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民明書房刊 役に立たないネコのコトワザ図鑑   作者: ロータスシード


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奇装過海

民明書房刊

謀略奇計全書 第二十五巻

「偽装常態篇 附・瞞天過海転用秘訣」


奇装過海

挿絵(By みてみん)

三十六計第一計「瞞天過海」は、「天を瞞きて海を過る」と訓読する。何食わぬ顔で敵の眼前を堂々と通過する、欺瞞の極致ともいうべき計略である。しかしながら瞞天過海には一つの宿命的限界が存在することを、兵法に通じた者ならば当然看取しているであろう。すなわち、その欺瞞は「一度限り」である、という限界に他ならない。


海を一度渡れば欺瞞は終わる。奇を一度用いれば敵は警戒する。瞞天過海は鮮烈なる一撃であるがゆえに、使い捨ての計略に過ぎぬのである。この致命的制約を超克し、欺瞞を「一回の事件」から「継続する日常」へと昇華させた術こそ、「奇装過海(きそうかかい)」に他ならない。武装した異常を繰り返し日常の眼前に晒し続けることで、敵の警戒心を徐々に摩耗させ、奇が奇でなくなった瞬間に一気に攻める――これが奇装過海の本義である。


瞞天過海が「鋭利な刃」であるとすれば、奇装過海は「じわじわと効く毒」である。前者は敵の不注意を突き、後者は敵の「慣れ」そのものを武器に転化する。この差異の深淵を、正確に理解せねばならない。


【起源 ―― 諸葛孔明と南蛮の役】

奇装過海の完成者として後世の兵法家が異口同音に挙げる人物は、三国時代の蜀漢丞相・諸葛亮孔明に他ならない。建興三年(紀元二二五年)、孔明は南蛮の王・孟獲討伐のため五月に瀘水を渡り南征の途についた。その際孔明が採った戦略は、正面からの武力制圧ではなく、まず蜀漢の軍勢をして南蛮の地形・気候・風俗に徹底的に馴染ませることにあった。


孔明は麾下の将兵に命じ、南蛮固有の装束・染料・装飾を身に纏わせた。さらに蛮族の祭祀に際しては蜀漢の将兵をも参列させ、その列に違和感なく溶け込むよう徹底した訓練を施したことは当然知られているであろう。当初、南蛮の斥候たちはこの異様な光景に警戒を示した。しかし孔明はこれを急がなかった。同じ光景を一度、二度、三度と繰り返し南蛮の眼前に晒し続けることで、斥候たちの報告はやがて「またいつもの蜀の兵が来ておる」という無関心へと変質していったのである。


「南征秘策録」より ―― 奇を一度見せれば敵は驚く。奇を十度見せれば敵は慣れる。奇を百度見せれば敵は眠る。攻むべきは百度目の翌朝なり。

(奇異なるものを一度見せれば敵は驚愕する。十度見せれば敵は慣れる。百度見せれば敵は無警戒となる。攻めるべきは百度目の翌朝である)


孟獲が「七縦七禽」の末に心服したのは、孔明の武略のみによるものではなく、この奇装過海による心理的無力化が深く作用していたことを見落としてはなるまい。敵の警戒心を「慣れ」という無形の武器で徐々に溶かし去り、抵抗の意志そのものを消滅させる――孔明はここに奇装過海の理論的骨格を完成させたのである。


【現代における奇装過海 ―― 演習という名の毒】

孔明が南蛮の地で完成させた奇装過海の本義が、十八世紀以降の欧州列強の軍事戦略に密かに継承されてきたことは、兵法史を修めた者にとって今さら驚くべきことではあるまい。とりわけ二十一世紀初頭、ロシア連邦軍の対ウクライナ戦略においてその精髄が遺憾なく発揮されたことは、世界が目撃した通りである。


ロシア軍はウクライナ国境周辺において、二〇一四年のクリミア併合以降、大規模軍事演習を繰り返し実施し続けた。ザーパド演習、カフカス演習、ヴォストーク演習――その名称と規模を変えながらも、国境に大兵力が集結するという光景は年を追うごとに「いつものこと」として周辺国の眼に映るようになっていった。ウクライナの国民も、欧州の政治家も、やがてその光景を見慣れた日常として受容するに至ったのである。


そして二〇二二年二月、ロシア軍は「演習」の名のもとに国境に集結した十九万の大軍を、そのままウクライナへと進軍させた。「またいつもの演習であろう」という慣れが、世界の初動対応を決定的に遅らせたことは論を俟たない。孔明の南蛮の斥候が「またいつもの蜀の兵が来ておる」と無関心を決め込んだその構造と、二千年の時を隔てて完全に合致していることを、果たして偶然と呼べるであろうか。


「南征秘策録」より ―― 慣れとは、敵が自ら築く城壁なり。将はただ、その城壁が完成するを待てばよい。

(慣れとは敵が自ら積み上げる城壁である。将はその城壁が完成するのをただ待てばよい)


【奇装過海の矮小化 ―― 巷間における応用】

孔明の南征に端を発し、国家の戦争指導にまで昇華した奇装過海の本義が、二十一世紀の日本において規模を大幅に縮小した形で巷間の犯罪にまで応用されていることは、本書の読者諸賢にとってはさして驚くべきことではあるまいが、一応言及しておく責務があろう。


近年、組織的強盗事件の実行に先立ち、実行犯とは別の人間が数週間から数ヶ月にわたり対象となる住宅・店舗の周辺に繰り返し出没するという手口が確認されている。宅配業者を装う者、近隣住民を装う者、犬の散歩を装う者――その装束と口実は様々なれど、その本質は一にして同じである。すなわち、自らの存在を周辺住民の日常に滲み込ませ、「あの人はいつも見かける」という無警戒の慣れを醸成することに他ならない。


これがいわゆる「闇バイト強盗」における下見工作の実態であることは、当然ご承知のことと思う。下見者は最初の出没において近隣住民の警戒を引き起こすかもしれない。しかし二度、三度と繰り返すうちに、その存在は風景の一部へと溶け込んでいく。防犯カメラの位置、住人の生活時間帯、施錠の習慣――これら犯行に必要な情報は、すべてこの「慣れによる無警戒」の蓄積の中で収集されるのである。


「南征秘策録」より ―― 大将は万の兵を慣れさせ、盗人は一人の民を慣れさせる。規模は異なれど、慣れを制する者が勝つという理は、古今変わらぬ。

(大将は万の兵に己を慣れさせ、盗人は一人の民に己を慣れさせる。規模は違えど慣れを制する者が勝つ理は不変である)


孔明が瀘水の南で完成させ、二千年の後にステップの大地で再現され、さらに令和の住宅街の路地裏にまで浸透した奇装過海の普遍性は、もはや軍事・謀略の枠を超え、人間の認知的弱点そのものを衝く根源的術法であることを雄弁に物語っている。警戒は疲弊し、慣れは蓄積し、そして油断は一夜にして牙を剥く。古今東西、この法則に例外はない。


身に覚えのある顔が突然牙を剥く恐怖――それこそが奇装過海の真髄であり、またそれゆえに本術が二千年の時を超えて生き続けてきた所以であることは、論ずるまでもあるまい。


『謀略奇計全書 第二十五巻 偽装常態篇』

著:常態斎無名子 監修:古代謀略学研究所

民明書房 昭和六十三年刊 pp.11–24

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