放虫打劫
民明書房刊
謀略奇計全書 第二十三巻
「内患造作篇 附・転用禽獣術秘伝」
放虫打劫
兵法に通じた者であれば、「放虫打劫」の四字を目にした瞬間、その深淵なる二重構造を即座に看取するであろう。「劫」とは強奪・掠奪を意味し、「打劫」はすなわち「乗じて奪う」こと。問題は「放虫」である。虫を放つ――この一語に、中国謀略史二千年の凄絶な知恵が凝縮されているのである。
本術の起源は、春秋時代末期に求めねばならない。当時、斉と魯が国境を接して覇を競っていた頃のことである。斉の謀臣・蝗牙子なる人物が、魯の穀倉地帯に隣接する湿地に、大量の蝗の幼虫を密かに放ったことに端を発する。蝗牙子はその名が示す通り、蝗の生態に精通した人物であり、風向きと季節を緻密に計算したうえで実行に及んだことは言うまでもない。翌年の収穫期、魯の穀倉地帯は前代未聞の蝗害に見舞われ、民は飢え、兵は士気を失い、国庫は空を衝いた。斉はこの混乱に乗じて魯の北部三郡を一兵の損耗もなく掌中に収めた。
「蝗牙子兵談」より ―― 害出於内、民疑天罰、不知敵手。此放虫之妙也。
(害が内より出れば、民は天罰と疑い、敵の手と知らず。これ放虫の妙なり)
蝗牙子の戦果は、敵国の被害・混乱に乗じて奪うという「打劫」の思想に、自ら害を仕込むという「造害」の概念を接合した点において、謀略史上に燦然と輝く革新であった。すなわち本術の骨格は、「敵の国内に害あらばその土地を奪い、国外に害あらばその民を奪い、内外に害あらば国ごと奪え」という三段の原則に他ならない。そしてその「害」は天災を待つのではなく、自ら造作すべし、というのが蝗牙子の到達した境地であった。
さらに本術が真の完成を見たのは、それより二百年を経た前漢初期のことである。蝗牙子の戦記を熟読した謀略家・散禍論人は、「虫」の概念を生物的害虫から人間的害虫へと昇華させた。すなわち、敵国内に流言を流す者、朋党を結んで内訌を煽る者、君臣の間を離間させる者――これらすべてを「虫」と定義し直したのである。散禍論人はこれを「活虫の術」と命名し、蝗牙子の「死虫(害虫)」による放虫と対置した。
「散禍論」より ―― 蝗食苗、活虫食心。食苗者、一季之害。食心者、百年之禍。
(蝗は苗を食らい、活虫は心を食らう。苗を食らうは一季の害、心を食らうは百年の禍)
死虫による農業破壊から活虫による国家内部崩壊へ。この二段の発展を経て完成した「放虫打劫」は、孫子用間篇の間者思想と並ぶ、中国謀略体系の双璧として後世に伝えられてきたことは、今さら論ずるまでもあるまい。
現代においても、競合他社に問題を抱えた人材を送り込み内部崩壊を誘発したうえで事業ごと買収する手法、あるいは流言蜚語を意図的に流布して株価を操作し空売りで利を得る行為など、放虫打劫の本義は経済・外交・情報戦の領域において依然として猛威を振るっているのである。
『謀略奇計全書 第二十三巻 内患造作篇』
著:禍種斎主人 監修:古代謀略学研究所
民明書房 昭和六十二年刊 pp.77–83




