6. 衝動
「愛ですね。」
ルードルフの発言に、コーヒーをこぼしそうになる。
「何を言っているんだ。」
「動揺する姿が見られるかもとは思いましたが、これはまた、予想以上の反応でしたね。」
乳兄弟ということもあって、ルードルフは時折、恐ろしく大胆だ。
「わたしのことは、お前が一番良く知っているだろう。」
「はい、存じております。」
夜会のダンスから、ララベルのことを考えることが増えた。同時に、厄介な記憶も思い出され、眠ることができなくなって数日……。
――これ以上は、業務に差支えが出るのではと、ルードルフに相談したのだが
「間違いだったようだな。」
厳しい視線を送ったにも関わらず、ルードルフは満面の笑みでスルーする。
「まぁ、愛かどうかはともかくとして、交流するという判断に異論はありませんよ。」
「そうなのか?」
「遠慮なく言わせていただいても?」
「はっ、いまさらだろ。」
「そうですね。」
ルードルフが軽く息を吐き、言葉を続ける。
「あなたには触れられたくない傷がある。女性に関してのその傷は、それ自体を存在しないものとして扱ってきた。そのあなたが、交流を持ってみようと思ったのなら、その気持ちを大切にしていただきたい。」
揶揄うつもりも、誤魔化すつもりもないことは、長年の付き合いでよくわかる。ただ、どうしたらいいかと素直に聞けるほどマティアスは若くも素直でもない。じっとルードルフを見つめ、次の言葉を待つ。
「文を送るのはいかがです?」
沈黙の意図に気づいたのか、ルードルフが求めていた答えをくれる。
「手紙?」
「ダンスに付き合ってもらったことへのお礼くらい、不自然ではないでしょう。」
「そうか……そうだな。」
あからさまに安堵するマティアスに、ルードルフは思わず苦笑いする。
「さぁ、そうと決まったら業務を片付けましょうね。そうしたら、遠慮なく手紙の内容について悩めますから。」
「お前、やけに楽しそうだな。」
「お好きなようにお取りください。」
そう言うと、ルードルフが書類の束を遠慮なくデスクの上に落としていった。
――あぁっ!あいつ、こういう意味だったのか。
手紙を書こうとペンを持ったまま数十分。マティアスはいまだ一文字も書けずにいた。
「遠慮なく内容について悩めって、ルードルフの奴、こうなると気づいてたな。」
いざ、ララベルに手紙を書こうとペンを持つと、途端に言葉が何も浮かばなくなった。
「お礼なんですから、シンプルに気持ちを書けばいいだけじゃないですか。」
その一言を残し、ルードルフは書類処理に出かけてしまった。
――これが最後の業務なんて言うから、書かなければいけない気になっているんだぞ。
「あいつ。」
満面の笑みのルードルフが憎らしく思える。
ララベル・ウィンスラン伯爵令嬢へ
先日の夜会では、ダンスにお付き合いいただきありがとう。
あなたが「知りたいと思うなら、交流を始めるべきだ」と話していたことを聞いた。
わたしはあなたを知りたいと思っているのだが、迷惑ではない形で交流させていただけないだろうか。
マティアス・シュナイゼル
苦労して思いついたのは、たった三行の文面だった。
商談とは違うやり取りに困惑して、そのまま送っていいものか自信もなく、ルードルフに読ませることにした。文面に目を通すが、反応は何もない。
「間違いなく、お届けしておきましょう。」
――そう言ったということは、及第点だったということだよな?
なんとも居心地が悪かったが、半ば無理やりそう納得させた。
数日後
ララベルから返事が届いた。
マティアス・シュナイゼル公爵さま
丁寧なお礼のお手紙をありがとうございます。
公爵さまの交流されたいというお気持ちをとても嬉しく思います。
その手段として、お手紙を書くことをお許しいただけますか?
ララベル・ウィンスラン
「ルードルフ、返事が来たぞ。」
嬉しそうに手紙を振って見せるマティアスは、幾分年若く見える。
「ウィンスラン伯爵令嬢は、何と?」
「手紙で交流を始めようと言ってくれた。」
その言葉に、ルードルフが虚を突かれたような顔をする。
「何を驚いている?」
「ウィンスラン伯爵令嬢はあなたに相応しい女性のようですね。」
ルードルフが意味深に笑う。
「どういう意味だ?」
「今までの経験から、こういった返事が来るとお思いで?」
言葉の意味を熟考する。
――今までの経験……
自分の中にある女性像が突然、現実味を持って現れる。
『公爵さまから交流のお誘いなんて、とても嬉しゅうございます。』
ねっとりとした声が聞こえる。
『正式なお話をぜひ、我が家でお聞かせください。』
嬉々とした令嬢の声がする。
背中を嫌な汗が伝った。
「あの文面、誤解させる可能性が多大にあったということだな。」
ルードルフを睨みつける。
「そうですね。」
――やっぱりか。
「なぜ言わなかった。」
「言う必要がなかったからですよ。」
取り返しのつかない間違いになる可能性を知りながら、何も言う必要がなかったという言葉に違和感があった。
「わたしの調べたところ、ウィンスラン伯爵令嬢はまず、相手のことを思う女性でしたから、最悪のパターンにはならないと、確信に近いものがありましたから。」
「調べた?」
「もちろんです。マティアスさまがあれほどご執心である以上、公爵家としてはその人物を把握しておく必要がありますから。」
「わたしに黙ってか?」
「マティアスさまには、ご自身で確信していただきたかったのですよ。」
「そうか……」
優秀な執事に言葉を失くす。
それからマティアスは、言葉を選び、時間をかけてララベルとの手紙のやり取りを続けた。
その頻度は、週に一度から五日に一度、三日に一度と短くなり、毎日の手紙のやり取りへと変わっていった。
「ルードルフ。ララベル嬢を夜会のパートナーとして誘ってみようと思うんだが。」
「なぜ、パートナーに?」
「昨日の手紙、彼女は断れない夜会の参加に悩んでいる様子だった。社交界には悪い噂も残っている。」
「あなたがパートナーを申し出ることに関係が?」
「守ってやりたい。」
その一言を口にして、マティアスははっとする。
――女性のために何かしたいと思ったことなどなかった。ララベルを悪意から守りたいと思っていたのか。
考えるよりも先に口をついて出た言葉に、改めて自分の気持ちを思い知る。
「冷静さを欠いているだろうか?」
マティアスはぎゅっと両手を握り込む。
「よろしいのではないでしょうか。エスコートする女性を守る。それは男性として当然の義務ですよ。」
「ホントか?早速、手紙に書いてみるよ。」
嬉しそうに微笑んで、ペンを執る。
「本当に変わりましたね。」
ルードルフは、誰にも聞こえない小さな声で、嬉しそうにつぶやいた。
夜会での二人は、会場からため息が溢れるほど美しかった。
ララベルの母の計らいで、彼女にはさり気なくマティアスとコーディネートされた色合いが所々に見え隠れし、マティアスもまた、ララベルと同じ色合いのカフスをつけていた。その組み合わせに気づいた貴族はほとんどいないようだったが、それでもにこやかにダンスフロアで踊る二人は、確実に誰の目からも親密に見えた。
「疲れていないか?」
マティアスの心地いい低音がララベルの耳をくすぐる。
「大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます。」
ホールの喧騒を離れて、二人は中庭に出ていた。
マティアスが真剣な顔でララベルを見つめる。沈黙の中で、虫のなく涼し気な音だけが響く。
何か言いたげな瞳が伏せられ、マティアスが小さく息をついた。
「そろそろ馬車まで送ろう。」
手慣れた様子のエスコートなのに、マティアスの表情だけがこわばっている。
「今夜も……」
「?」
「今夜もダンスを楽しめたか?」
意を決したように、マティアスがララベルに問いかける。
「はい。」
わずかな沈黙の後、ララベルは小さな声で照れたように答えた。その姿を見つめるマティアスの眼差しに気づいて、ララベルは頬が自然と熱くなるのが分かった。
「公爵さま。」
「マティアスと」
「えっ?」
「マティアスと呼んでくれないか?」
「マティアスさま」
「ああ。」
「今日は、ありがとうございました。わたしのことも、ララベルとお呼びください。」
「いいのか?」
「はい。呼んでいただきたいです。」
月明かりに浮かぶララベルの柔らかい微笑みに、マティアスは思わず彼女を抱き寄せていた。
「ララベル」
「……」
腕の中で固まるララベルに気づいて、マティアスが慌ててその腕を解く。
「すっ、すまない。」
「……いえ」
それからは馬車までの短い距離を無言で歩き、真っすぐな眼差しを残したまま、マティアスはララベルの馬車を見送った。




