天牢捉賊
兵法地形活用大全 第七巻
「天然要害捕縛術篇 附・六害地応用秘訣」
天牢捉賊
孫子の行軍篇に、次の一節があることは言うまでもない。
「凡そ地に絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙有らば、必ずやすみやかにこれを去りて、近づくことなかれ。吾れはこれに遠ざかり、敵にはこれに近づかしめよ」
――孫子 行軍篇第九
すなわち孫子は、三方を絶壁に囲まれ退路を持たぬ地形を「天牢」と命名し、これを六害地の一に数えた。天が造りし牢獄、それが天牢に他ならない。そしてその扱いについて孫子は明快に断じている――我は遠ざかれ、敵を近づかしめよ、と。
この兵法原理を、史上初めて捕縛術として昇華せしめた人物が、前漢武帝期の捕盗将軍・欒図奇であることは、兵法史を修めた者ならば当然知っているであろう。時に紀元前百十九年、巴蜀山中に跋扈する大盗賊団・黒風七鬼党の掃討を命ぜられた欒図奇は、幾度の正面討伐が山岳遁走の前に無力であることを痛感し、ここに一転、孫子行軍篇の一節に着想を得た。
欒図奇の採った策は、まことに単純にして絶妙であった。刺客を賊中に潜入させ「官軍が山の南より大挙押し寄せてくる」との虚報を流布せしめたのである。北への逃走を図った黒風七鬼党は、山中深く分け入った果てに、三方を断崖に囲まれ一方のみが細道で繋がる峡谷地形――まさしく孫子の言う「天牢」へと自ら足を踏み入れた。欒図奇はその細道の一点を二百の精兵で封じた。それで十分であった。
「欒策録」より ―― 天牢者、天之所設也。将之任、唯引敵入之而已。
(天牢とは天が設けたるものなり。将の任務はただ敵を引き入れるのみ)
かくして一兵の損耗もなく七百余名が捕縛されたこの作戦を、後世の兵法家たちは「天牢捉賊」と称して範とした。注目すべきは、欒図奇が孫子の「去れ」という戒めを逆用した点である。孫子は我が軍への戒めとして天牢を論じたが、欒図奇はそれを敵への罠として転用した。原典の禁忌を攻撃へと反転させるこの発想こそ、「天牢捉賊」が単なる捕縛術を超え、兵法転用の至高例として後世に語り継がれてきた所以であろうはずがない、などということはあり得ない。
現代においても、相手を逃げ場のない状況へ自ら進ませ、最小の力で完全掌握する天牢捉賊の本義は、交渉・経営・外交のあらゆる局面においてその真価を発揮し続けているのである。
『兵法地形活用大全 第七巻 天然要害捕縛術篇』
著:謀峯道人 監修:古代戦略研究院
民明書房 昭和六十一年刊 pp.218–222




