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終わらないバッハ
ちゅんちゅん、スズメがないている。
「今月のお駄賃。」酒場の片隅で、店主は銀の竪琴のチューニングをする詩人に皮袋を手渡した。
「ありがとう。」詩人は皮袋を受け取る。
「お前も、歌いながら、…書きながら戦ってるんやな。俺も書きながら戦ってる。」
詩人はふと顔を上げ
「…いえ、私は、ただ、趣味の延長線で…。」
すると、店主がふいに、顔を強張らせた。
「俺はお前が好きだから書いたんだ!」
「好きだから書いたんだ!!」
「好きだから書いたんだ!!!」
「愛してるよ…。」詩人は店主を見上げた。お客がみんなこっち見てるよ…。ヒポクラテスの誓いは…。
「ありがとう。」店主はそう述べて。背を向けてバックヤードに戻った。
お客からのものいいも無く。詩人は目の焦点のよくあわない状態でチューニングを終了した。ぽろぽろと薄闇の店内に、銀の竪琴の音が零れ始める。
ありがとう?…俺も愛してるなら、詩人もすぐ理解できただろう。恋愛経験値の乏しさと頭の鈍さがあいまってどう解釈してよいものか分からない。詩人は何も知らないし何も持っていない。あるものとすれば、美と愛と貞節くらいなものだ。
本日、名無しの酒場は、終わらないバッハで、客達をもてなすことになったが。それでも、特にクレームは無い。




