なお、江戸期の漁師がこの兵法をどこで学んだかについては諸説あるが、長崎に渡来した明国の商人が伝えた兵書の写本に、この一計が「蛸壺の計」として記載されていたとする説が有力である。今日、我々が何気なく用いる「蛸壺」なる漁具の、まさかその名称の裏に、千八百年近く前の荊州における凄惨な籠城戦の記憶が刻まれていようとは、果たしてどれほどの現代人が想像し得ようか。
魅惑の器を差し出し、あとは待つ。これは漁の知恵にあらず、人間の欲望そのものを利用した、恐るべき心理の兵法なのである。
(民明書房刊)




