3. 一途な愛は珍しい
「わたしは、生涯を捧げたいと思えるたった一人の男性を探しているのです。」
周囲のざわめきが、この言葉の異様さをあらわしていた。
――それでも譲れないものはある。
これは、ララベルとして生きると決めたわたしの「幸せへの宣言」だった。
異世界へ転生して数か月が過ぎた。あれほど苦痛だった淑女教育も、慣れてしまえばこなせるものだ。
――人間の適応能力って、ホントすごいよね。誰の言葉だったっけ?……ドフトエフスキー?
違うか?ドストエフスキー?
「お嬢さま、絞りますよ。」
「うっ。」
現実逃避にいそしんでいると、タニアにコルセットをもう一段絞られた。
「これには慣れる気がしない……」
思わず弱音を吐く。
「お嬢さま、貴族女性のたしなみです。慣れてください。」
「わたしのタニアに遠慮がなくなっていくわ。」
「それでいいとおっしゃったのは、お嬢さまですよ。」
そう言いながら、もう一締めされる。
胃が飛び出しそうな不快感と苦痛を越えて出来上がったララベルは、文句なしに綺麗だ。
「タニア、いつもありがとう。」
心から感謝の言葉が出る。使用人として仕事をするうちに、タニアがどれだけ優秀なのかもすぐに理解できた。わたしのお世話は体調からスケジュール管理、着替えからお化粧まで多岐にわたるからだ。
「お嬢さまのその言葉に、わたしたちはみな救われているのですよ。」
タニアの言葉に少し照れくさくなった。使用人の中で仕事をするうちに、自然と彼らの人となりを学んだ。その中で、家族と離れて暮らしているもの、病気の妹のためにできることを模索しているもの、個人の事情を知り、その助けができないかと両親に相談した。定期的にボーナスを支給できるように父に頼み、病気なら薬が出してもらえるよう母に協力してもらった。
――領地に出ることもできたから、領民の暮らしも身近に知ることができたのよね。
街で聞いた声を父へ届ける許可を得て、政策の評価や役人たちへの生の声を報告書に仕上げたときは、さすがの父も絶句していた。
――アラサーだったわたしの努力と経験が無駄じゃなかったって思えて、正直救われたのよね。
そして、そんなわたしの行動に触発されて、兄も積極的に領地経営に携わるようになり、母がとても嬉しそうに笑った。社交シーズンに安心して領地を離れられるのも、こうした小さな努力の結果だと、家族が喜んでくれることが、何より嬉しかった。
「お嬢さま、準備はよろしいですか?」
そして今夜、いよいよララベルとして社交デビューだ。
もう一度、着飾った姿を見つめる。
「タニア、行ってくるわ。」
重く足さばきの難しいドレス歩行にも慣れて、わたしは伯爵令嬢ララベルとしての一歩を踏み出した。
社交界は戦場だとよくラノベで読んだ。
――百聞は一見に如かず。
その言葉が本当だと、身をもって知ることになった。
「それでは、ララベルさまは、わたくしの考えが間違っているとおっしゃるの?」
どこの世界でも恋バナは好きらしい。ご令嬢が集まって、まず話題になったのが政略結婚と婚約者との関係だった。
――相手からの行動を待つだけじゃダメだと思ったんだけど、怒らせちゃったみたい。
「間違っているとは思いません。でも、相手に求めるだけでは気持ちが伝わらないと、そう思ったのです。」
「……」
「思っていることや感じていることを相手に伝える。それは間違っていないと思いますよ。」
余計なことを言ってしまったかと思い、軽く会釈をしてその場を去る。
――お節介、だったかな。
口ぶりから、現状に苦しんでいる気がして無視できなかった。それでも、彼女の反応を見る限り、わたしの提案は常識の観念から外れるようで、心苦しくなった。
「さっきの言葉、本当ですか?」
一人になろうと歩き出したところで、数人の貴族令息たちのグループに呼び止められた。
「相手に求めるだけでは、気持ちは伝わらないと言っていましたよね?」
どこの貴族令息たちだろうか。自己紹介もなく、突然話しかけられたことに戸惑う。
「……申し訳ない。わたしはランドルフ侯爵が嫡男、スコット・ランドルフです。先ほどあなたがお話していたご令嬢、ローラ・ミルズ伯爵令嬢の婚約者です。こちらはベルザーク伯爵家のルイス、イングッド伯爵家のロイドです。」
「ウィンスラン伯爵家のララベル・ウィンスランです。お気に障ったのなら、申し訳ありません。」
まさか、囲まれるとは思っていなかったので焦る。
「驚かせたのなら、すまない。あなたの意見をもう少し聞きたいと思ったんだ。」
侯爵家は格上だ。そう言われてしまえば、この場を去ることもできない。
「相手に伝えるというのは、簡単ではないと思うのだが。君の考えを聞かせてくれないか?」
視線からは悪意も敵意も感じない。純粋な好奇心のようだ。
「難しく考える必要はないのではないでしょうか?」
「簡単にできると?」
「相手の人となりを知りたいと思うなら、その人と交流すればいいだけのことですわ。」
「頻繁に会うのは難しいだろ?」
「どうして会う必要がありますの?手紙のやり取りでも、その人のことは知ることができますでしょ?」
「手紙か……」
「そうした手間を惜しんではならないと思うのです。互いのことを考える時間は、大切だとは思いませんか?」
ランドルフ侯爵令息は、納得したように笑った。でも、その他の二人は面白くなさそうな顔をしている。
「所詮は政略結婚だからな。体裁を整えておけばその後の恋愛は自由だろ?」
「わざわざ時間をかけて相手を知るなど、無駄なことのように思えるな。」
「えっ?」
とんでもない言葉が聞こえてきた。
――この人たちにとって、相手を知るのは無駄な時間だというの?
「貴族にとって結婚は契約。」
「そこに愛は必要ないだろう。」
そう言って笑いあう二人に、無性に腹が立った。
「わたしには必要なのです。」
笑っていた二人の表情が固まる。
「わたしは、生涯を捧げたいと思えるたった一人の男性を探しているのです。」
大切だと思える人に、愛し愛されたいと思うことを笑われた気がした。相手を思う気持ちそのものをないがしろにされた気がした。驚くほどの怒りがこみあげて、止められなかった。
「そして、相手にもそれを望んでほしい。」
いつの間にか注目され、静かになったホールに声が響く。
「それができないのであれば、わたしは生涯独身でも構わないと思っています。」
周囲の動揺が大きくなる。
――それでも譲れない。
「けれど、わたしは出会えると信じているのです。失礼させていただきます。」
精一杯、美しく見せるカーテシーをし、わたしはホールを立ち去った。




