9. 加速する溺愛
「おめでとうございます。ようやく、スタート地点ですね。」
相変わらず、ルードルフの辛口は絶好調だ。先日のお茶会を受けて、婚約の証を渡せたことを報告したらこのセリフだ。
「もう少し、乳兄弟の幸せを祝福する言葉は浮かばなかったのか?」
「いえ、全然。」
「お前なぁ。」
「マティアスさまはお気づきだと思いますが、婚約とはあくまで約束。それが成婚にいたって初めて、婚姻がなされるわけです。」
「だから、スタート地点だと?」
「そうですよ。ララベルさまがお健やかであるならばよろしいのですが。」
「まぁ、健やか……とは言えんな。でも、理由を知ることができた。」
「かの噂は?」
「あぁ、要因の一つではあるな。」
「それでは、為すべきことは」
「決まっている。」
互いの言葉を終えられるくらいには、ルードルフとの意思の疎通はできている。
――それにしても、悪い笑みだなぁ……もっとも、ここにもう一人いたら、お前もだよと言われそうだが。
悪だくみを思いついた子供のように、ルードルフと笑いあう。
「まずは、手紙を書いてデートに誘う。」
「珍しくちゃんとした考えをお持ちですね。」
「お前の皮肉にも慣れたよ。」
「それは残念です。」
ルードルフを横目で睨み、習慣となったララベルへの手紙をしたためる。そこには、三日後に街へ出かけないかというデートの誘いを書いた。
――外へ出るのが難しければ、会いに行けるだけでいい。できれば、君の作ったあの美味しいお菓子を食べられれば、もっと嬉しいよ。
「顔がにやけてますよ。」
「うるさいっ!お前は、仕事をしろ。」
「はいはい。」
苦労した手紙のやり取りも、随分と慣れた。気安いやり取りも心地いい。ララベルにとって、自分も同じような存在になっていられることを、強く願った。
「お嬢さま、マティアスさまは何ておっしゃってました?」
いつもの手紙が届いて、早速読み進めていると、タニアが嬉しそうに声をかけてきた。
「お菓子、気に入ってくださったみたい。街へ出かけよう。それができなければ、一緒にわたしのお菓子が食べたいって。」
「お嬢さま、それはデートへのお誘いですよ。」
「やっぱり、そうなのよね。」
文面からそうだと思いながら、どこか確証がなかったデートという言葉が現実味を増す。
「でも……」
「まだ、お出かけされるのは怖いですか?」
「マティアスさまが一緒ならばとは思うのだけれど、ご迷惑をかけたくなくて……」
「ならば、こちらへお越しいただけばいいのです。」
「いいのかしら?」
「お嬢さまの手作りお菓子ですよ!喜ばないはずがないじゃないですか!!」
タニアは大袈裟なくらいわたしのお菓子を評価してくれている。
――マティアスさまにも喜んでいただけたなら嬉しい。
久しぶりに心が躍った。
「少し難しいけれど、ケーキに挑戦してみてもいいかもしれないわね。」
そのつぶやきに、タニアの目がキラリと光った。
副料理長はデザートが上手だ。たくさんの恩恵を受けて、異世界でスイーツに困ることはまずない。ララとして調理場に入るようになって、その技術の巧みさに驚くばかりだったが、マティアスさまを招待するお茶会でケーキを出すと決めて、副料理長にはララがララベルであると告げることにした。
「お、おっ、お嬢さまっ!!!」
オットセイのような声をあげて、副料理長が真っ青になる。
「今までのご無礼を」
「気にしないで。」
最後までいわせずに口を挟む。
「身分を隠したのはわたし。忖度ない態度を求めたのもわたしです。」
慌てた様子で口をぱくぱくさせている。
「だから、これからも変わらずよろしくお願いします。」
副料理長は深々と頭を下げて、協力を惜しまないと約束してくれた。
その甲斐あって、マティアスさまとのお茶会で用意したかったティラミスは無事に完成した。
「コーヒーにリキュール……ケーキのこの組み合わせは思いつきませんでした。」
副料理長が感嘆の声をあげる。
「甘いものが苦手な男性にも喜んでもらえるかと思うんですけど……」
「嬉しいでしょうよ。」
率直な感想が本心だと感じられる。
ケーキに合わせて、紅茶ではなくコーヒーを準備して、テーブルを整える。
――マティアスさまだからかもしれないけれど、人を迎えることにワクワクできるなんて……
マティアスさまはいつものように時間ぴったりだった。
「コーヒーとティラミスです。」
「これも君が?」
「副料理長に手伝っていただきましたが、レシピはわたしの考案です。」
少し照れくさくなる。
「うん、美味しいな。こっちへ来ないか?」
マティアスさまに呼ばれて、おずおずと側に寄る。
二人用のソファが少し小さく感じるほど、距離が近い。
「嫌じゃなければ、もっと近くに……」
「これ以上って……」
戸惑っていると、
「嫌なら言ってくれ。」
そう言って抱き上げられてしまった。
「あの……わたし、マティアスさまのお膝の上に。」
「そうだね。」
「重いですよ。」
「全然。」
満面の笑みですくったティラミスをわたしの口元に寄せた。
「食べてみて。」
――待って!いきなりこの色気は反則です。
真っ赤になって俯くしかない。
「やり過ぎた?」
「やり過ぎです……」
小さな声で言葉を返す。
「おろした方がいいかい?」
「……このままで……」
「いいの?」
恥ずかしすぎて、言葉が続かない。それでもこくりと頷いた。
「食べないの?」
――まだ、諦めてなかった。
上目づかいでマティアスさまを見上げてみる。
「それは駄目だ。」
今度は、マティアスさまが真っ赤になって顔を逸らした。
その隙を狙って、差し出されたティラミスを食べる。
「困った……これは、クセになりそうだ。」
「えっ?」
至近距離にいたにもかかわらず、マティアスさまの声が聞こえなかった。
それでも、本気で聞き返す勇気はなくて、そのまま彼の膝の上で大人しくしていた。
ララベル・ウィンスラン伯爵令嬢
今日は少し改まって手紙を書こうと思う。
来月開催される王家主催の夜会で、君を正式な婚約者として国王陛下御夫妻に紹介したいと考えている。
時期尚早というならば、パートナーとしてエスコートする権利だけでも与えて欲しい。
忘れないでいて欲しい、わたしにとっては君の隣にいられることが、何よりも大切だからね。
気持ちが決まったら返事をくれればいい。それまでは、いつものように手紙を書くよ。
マティアス・シュナイゼル
マティアス・シュナイゼル公爵さまへ
正式なお誘い、ありがとうございます。
マティアスさまのお心遣いにいつも支えられています。
国王陛下夫妻へのご挨拶の件、お受けさせていただきたく存じます。
不慣れな点も多く、ご迷惑をおかけすることもあるとは思いますが、マティアスさまの隣にありたいと思う心は、紛れもないわたしの本当の気持ちです。
次は、いつものようにお手紙を書きますね。あなたのお心が、わたしと共にありますように……
ララベル・ウィンスラン
王家主催の夜会ともなれば、その準備は数週間にわたる。ドレスの新調、宝飾品の選定、パートナーとの打ち合わせ、どれ一つとっても欠かせない重要なものだ。まして、婚約者として正式に紹介ともなれば、伯爵家の一大事と言える。
「お母さま、落ち着いてください。ドレスはマティアスさまと選びましたし、宝飾品は婚約の際にいただいたネックレスと指輪があります。毎日のお手紙で、打ち合わせもできていますわ。」
右往左往する母を何とか落ち着かせ、準備に滞りがないことを告げる。
「ララベル、どうしてあなたはそんなに落ち着いていられるの?」
母が悔しそうに拗ねてみせる。
「マティアスさまが一緒ですもの。」
「そうだぞ。アンネリーゼ、少しは落ち着きなさい。」
「あなた。あなただって、気が気じゃないくせに、ズルいですわ。」
「シュナイゼル公爵に任せておけば大丈夫だよ。」
「公爵さまは王家とは縁続き。ララベルのこの落ち着きようのほうがおかしいんだよ。」
「フィリップ。」
マティアスさまを待っているつもりが、家族がみんな集まってしまった。
最近まで引きこもっていたわたしを心配して、自然と集まってしまったというのが正解かもしれない。
そんな家族の暖かさに支えられて、今日という日を迎えることができた。
「ララベル。」
マティアスさまの優しい声がした。
「とても綺麗だ。」
――そう微笑むあなたこそ王子様のようだわ、言えないけど。
瞬間的に浮かんだ思考を呑み込んで、差し出された手を取った。
新しい未来への一歩。
マティアスさまの指先に、わずかに力が込められた。
「さぁ、行こう。」




