4. 最後の独身公爵さま
「ララベル、お前何をしたんだ。」
珍しく兄が部屋を訪れると、開口一番そう言った。
「何かしましたか?」
なんとなく予想はできるが、ここはしらを切るべきだと判断した。
「なんでそう、平然としているんだ。貴族令嬢の生涯独身宣言が社交界で噂にならないはずはないだろう……どうしてお前は……」
本気で頭を抱える兄に、申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「お兄さま、ごめんなさい。でも、嘘は言っていないの。」
「ララベルっ」
諭そうと見上げた兄の動きが止まる。
「独身でいたいと言ったわけではないし、見つかると信じているというのは本当なんですよ。」
――この世界での恋愛価値観が違うなんて、盲点だったわ。
「わたし、間違ってるのかな。」
湯あみの最中にタニアに問いかける。
「お嬢さまの考えは、素敵だと思います。貴族の中では珍しいことなのかもしれませんが、気持ちをないがしろにされて、喜ぶ人はいないと思いませんか?」
タニアの優しさが身に染みる。
家族に迷惑をかけてしまった……それが、何より苦しかった。
「……これは、面白いな。」
久しぶりに参加した夜会で、話題の中心になっているのはある令嬢のことだった。
「生涯独身宣言。変わり者令嬢か……」
ある者は憤り、ある者は感心しながら、その話題を口にしていた。
「当の本人には会えずじまいだったが、どんな女性なんだか。」
夜会に参加すれば、必ず不快な思いをするというのに、なぜか、昨夜のことは思い返すのが楽しい。
「マティアスさま?」
執事と業務補佐を兼ねているルードルフが、驚いた顔をして声をかけた。
「どうした?」
「気づいていらっしゃらないのですか?笑っておいでですよ。」
その言葉に、思わず鏡の自分を確認する。
――確かに笑っているな。
その感覚に、わずかな高揚感を覚えた。
――気のせいだな。
確かに感じた「何か」を深く考えるのはやめて、マティアスはいつものように仕事へ戻った。
「今回は、欠席できないってお母さまに念を押されてしまったのよね。」
再び美しいドレスに身を包み、髪をハーフアップに結い上げてため息交じりに鏡を見る。
社交デビューで目立ち過ぎたことを自覚して、自重を理由にそれ以降の夜会は欠席していた。
「今夜はお兄さまがエスコートしてくださるし、お父さまの大切なビジネスパートナーでもあるエヴァンス公爵のご招待ですものね。」
タニアの仕事は完璧だ。鏡の自分をもう一度見つめ直して覚悟を決める。
「うわぁ。」
思わず感嘆の声がこぼれる。夜会の会場とされるホールは、上品に飾られ、主催のおもてなしが随所に見受けられた。
「ララベル。」
兄に小さくたしなめられるまで、自分がみっともなくあたりを見回していたことにさえ気づかなかった。
「ごめんなさい。」
両親の後について、エヴァンス公爵夫妻に挨拶する。
「お初にお目にかかります。ララベル・ウィンスランでございます。」
「あら、そちらのお嬢さんが噂の方ね。」
公爵夫人の意図が分からず、とりあえず微笑む。
「ランドルフ侯爵家とミルズ伯爵家のお二人は覚えておいでになる?」
「はい。先日の夜会でお会いしました。」
――あの夜会の時の二人だ。
「両家から、あなたのアドバイスで二人の関係が良好になったと聞いたのよ。」
――えっ?いい噂ってこと??
あの夜会のことでは、悪評ばかりを耳にしたせいで、公爵夫人が口にした「噂」は、てっきり良くないことだと思い込んでいた。
「とても嬉しく思います。お知らせくださり、ありがとうございます。」
公爵夫人は穏やかに微笑むと、父を見た。
「素敵なお嬢さんね。そういえば、あなたに紹介したい人がいるのよ。」
エヴァンス公爵のすぐ後ろから、ため息が出るほど美しく背の高い男性が現れた。
舞台でスポットライトを浴びる主役の登場。
会場の視線を一気に集め、あちこちからため息が聞こえる。
「初めまして、マティアス・シュナイゼルです。」
「ショーン・ウィンスランです。公爵さまにお目にかかれるとは、光栄です。」
麗しい男性は父の挨拶を受けて、わたしの方にちらりと視線を送る。
「妻のアンネリーゼ、長男のフィリップ、長女のララベルです。」
視線が合った気がして、一礼が家族よりワンテンポ遅れる。
「ウィンスラン伯爵、お嬢さんをダンスに誘っても?」
「あら。」
「まぁ。」
公爵夫人と母の反応に、父と兄が身体を固くする。
「光栄なことです。」
複雑な心境を隠し切れない声で、父が答えた。
「わたしと踊っていただけますか?」
長い手が真っすぐ差し伸べられる。
――わたしがこの手をとっていいものなの?
顔を見ることができずに、差し出された指先を見つめる。
「シュナイゼル公爵がダンスに誘うなど……」
「いままで誰とも踊ることがなかったのに……」
「なぜあの変わり者を……」
遠くのざわめきがやけにハッキリ聞こえる。
助けを求めるように母を見ると、微笑んで頷かれてしまった。
「よろしくお願いいたします。」
震える手で、指先を重ねる。
ホールの真ん中に導かれ、ゆっくりとステップを踏む。
――楽しい。
限りなく初心者に近い自分にとって、ダンスの時間はある意味恐怖だ。
足を踏んでしまいそうで、ダンスは意図的に避けていた。夜会に参加したくないと思っていたのも、醜聞よりダンスが苦痛だったからだ。
「お上手ですね。」
思わず声に出していた。
「最低限は習っているからな。」
少しこわばった声が返ってきた。
「すみません。経験のないわたしが、こんなに楽しく踊れるのは、公爵さまのおかげです。」
「……」
「最低限なんて、ご謙遜です。誘ってくださり、ありがとうございます。」
苦手意識が強かったダンスが、心地よく踊れたことで、素直な笑みがこぼれた。醜聞も不安も、ダンスフロアの上にこぼれていく。一歩一歩のステップに、その負の感情が砕けて消えていくように感じた。
「君は変わっているな。」
――やっぱり「変わり者令嬢」って噂は届いているんだ。
そのつぶやきに、少しだけ膨らんだ気持ちが小さくなった。それでも、楽しい気持ちは消されることはなく、ダンスが終わるまで笑顔でいられた。
「やはり、面白い女性だったな。」
帰りの馬車で思わずポツリとつぶやく。
「どうかなさいましたか?」
「噂の令嬢に会ったよ。」
「あの独身宣言をなさった?」
「あぁ、ララベルというらしい。」
心なしかマティアスの表情は明るい。
「珍しいですね。あなたがご令嬢を気に掛けるなど……」
シュナイゼル家の執事としては、この主人の変化は朗報だ。
「あぁ、やはり変わり者だった。」
「変わり者?」
主人の言葉の意図がつかめず、思わず首をかしげる。
「会場についてすぐ、噂を気にするどころか会場の様子に目を輝かせていたよ。」
「視線を送ったら、目を逸らされてしまった。」
「ダンスに誘えば俯いて固まってしまうし……堂々と独身宣言をしたというご令嬢には見えなかった。」
どことなく、声が弾んでいるように聞こえる。
「ダンスに誘われたのですか?」
「わたしが誘ったら、どんな反応をするか見たくてね。」
マティアスが悪戯を成功させた子供のように笑う。
「震える手でダンスを受けたのに、踊り出したら笑顔がはじけた。」
「最低限の社交レベルのダンスだというのに、上手いと褒めてくれたよ。」
女性のことを話しているマティアスの声が、これほど優しかったことは初めてかもしれない。
「最後まで楽しそうに踊って、お礼を言われた。」
マティアスにとって、夜会とは不快な場所となることが多い。トラブルばかりで、挨拶を済ませると早々に退場することの方が通常だ。今夜の滞在はいつもより長かった。
――その理由が、「ひとりの女性」とは……
ルードルフは側近として驚き、同時に友人として嬉しくなった。




