終
その夜――ルカが調理師養成施設から帰り、忍足さんも学校から帰った後。私と陽太は、二人の意見を皆に話した。
「この家を、宿屋に変えようと思う」
「え」
「本当?」
「よっし!」
最後の「よし」はもちろん忍足さんで、誰よりも一番喜んでいた。反対に、誰よりも宿屋への思いが強いはずのルカの目が点になっている。聞こえなかった、わけじゃないみたい。驚きすぎて、私の言葉が信じられないみたい。「本当なのか?」と、空色の目を私に向ける。
「本当だよ。みんなで宿屋をやってみたい。ここに来るお客さんの喜ぶ顔を見られたら、きっと私、幸せな気持ちになれると思う。なにより、ルカが考えてくれた宿屋を実現してみたい。お客さんだけじゃなく、私たちにとっても、きっと素敵な場所になるだろうから」
「……そうか」
安心したのか、目に見えてルカの肩が下がっていく。だけど「ルカ」と、私がいつもより大きな声で名前を呼ぶと、ルカは再びキュッと体に力を入れた。
真剣な顔をした私とルカ。二人の視線が、真っすぐ交わる。
「だけど、一つだけ約束して。あなたが施設に通う一年。そうして、私が免許を取得する二年。合わせて三年の間、必ず元気でいること。リフォームまでして宿屋の夢を叶えるの。あなたに何かあったら夢半ばになってしまう」
「……承知した」
「もちろん、その三年を過ぎた後も、ずっと元気でいて。皆で一緒に宿屋を盛り上げよう。もちろん睦月もだよ」
ルカと睦月は互いに顔を見合わせて、また私を見た。
「それも承知した」
「わかったよ、明里」
続けて二人は、テーブルの端でいつもより静かにしている陽太に視線を送る。陽太の目から涙は出ていないとはいえ、朝かなり泣いてしまったから、その目はいつもより腫れぼったくて赤い。
もちろん、それに気づかない二人ではない。ルカは陽太の肩に大きな手を置き、睦月は陽太の両手を優しく包んだ。
「まだまだよろしくね、陽太」
「……うんっ」
結局、陽太は泣いてしまったし、それを見た忍足さんは終始ポカンとした顔だったけど。それでも今日、私たち家族は一歩前に進めた気がする。
ただ悲しむだけでなく、いつか来る悲しみのために備えておく。それも宿屋という、特大の大きさで。
皆の思いが詰まった宿屋は前を向き続けたい私たちにとって、これ以上ないお守りのような気がした。
◇
『どうかな、親父』
という忍足さんの声を、私たちはスマホ越しから聞いている。
一体何をしているかと言うと……。
今日は、忍足さんのお父さんに設計図を見せる日。彼の実家は遠方なので、私たちはついていくことが出来ず(何より大人数だし)、こうしてビデオ通話でお邪魔している、というわけだ。
画面の向こうで、忍足さんとお父さんが向かい合って座っている。一度、お母さんがお茶を置きにきた以外は、終始無言だ。さっき一度だけ忍足さんが催促したけど、お父さんから返事はなかった。ジッと、設計図を上から下まで、他の音が聞こえないほど集中して確認している。
ピリッとした空気が、距離関係なくこちらまで伝わってくる。お父さんの目の前に座っている忍足さんは、さぞプレッシャーを感じていることだろう。……と心配したけど、彼の横顔を見るに、その心配はいらないみたい。
きっと自信があるのだ。なぜならこの一か月、私たちと何度も協議し、徹夜して完成させた物だから。
それを見るお父さんの瞳も真剣そのもの。シワの線が入った横顔には古傷も見え、きっと工事中に怪我をしたものだろう。それが余計に、大工の貫禄を示していた。
『下地木工事は済んでいるのか?』
『現代のようにハッキリと工事跡があるわけじゃない。でも所々に、その形跡がある。きっと増築することを視野に入れて建てられている。その分費用は安くなるけど、築年数が建っているから補強費にあてたい。梁の入れ替え、痛み具合によっては新しい梁の追加も必要だ。それを踏まえて、二階の部屋も増やしている。もちろん建築基準法は遵守している』
『……そうか』
今の二人は親子の立場ではなく、仕事相手として話をしているらしい。その後も真剣なやりとりが、私たちの前で繰り広げられる。
そうして一時間が経った頃。今まで相づちのみだったお父さんが、パシンと膝を叩く。
『引き受けよう』
『え、いいの?』
忍足さんと同じタイミングで、私たちも「え⁉」と声を出してしまう。するとお父さんは、自分の姿が私たちに見えるよう体の向きを変えた。
『息子のことはさておき。そちらの家に興味が出ました。
築年数が建っている家をリフォーム、それも宿屋にするなんて、大工の腕が鳴るってもんです。必ず満足して頂ける家を作ります。どうぞお任せください』
「あ、ありがとうございます……!」
お父さんが引き受けてくれると聞き、私たちはワッと手を叩いて喜んだ。一方の忍足さんは「俺のことはさておきってなに」と唇を尖らせている。そんな彼を、彼のお母さんが「お父さんがヤル気を出すほど魅力的な設計図を作ったってことよ。自信もちなさい」と慰めていた。
私も、本当にそう思う。忍足さんの努力が、お父さんを引き寄せたんだ!
『それで、一度予算を組みますので一週間ほどお待ちください。大規模なリフォームになるので、計算に時間がかかってしまいそうで』
「あ、そのことなのですが……」
私はおずおずと手を挙げる。
「全ての額を、一気にお渡しする事はできません。私一人の稼ぎなので……。でも毎月、決められた額を必ず支払います。延滞することはないと約束します。後手の情報で申し訳ないのですが、それでも引き受けてくださいますか?」
立ち上がり、頭を下げながらお願いする。呆れられただろうか? そりゃそうだ。「そんな話は最初にしておけよ」と思うのが自然だろう。
だけどお父さんは「謝るのはこっちです」と、逆に私に頭を下げた。
『何でも、息子が急にそちらにお邪魔して居座っているとか。
ケンカ別れした後、住むところがなくて途方にくれて帰ってくるかと思えば帰ってこない。そりゃ心配しましたよ。だけどよくよく考えれば、私とケンカしてでも建築の道に歩むと決めた息子だ。そんな子が、泊まれる所がなかったからといって、メソメソ帰ってくるわけがない。きっと野宿をしてでも大学に通ったことでしょう。そんな息子を、あなた方が拾って助けてくれた。だからお礼を言うのは私の方です、ありがとう』
「いえ、そんな……」
忍足さんがいてくれたおかげで、色んなことに気づけた。それに「一緒に正解を見つけよう」と言ってくれた。私の隣で、一緒に悩んでくれたのだ。その存在は、正直かなり心強くて……。忍足さんがいなければ、きっと私はウジウジしたままだっただろう。
「お礼を言うのは私の方です。忍足さんの前向きさには、いつも助けられています」
『はは。ポジティブさと頑固さは私に似ましたからな。だけど、そう言って頂けると私も嬉しい。改めて、息子を誇りに思います』
画面の端で、忍足さんがギョッとした後、照れ臭そうな顔をした。滅多に見せない顔に、陽太と睦月が指をさして笑っている。忍足さんが帰ったら二人は怒られるだろうなと、私は苦笑を漏らした。
『それでは後の諸々の話は、吹に話しておきます。知人割引も適用させていただくので、後に確認ください。契約書なども、一緒に持ち帰らせますね』
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
頭を下げた後、忍足さんと手を振り合って、ビデオ通話が途切れる。その瞬間、静かな家に……
「「やったー!!」」
二人の歓声と、私とルカの拍手が響き渡った。
「良かったね、できるんだって! この家を宿屋に変えられるんだって!」
「しかも割引もつくなんて、ありがたいね」
「弥生くんに遊びにきてもらおー!」
手を叩き合う私たち。だけど視線を感じる。
ルカだ。ジッと私たちを見つめている。
「えっと、ルカも嬉しいんだよね?」
「もちろんだ」
「じゃあタッチしようよ、ほら」
抵抗の表れか、ルカはキュッと眉間にシワを寄せた。だけど観念したらしい。胸の高さまで、控えめに手を挙げる。そこへ陽太、睦月、私が順に手を合わせ、三度パチンと響かせる。
ルカは赤くなった手を見つめながら、ポツリポツリと喋り始めた。
「正直、ホッとした。ここで断られたら、次はどこに頼めばいいか分からなかったから」
「……うん、本当だよね」
もはや忍足さんがココへ泊まってくれたのは運命じゃないかと思う程だ。わたし達は、安心した顔を突き合わせる。
ほんわかした雰囲気が漂う中、グウと鳴ったのは陽太のお腹。「安心したらお腹すいちゃった」と笑うものだから、私たちもつられてしまう。睦月が「私もお腹すいた~!」と、骨をパキパキ鳴らしながら立ちあがった。
「よーし、お祝いにちらし寿司を作ろう! あ、でも材料がないや」
「だったら、私が自転車で買いに行くよ。買う物をメモして、私にくれる?」
「オッケー!」
睦月はいそいそと台所へ姿を消した。陽太も「お茶飲もう~」と、彼女に続く。
残った私とルカは、二人して玄関を目指した。……ん?
「ルカも玄関に用事?」
「買い物に行くなら、ついていく」
「え、いいよ。久々の休みなんだから、ゆっくりしてて」
「いい、行く。そこまでヤワじゃない」
どうやらルカも、忍足さんに負けない頑固さがあるらしい。今度は私が観念して、自転車のカゴに、狐化したルカを乗せた。そうして睦月からメモを受け取り、いざ出発。
気づけば二月初旬。寒い季節、真っ只中だ。
それでも最近の私は、起床時の「寒さからくる億劫な気持ち」が和らぎつつある。きっと「宿屋」への希望が、私の体温をほのかに上げているのだ。いつだって人を導き照らすのは希望なのだと、改めて知る。
「ねぇルカ。私ね、人生で色んなことがあったけど、今ほど前向きな気持ちになったことないんだ。ルカが、そうさせてくれたんだよ。だから本当にありがとう」
本来なら両親から教わることを、今やルカや睦月、色んな人を通じて教わっている。教わるだけの人脈なんて、少し前の私なら皆無だった。ずっと「陽太と二人きりの世界」だと思っていたから。
でも私たちだけじゃないと知った。私たちを応援してくれる人たちがいると知られた。
ルカのお母さん、弥生くんママ、忍足さん、権さん、文おばさん。皆私たちの味方で、仲間だ。ルカと睦月なしでは得られなかった、大切な絆だ。
「だからありがとう。わたし達と出会ってくれてありがとう。家族になってくれてありがとう、ルカ」
「……うん」
その時、突風ともいえる風が吹いた。それはそれは勢いのある風だった。
耳元で大きくうなった風は、ルカが紡いだ言葉を簡単にさらっていく。
「明里、俺も――――」
「え、ルカ何て言ったの?」
「……」
プイとそっぽを向かれてしまう。狐の姿になっても、ルカは寡黙だ。
さっき、ルカが何て言ったかは分からなかったけど……。こう言ってくれていたら嬉しい、と思う言葉がある。
俺も、明里と陽太と家族になれて嬉しかった――
その言葉が聞けたら、私はもう満足だ。
「ありがとうね、ルカ」
「何も言ってないぞ」
「言ったことにしとくの」
黄金の毛を見ながら自転車を漕いでいく。いつものお地蔵さまの前を、私たちは笑いながら通った。
◇
それから三年の月日が経った。
ルカは無事に調理師免許を取り、リフォームも大成功した。さっそく宿屋としてオープンすると同時に、各サイトで宣伝を始め、予約をとった。ビックリなことにその辺りのことは陽太が得意で「管理は任せてよ」と、パズルのようにスケジュールを埋めてくれる。
宿屋の名は、隠れ宿「ゆきどけ」。
山の中に突如として出来た宿に、近隣住民も、大学生も、そうして県外の人も興味津々だった。そのおかげか有難いことに予約が途絶えることはなく、そのおかげで忍足さんのお父さんへの返済も滞りなく進んでいる。
私といえばダブルワークを辞め、宿屋一本に絞って働いている。初めは慣れない業務に四苦八苦だったが、二年経った今かなり慣れてきた。
「睦月、今日の夜にお客さんが急きょ一人増えるよ」
「食材に余りがあるから大丈夫だよ。それより誰?」
「ふふ、すぐ分かるよ」
睦月とルカが厨房に立ち、お客さんのお腹を満たしている。私は配膳と、お客さんの身の回りのお世話、その合間に二人から料理を教わっている。これが思ったより忙しい。各部屋に布団を用意したり、温泉の点検をしたりと、二階しかない宿屋を、マラソンしているみたいにずっと走り回っている。
客室を8部屋にし、男女別の温泉を設けた。二階に5部屋、一階に3部屋。といっても一階の3部屋の内、一部屋は万年埋まっている状態だ。その理由は……。
「おーい、ロビーで女の子が泣いてるよ?」
「忍足さん、今日は早いんですね」
「大学がテスト期間だからね。ヒマなんだよ。それより女の子は大丈夫?」
「そうだった、すぐ行きます!」
忍足さんが、ずっと部屋に住んでいるのだ。リフォーム代と宿泊費を相殺する形で、お父さんと話がついた。人手が足りない時はこうしてさりげなく手伝ってくれるから、すごく助かる。
「本当だ、女の子がいた。……ん?」
小さな女の子と、和服姿の女性がいる。見覚えのある後ろ姿に、自然と足が速くなった。
「ルカのお母さん! 来てくださったのですねっ」
ルカのお母さんが、泣いている女の子をあやしてくれていた。お母さんも「あら」と、黄金の瞳を私に向ける。
「お忙しいのにごめんなさいね、明里さん」
「とんでもないです! ずっと心待ちにしていました。今日はゆっくりされてください」
次に膝を降り、女の子と目の高さを合わせる。
「こんにちは。君は『さくらの間』のつむぎちゃんだね?」
「うん、そう。おねーちゃん、どうして知っているの?」
「大切な人のことは覚えているんだよ。連れて行ってあげるから、パパとママの所へ行こう」
「あ、ありがとうっ」
お母さんに「ルカは厨房にいます」と伝え、女の子と一緒に二階へ移動する。ギシ、ギシと、趣のある音が鳴る階段が、私は好きだ。だけどつむぎちゃんは少し怖そうに、キュッと肩をすぼめた。私と繋いだ手にも、力がこもっている。
「つむぎちゃん、雨上がりの桜って見たことある?」
「雨の桜? って何?」
「えっとね、曇から太陽が出て、桜を照らす瞬間があるの。その時ってね、すごくキレイなんだよ。まるで桜の海ができたみたいに、薄ピンク色にキラキラ光るの」
「えぇ、あたしも見てみたい!」
「本物じゃないけど、今から見られるよ」
「え?」
階段を上がる。すると窓から入った日光が、薄紅色のカーペットにあたり、地面をキラキラ照らした。優しい光が、私たちを出迎える。
「わ、キレイ! ステキだね、おねえちゃん! 海のキラキラと一緒だ!」
「そう見えるように、この宿屋を作る時、大工さんにお願いしたんだ。見て、階段にも光が当たってる。キラキラしてるでしょ?」
つむぎちゃんは、今のぼってきた階段を見る。「本当だ」と、自ら近寄った。
「階段、こわくない。キラキラで、すごくキレイ! パパとママにも見せてあげたい!」
「うん、見せてあげよう。今日は雲一つない晴れの天気だから、特別にキレイだと思うよ」
そうしてつむぎちゃんを「さくらの間」に送り届ける。別れ際、「お姉ちゃん、ありがとう!」と満面の笑みを向けられた。
「こちらこそ、ありがとうっ」
私は保育士になりたかった。理由は、子供が好きだから。
その夢は叶えられなかったけど、私は今こうして子供と関わることができている。自分の夢をこんな形で叶えることができるなんて、それこそ夢みたいだ。
「ルカのおかげだな。――よし」
キラキラの階段を降りて行く。その時、スマホが鳴った。画面を見ると、弥生くんママから。
「弥生くんママ! お久ぶりです」
小学校に行ったら、弥生くんママとはあまり会わなくなった。私の勤務時間が変わったことが原因だ。同じ小学校だけど、これほど会えなくなるなんて……。連絡先を交換していて、本当に良かった。
『あ、陽太くんのお姉さん? こんにちは。
やっと宿の予約がとれたのよ! もう嬉しくて、思わず電話しちゃった』
「え、あははっ」
時計を見ると、十二時半。本当だ、仕事の休憩時間中に、宿の予約をしてくれたんだ。それに電話までかけてきてくれて。
いつもの彼女とはちょっと違う、テンションの高い声。それを聞いて、思わず口角が上がる。
「嬉しいです! お会いできるのを楽しみにしていますっ」
『といっても三ヶ月後よ。弥生が『待ちきれない』って言いそうだわ』
「それは本当に申し訳ないです……」
ここまで予約が殺到しているのは、訳がある。実はこの宿屋、人間のお客だけじゃなく、妖怪のお客も迎えているのだ。もちろんお金がないといけないんだけど、そこはルカと睦月が「本物のお金がどうか」を吟味してから、泊める許可を出している。といってもルカのお母さんは、ルカが学費をかりていたこともあるからタダなのだけど。
そういう理由もあって「予約が取りにくい宿屋」として、お客の間では浸透している。
「そうだ。今度、またお花見しませんか? いつかみたいに」
小学校に入学直後。
私たちは一度だけお花見をした。一緒にお弁当を作って、三食団子を買って、花びらを集めながら楽しくお花見した。その時の写真は、今も私のスマホの壁紙となっている。
『お花見、いいわね。もう春だしね』
「はい。桜も七分咲きです。満開まで、あと少しですよ」
すると弥生くんママが「もう満開じゃない」と、私の後に笑う。
『陽太くんのお姉さん、前と違って声が活き活きしてる。まるで花が咲いたみたいだわ』
「え、そうですか?」
『とても今が充実してるって感じが伝わってくる。幸せなのね』
「……はい、そうですね」
確かに幸せだ。宿屋は軌道に乗り、なんとか貯金も出来るようになってきた。前程の不安はない。
あるとすれば、ただ一つ。ルカと睦月の寿命のことだけ。
二人とも、この三年体調に変化なく過ごしていた。幸せな三年だった。
だけど同時に不安も増していく。そろそろかな、あとわずかなのかなって。
「あ、チャイムの音……。すみません弥生くんママ、お電話ありがとうございました。お仕事、がんばってくださいっ」
『陽太くんのお姉さんもね。それじゃあ』
お客さんが入って来たチャイムを聞いて、急いで一階へ降りる。だけどロビーには誰もいない。
……あれ? 気のせいだったかな?
すると「明里」と、奥から睦月とルカがやってきた。二人とも血相変えて、どうしたんだろう?
「ルカ、お母さんと会えた? さっき厨房に『ルカがいる』って伝えたんだけど」
説明する私の話を聞かず、ルカは「それより」と、辺りをキョロキョロ。珍しく睦月も落ち着きがない。何かを探すように視線を動かしている。
「さっき誰か来なかったか?」
「確かにチャイムは鳴ったけど、誰も……」
すると睦月が「あ」と、両開きになった玄関を見る。
そこに目をやると、確かに何かがいた。「ようこそ」と書かれたカーペットの上に、何かが乗っている。あれは……。
「「か、神様だ」」
「え、神様? あの方が?」
方っていうか、なんていうか。
そこにいたのは、小さな背丈のお地蔵さん。せいかこども園やスーパーに行く道中、いつも立っていたあのお地蔵さんだ。
お地蔵さんの元へ向かう。すると石にも関わらず、お地蔵さんは滑らかに動き、私にお辞儀をした。
「初めまして、明里さん。私はこの地方を取り仕切る神です。今日は、そこの二人に用があって参りました」
「え、あ……。えっと、初めまして。いつも、お世話になっています」
これ、正しい挨拶なのかな?
おずおずと話すと、お地蔵さんは石の体を揺らしながら笑った。
「地蔵の姿になって、ずっとあなた達を見ていました。あなた達の真っすぐな生き様を、ずっと。
至らない私たち妖怪のせいで、明里さんには迷惑かけました。この通り、お詫びします」
神様の声を聞いて、睦月とルカも顔を下げる。顔が太ももにつきそうなほど、深く。
「も、もうそのことは話し合ったので、大丈夫です。それより二人に話しって……」
聞くと、神様は「そうでした」と、ルカと睦月に体の向きを変える。向かい合った瞬間、二人の体に電流が走ったようにピャッと背筋が伸びた。
「あなた達の寿命を返しにきた、と言ったらいいでしょうか。最近は、この土地に多くの人が出入りするから、神の気も溜まるのです。その『気』を『寿命』として、あなた達に返しにきました」
「返す、というのは……」
睦月に続き、ルカの口もハクッと動く。それは声にならず、生唾を飲み込むだけに終わった。
その様子から、二人の緊張が伝わってくる。かくいう私も、神様の言葉に期待してしまって、さっきから心臓が忙しない。
だって神様は「寿命を返す」と言った。それは、つまり――
「ここに多くの人がやってくるのは、この宿屋のおかげです。宿屋の発案者は、あなた達でしょう? ここに来るお客が散歩をして、私と出会い、手を合わせて去っていく。すると私に力が溜まるのです。
だから返しにきました。よく言うでしょう? 情けは人の為ならず。いつかのあなた達の思いが、今こうして回ってきたのですよ」
すると奥からお母さんがやって来て、昼までの学校を終えた陽太も帰り、一堂に会する。
皆が見守る中、ルカと睦月は、ただ神様をジッと見つめた。
「ねぇ神様。本当に、有難くいただいてもいいですか?」
「もちろん。言ったでしょう? あなた達が生み出した『気』なのです。元からあなた達のものですよ。
それに神である私にも気づかないほど、あなた達は弱っている。明里さんを二度悲しませたくないのであれば、今すぐ受け取りなさい。後悔する前に」
ということは……ルカと睦月は、やっぱり相当弱っていたんだ。
目の前までお別れが迫っていたかもしれない――そう思うと、今ごろになって足が震えた。
二人は、なんて答えるのだろう。皆の視線が、ルカと睦月に注がれる。
「神様の気をいただきたいです。ね、ルカ」
「……あぁ。感謝します、神様」
すると神様はコクリと頷き、今まで瞑っていた両目を開けた。次に、二人に向かって手を伸ばす。すると二人は淡く発光し、やがてすぐ元に戻った。ルカは両手を広げたり、閉じたりしている。睦月は「ふぅー」と、まるで温泉に入ったみたいだ。
「力が段違いだ……」
「やっぱり私たち、相当弱っていたんだね」
へらりと笑う二人に、まずは陽太が飛びついた。
「睦月お姉ちゃんもルカお兄ちゃんも、病気が治ったってこと⁉」
「そうだよ陽太、って力が強いよ!」
小学三年生になった陽太はパワフルさが増し、今や自分より小さい睦月を、いとも簡単に腕の中に閉じ込める。お母さんは「ルカ」と息子の元へ駆け、泣きながら喜んだ。
そんな皆を見ても、まだ私は夢見心地で……。お礼を言うために、神様の元へ向かう。
「神様、本当にありがとうございました。私……」
再び神様は目をつむった。さっきより優しい顔で、笑っているように見える。
「明里さん、今までよく頑張りましたね」
「え」
「あなたはたくさんの孤独や不安と戦った。時には押しつぶされそうになることもあったでしょう。それでもあなたは負けずに、こうして笑っている。あなたを見ていると、人間の素晴らしさを再認識できます。私を作ってくれた人間も、本当に素晴らしい人だった。
人っていうのは、いつだって私たちに奇跡を教えてくれる、尊い存在です。
ありがとう、ここまで人生を歩んでくれて。あなたが『宿屋をやる』と判断しなければ、いずれ私も消えていたことでしょう。地蔵は、今や人にとって忘れられる存在ですから」
私に語りかけてくれる神様の声は、本当に優しかった。慈愛に満ちていて、心を直接撫でてくれているような気さえした。まるで温かな海に、心地よく沈んでいくみたいだ。
「明里さんの決断が、あの二人を生かした。あなたは、それを誇って生きなさい。
立派に生をまっとうする明里さんの姿を、きっとご両親も見守ってくれますよ」
「……はいっ」
お父さんとお母さんが見守ってくれている――そうだったら嬉しいな。
これからも精いっぱい生きて行こう。元気に笑顔で頑張る姿を、二人に見てもらわなくちゃね。
「神様。私、これからも頑張ります。ルカと睦月と一緒に、どこまでも」
「たまには私も泊ってもいいですか?」
「ふふ、もちろんです」
そうして新たなお客様をもう一人追加して、今晩の隠れ宿「ゆきどけ」は超満員になる。
睦月が「そういえば料理が途中だった!」と、陽太と一緒に厨房へ戻る。お母さんは、さっそく神様と部屋へ向かった。
「よし、私もどんどん働くぞ」
グイッと腕まくりをして、いざ――と思ったら、急に腕を引かれた。振り返ると、ルカが私を引き留めている。空色の瞳には、今までない熱量が込められている気がした。
「明里、ありがとう」
「お礼を言うのは私の方だよ。ありがとう、ルカ。あの時に『私たちに何を残せるか』って考えてくれなかったら、こんな幸せな結果にはならなかった。私が笑っていられるのは、ルカのおかげだよ」
「……違う」
ルカは、私の頬にそっと両手を置く。手の温もりが、頬を伝って私に届いた。
「全て明里のおかげだ。ありがとう、感謝している。
だから守る。明かりを、陽太を、この宿屋を。
俺の全てをかけて、絶対に」
「う、うん」
整った顔を間近で見てドギマギする私とは反対に、ルカはフッと笑った。そうして「真っ赤だな」と軽口をたたいた後、私の頭をポンポン撫でる。
「厨房に戻る。もう昼も終わった頃だろう。膳を下げる時に、『さくらの間』の客に菓子を持って行くか? さっき泣いていたんだろう?」
「あ、そうだね。喜ぶかも」
「じゃあ用意しておく」
そうしてまたルカは笑った。
なんだろう、さっきから笑ってばかりで、ルカらしくないというか。
それに、ドコドコと鳴る私の心臓も、いつもの私らしくない。
「春のせいかな……?」
嬉さと幸せと、少しの戸惑いと。
まだ見ぬ感情を纏いながら――
中庭で花開いた桜を、私は笑顔で眺めた。
【 完 】




