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◇
翌朝、天気が味方するような晴れ晴れとした日曜日。起きた時は眠そうにしていた陽太だったけど「公園に行こう」と誘うと、すぐにギンと目を光らせた。
「行くー! 三輪車の練習するー!」
砂場セットを頭に思い描いていた私は、陽太の年齢を思い出してハッとする。砂場セットはさすがに幼かったな。陽太も、あと三ヶ月で一年生になるのだから。
「じゃあ朝ごはんはしっかり食べること。いい?」
「うん!」
陽太と一緒に、睦月のご飯を食べ終える。だけど珍しく睦月が「陽太、お皿洗いをお願いできる?」と頼んだから、公園遊びの前に、お手伝いを一つだけすることになった。
陽太は珍しく「やだよー」と駄々をこねていたし、「明日はするから今日はパスしていい?」と回避しようとしたけど、睦月がどうしてもというので、今では台に乗って大人しく皿洗いをしている。
私も着替えようかと思っていると、睦月に呼ばれた。手を引かれ、あれよあれよという間に彼女の部屋に入る。そういえば、ここで一緒に寝たことがあったな。睦月と「腹を割った本音の話し合い」という名の、泥臭い話をした日だ。あの時の睦月も、今みたいに真剣で、それでいて申し訳なさそうな顔をしていた。
「もしかして……これからする話も、泥臭い話かな?」
聞くと、睦月は眉を下げた。どうやらそうらしい。
私たちは、同じタイミングで座布団の上に腰かけた。
「ルカから全て聞いたんでしょ? ご両親のことと、ルカが何を思い描いているかってこと」
「聞いたよ、全て。ひどいよ睦月。全部私に内緒にしていたなんて。ルカが調理師免許をとることも、何も知らなかったからビックリだよ」
「それは本当にごめんね。ルカが自分の口で言うまでは、って思っていたんだ。
あと、ルカは言葉足らずだからさ。明里がこの計画を知った時は、私が補足しなきゃって思っていたの」
睦月は一呼吸おいて、過去を思い出すように話し始めた。
きっと「ルカから計画を聞いた日の記憶」を辿っているんだ。
「ある時ね、ルカが『自分たちが去っても、明里と陽太がずっと覚えていられるような何かを残したい』って言ったの。確かに『思い出』だけだと、記憶は薄れていく。私たちがどれだけ二人を大切に思っていようと、どれだけ二人を大好きでいようと、忘れ去られてしまうってことなんだよ。
きっとルカは、そうなってほしくなかったんだね。私とルカは『明里と陽太の味方だってこと』を、自分がいなくなった後も、ずっと覚えててもらいたかったんだよ」
「……うん」
その気持ちを「形に残そう」とルカが思案した結果、宿屋を営むという答えが出たのだ。理にかなっていると言えばそうだし、少々オーバーだと言えばそうだし。
だけど咎める気は起きなかった。ルカがこの答えを出すどの工程を切り取っても、そこには私と陽太への愛が込められているから。ルカは優しい。涙が出るほど。睦月だってそう。
「睦月、ごめんね。私たちのせいで命が短くなってしまって」
二人には謝っても謝り切れない。感謝してもしきれない。私がこの事実に気づかなければ、きっと二人は墓場まで持って行ったことだろう。わたし達二人のために己の寿命を削ったと、死んでも言わなかったはずだ。なんて慈悲深く、優しい妖怪たちだろう。
「これからは何でも言ってよ。どんなことでも受け止めるから。わたし達は、もう家族なんだから」
「明里……。うん、ごめんね。今度からは、そうするよ」
私も睦月も涙目になって、両の手をそれぞれ繋ぐ。
きっと私たちは今、同じことを思っている。
生きてほしい気持ちと、生きたい気持ち。互いを思うからこそ生まれた気持ちが、ここにある。
みんなで幸せになる。いや、なりたい。
一日一日を笑顔で過ごせる未来を作りたいと、強く思った。
「私もしっかり考える。ルカが、遊びでこの話をしていないと分かってるから。本気だと分かっているから、私も真剣に考えて答えを出す。ありがとう。ルカの気持ちを教えてくれて」
「うんっ」
私はさっきよりも前を向けていた。ルカの思い描く未来を、前向きに捉えてみようと思えた。不安ばかり募らせるのではなく、ルカが夢見た希望を、私も一緒に感じてみたい。
実は陽太と話をすることに、今朝からずっとドキドキしていた。だけど今、体の力を抜くことができた気がする。
悲しい話をするんじゃなくて、皆が幸せになる未来の話をする。そう思うと、自然と顔が上がった。
そんな私の機微の変化を睦月も分かったのか、「よし」と、私と繋がっていた手を離す。
「泥臭い話は終わり! どうしても『今』明里と話したかったんだ。これから陽太に、私たちのことを話すんでしょ?」
「うん。睦月とルカに寿命があることを話そうと思う。そうすれば『睦月から頼まれる何でもない約束も、尊いものだと思う』だろうから」
話しておけば、あの時「もっと言うことを聞いておけば良かった」という後悔が減る。
記憶を忘れることは案外容易いのに、後悔だけは、道路に付着したガムのようになかなかはがれない。長く心に影響するものだからこそ、後悔の数は少ない方がいいと思ったのだ。
だから陽太に話す。両親との突然の別れに「どうして」「なんで」「あの時」を経験した私たちだからこそ、同じ二の轍は踏みたくない。
だけど睦月は「明里ったら」と、私を嗜める。
「別に、そこまで思ってくれなくていいよ。私たちは『ずっとここにはいられない』って伝えてくれたらいい。死ぬって言うんじゃなくて、どこか遠くへ行くって話してあげよう。私たち妖怪には、人間みたいに葬式もないし」
「……うん」
ただ、消えていくのだろうか?
聞こうとしたけど、二人の最期の姿を知りたくなくて口を閉ざす。
再びしんみりした私に、睦月が「それにさ」と。場を明るくするためか、おどけたような声を出す。
「妖怪の寿命だから、薄命といっても、めーっちゃ長い時間生きるかもよ? もしかしたら明里たちが大人になっても生きてるかも」
「その時は笑おうよ。生きてる幸せを噛み締めよう。生きてくれさえいれば、私たちは嬉しいから」
「……そうだね。今日の昼は、泣き虫陽太のために好物を作っておこうかな」
買い物に行くか―、と大きく伸びをした睦月。私は「ありがとう」とお礼を言いながら、彼女と一緒に部屋を出た。
すると洗い物を済ませた陽太が、着替えを終えて、もう玄関にスタンバイしている。
「行こう、おねえちゃん!」
「うん、行こうか」
素早く着替えた私は、睦月と手を振ってお別れする。睦月は私たちの姿が見えなくなるまで、玄関から手を振ってくれた。
公園についた。宣言通り、陽太は自転車の練習をしている。自転車の補助輪、今日は少し浮かせてみようかな。
そんなことを考えていると、スッテーンと陽太が転んでしまった。幸い血は出なかったけど、陽太の目にジワリと涙が浮かぶ。休憩もかねて、二人並んでベンチに腰かけた。
「陽太、泣かなかったね。えらい」
「俺、もう年長だからね。あと少しで小学生だし」
「うん、そうだね」
そんなしっかり者の陽太に、とある話をしようと思う――そう切り出すと、陽太は体ごと私に向き直った。
そうして「知ってるよ」と。何も話さない内から、私の目をまっすぐ見る。
「睦月お姉ちゃんとルカお兄ちゃん、病気なんでしょ? あまり生きられないんでしょ?」
「え」
どうして、それを――言葉に詰まっていると、陽太の目がキラキラと光った。大きな瞳の上に、涙が膜を張っている。そこへキラリキラリと、反射した日光が涙の水面を移動していた。
「皿洗いが終わって、睦月お姉ちゃんの部屋の前まで行った時。二人の声が聞こえた。僕、聞いちゃったんだ」
「そっか、そうだったんだ……」
「……」
「……」
陽太は一度、ズッと鼻を鳴らした後。ついに堪らえきれなくなった涙を、何度もズボンに落とす。
「ウソだよね?」
「……ううん」
首を横へ振ると、陽太は目を見開く。
「全部、本当なの」
「……っ」
うぅ、っと声を押し殺して泣く陽太を、力いっぱい抱きしめた。そうして「えらいね」と、震える肩をさする。
「睦月の前で泣かなかったんだね。我慢したんだね。普通なら泣くところを、精一杯こらえたんだね」
「だって睦月お姉ちゃんが、俺には知られたくなさそうだったから……」
「うん、そうだね」
睦月は「私たちは遠くに行ったと伝えて」と、私に言った。直前まで「寿命のこと」を話そうとしていた私だけど、彼女がそう言うならと「睦月の作戦で陽太と話をしよう」と思っていた。
しかし陽太は聞いてしまった。それでも、辛い中、彼女の気持ちを尊重した。
たった五才の子が、なんてえらいんだろう。そう誇らしく思うと同時に、この子の胸が張り裂けてしまわないかと心配になる。過度な重荷を背負わせるのは、精神衛生上よくないに決まっている。
この辛さを、どう晴らしてあげるのがいいだろうか。そこまで考えていなかった私も、まだまだ未熟な子供だ。陽太を支える姉として情けない。
すると陽太が、パッと私を見た。勢いのいい動きだった。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「悲しいけど、僕、知られて良かった。睦月お姉ちゃんと、ルカお兄ちゃんとの毎日を楽しもうって思えたから。僕、ひらがな書けるようになったよ。だからお手紙を書く。大好きって、いっぱい書く。何度も二人に送るよ。二人が『もういらない』って言うまで。そうすれば僕と離れて天国に行っても、二人は寂しくないでしょ?」
「陽太……」
私よりもしっかりした考えを持ち、強くあろうとする陽太。今まで「陽太を守らなきゃ」と思っていたけど、今だけは彼の強さに私が守られているような気がした。
陽太は大きくなった。私が思っているよりも、ずっと。
「そうだね。手紙を書こう。そうすれば寂しくないね」
残す者と、残される者。互いに想いあって、何かをしてあげようと考える。
その想いに応えるってことは、相手と気持ち良く「さよなら」できるってことじゃないだろうか。
陽太が二人へ送る手紙、ルカが私たちに託そうとする宿屋。
それらは、私たちにとって重要なカギとなっている気がした。
「ねぇ陽太。今住んでいるお家が、宿屋になったらどうする?」
「やどや?」
「ホテルとか、旅館みたいになることだよ。お客さんが泊まりに来るの。忍足さんとか佐野さんとか、前に泊まってくれたでしょ? あんな感じで、家の部屋が、代わる代わる誰かの部屋になるんだよ。家自体が、お店になるの」
「お店……」
もっと噛み砕いて説明できたらいいんだけど、私の語彙力だと、これが限界だ。今度、電車に乗って旅館に泊まってみようか。いや、そこまで贅沢するお金はない。社会勉強もさせてあげられないなんて、悔しい限りだ。
でも宿屋を経営して、もしも上手くいったら……こういうお金に関する悩みは消えるかもしれない。幸いにも、新しく大学もできた。忍足くんのように、遠方に両親がいる場合、子供の様子を見に訪れることもあるだろう。その時に、宿屋があれば助かるんじゃないだろうか。もちろん、万事うまくいく、なんて悠長なことは思っていないけど。
「失敗するかもしれないし、成功するかもしれない。でもルカと睦月が『一緒にやろう』と言ってくれてるの」
「今の家のままで、お店ができるの?」
「忍足さんが新しい家を考えてくれるらしいよ。作ってくれるのは、忍足さんのお父さん……の予定」
陽太は「すごいね!」と言って、目を輝かせる。あまりに明るい声だったから、つられて私の顔も上を向いた。
「皆の思いが詰まったお店なら、僕もやってみたい。たくさんお手伝いするよ!」
「……陽太は小学生になるから、まずは勉強がんばって。それに少なくとも、一年はお店はできないの。コックがいないからね」
「そっか。僕、楽しみだなぁ。完成したら陽太くんも呼んでいい?」
「もちろん」
と、ここまで言って、宿屋に賛成している自分がいることに気づいた。
そっか、私は宿屋を「営みたい」と思っていたんだ。最後の一押しを、陽太がしてくれたのかもしれないな。
「じゃあ私と陽太の考えを、皆に知らせに行こうか」
「うん。……あのさ、お姉ちゃん」
「ん?」
陽太は自転車にまたがって、ヘルメットをつける。そうして人差し指をあてて、シーのポーズをした。
「僕が寂しくて泣いたことと、自転車にこけて泣きそうになったこと。皆にはシーだからね」
「……ふふ、分かったよ」
陽太は、思ったより切り替えが速かった。ペダルに足を乗せて、思い切り踏み込む。そうして私よりも先の道を、ぐんぐん進んでいった。
「陽太はもっと泣くかと思ったけど、杞憂だったな。……ん?」
彼が通った軌跡を辿る。すると、所々に地面が濡れていた。小さなシミが点々としている。
それを見た瞬間、あぁと腑に落ち、私も泣いてしまった。
陽太は五歳なりに戦っているんだ。自分の中にある「寂しさ」と。
「がんばれ、陽太。がんばろう、私たち」
家に着くまでの間。それぞれ抱いた寂しさは、涙と一緒に流して落とした。私たちはいつも通り「ただいまー!」と笑顔で帰る。そうして玄関扉を開けた瞬間、睦月が作ってくれたオムライスの良い香りが、私たちを温かく出迎えてくれた。




