幻想生物部
異界、魔界、冥界、そんな言葉がどうしても脳裏をよぎる。
わたしがいるのは生物室。そう、誰もが思い描く骨格標本とか、カエルのホルマリン漬けとか、そういうものは・・・・・・ない。
けど、そんなものたちがかわいく思えてしまうほど、ここは異様だ。
わたしはちらちらと辺りを見回した。棚に並んでいる小瓶の中にうごめく緑色の靄が入っていたり、部屋の隅に置かれた木箱に金色に輝く巨大な蟻が磔にされていたり(なんと体長がわたしの身長ぐらいある。顎が突き出していて、かなり凶悪な顔だ)、わたしが抱えきれないぐらい大きな水槽に人面魚らしきものが優雅に泳いでいたり。
それだけじゃない。部屋の中で一番、目を引いたのは、小さな豚がいたことだ。もちろん、豚なんてみんな見たことがあるだろうし、最近ではミニブタを飼ってる人がいたりして、何をそんなにびっくりしてるんだって思うかもしれないけど、違うの。このブタさんは、後足で立って歩いているから・・・。
体長はわたしの半分くらい。だから、七十センチぐらいかな。手足がすごく短いけど、教室の中を忙しそうにちょこちょこ歩き回っている。本を書棚に片づけたり、実験に使ったらしい器具を洗ったり、その合間にときどき小さくブッブッと鳴いている。
――ブタが二本足で歩く世界なのか・・・・・・。
わたしは興味津々で、この小さなブタさんを見ていたけど、他のものも気になった。天井からぶら下がっている茶色い三本の蔓が、しきりにうねうね動いているし、教壇の横の鳥用の止まり木にも不気味なものが留まっている。
得体のしれないものが多すぎて、さすがに身体が強張ってしまう。
放課後の教室の中は夕暮れ時でちょっと薄暗くなってきてはいるけど、この世界で言うと、まだまだ明るい時間だ。
今日は社会の先生の都合で補習授業がなかったので、わたしはゴーヤン先生の幻想生物科のお手伝いをする幻想生物部とやらに来ていた。
目の前にはジェダイドの背中があって、その横に見知らぬ男子生徒二人の背中も見える。
教壇の前にゴーヤン先生が立っていて、止まり木にいる生き物を素早く手で掴んだ。
細長くて、先端に頭がある。蛇に見える。いや、多分、蛇。蛇に違いない。なぜか羽が生えているけど、それ以外は蛇そのもの。
わたしは目を伏せた。
――やっぱり嫌な予感がする。
――クリスティーヌが放課後のボランティアは先月決まったばかりだから、移動は無理って言うから諦めたけど、やっぱり部活を換えたい。今すぐにでも。
教室には生徒がわたしを含めて六人いた。中には大学生ぐらいの人もいる。上級生の中でも学年が上の人だろう。わたしは一番後ろで彼らに隠れるように、ちんまりとしていた。
ゴーヤン先生がみんなにこれからすべきことを説明している。
「ヤンカシュはそれほど凶暴ではない。掴むときは頭を素早く掴むように。毒はないが、噛まれたら申し出なさい。薬を塗った方がいいだろう」
わたしはひしひしと感じていた。これから嫌な目に遭う。絶対。
こういうときの予感は当たるのだ。知ってるもん。
わたしはすすすっと横歩きして、ジェダイドのではなく、もうちょっと大きい上級生の背中に隠れた。
だが、そのちょっとした動きにゴーヤン先生が気づいた。
「ブラックストーン、ちょうどいい。こっちに来なさい」
全然、ちょうどよくない。わたしは見知らぬ上級生の服を思わずひしっと掴んだ。
「あ、あの、先生。わたし、今日は見学したいので、お気になさらず」
「何を言っているんだ、ブラックストーン。それなら余計にここへ来なさい」
前に並んでいた生徒全員が振り返り、わたしを見た。ジェダイドは呆れた顔をしている。
わたしは死地に向かう気分で、絶望感たっぷりに前に進み出た。
「あのぉ、わたし、本当に今日は後ろの方で見学したいんです、先生」
もう一度、懇願してみる。けど、ゴーヤン先生は冷たい目でわたしを見下ろした。
「ブラックストーン、ヤンカシュは君の得意な爬虫類系の幻想生物だ。記憶がなくとも、できるはずだ。それに、こういうことの積み重ねが記憶を取り戻すことに繋がるかもしれないからな」
親切なんだろうけど、それこそ余計なお世話だよぉ。爬虫類なんて好きじゃない。むしろ苦手。わたしはゴーヤン先生の掴んでいる蛇を見上げた。
ヤンカシュは、くねくねと嫌そうに揺れ動いている。体の中央辺りにコウモリのような皮膜の羽が一対ついていて、ぱたぱたと閉じたり開いたりしていた。
「今日はヤンカシュを使って、ピクシーを捕まえる」
「ピクシー?」
聞き返すと、先生がうなずいた。
「ピクシーは幻想生物の中でも穏やかで見た目も可憐だ。だが、人間が素手で捕まえるのは難しい。だからヤンカシュを使う」
ゴーヤン先生は長い紐を取り出し、机にヤンカシュを押さえつけると、器用に羽の周りに回しかけた。犬のリードみたいだ。
「ほら持て、ブラックストーン」
リードの先を渡されたわたしは、無言で受け取った。蛇を素手で持つよりずっとマシだけど、気味が悪いのには変わりない。
「二人一組になって、ピクシーを捕まえてくるように。授業で使うから傷つけるな、わかったな」
ゴーヤン先生の声に、残りの五人の生徒が行儀よく、
「はい!」
と答えているが、わたしはこっちに頭を向けそうなヤンカシュが気がかりでそれどころじゃなかった。
――飛びかかってきたらどうすれば・・・・・・。
はたき落としてしまいそう、なんて思っていると、いつの間にか他の生徒もヤンカシュを木の箱から出して、羽にリードを付け終えていた。二人に一匹らしい。
「あまり森の奥には行かないように」
ゴーヤン先生はそう言うと、教室から出て行ってしまう。しかもその後を従者のようにあのコブタが本を抱えて付いて行く。
わたしはリードを手に、呆然としていた。ピクシーなんて見たこともないし、それ以上にこの蛇と一緒に出かけるなんて考えたくもない。
すると、後ろから声がかけられた。
「パール、大丈夫?」
「なんか顔色、おかしくないか?」
「まだ本調子じゃないんじゃない?」
振り返ると、三人の男女がわたしを心配そうに見つめていた。
全員、パールより年上に見える。中学生ぐらいかな。わたしは三人を順に見返した。
「記憶がないって本当なの?」
長い黒髪の女の子に聞かれて、わたしはうなずいた。
「はい・・・」
「そうなんだ、つらいね」
やさしそうな子だけど、前髪が長すぎて目が隠れてしまっているせいで、表情がわかりずらい。それにかなりの猫背。すらっとしてて、背が高いのにもったいない。
「わたしはアン・ドゥーサーよ。七年生なの」
「おれ!」
とすぐに隣の男子生徒が手を上げた。焦げ茶のくせっ毛で、目が大きく、はきはきしている。
「おれは九年生、ティミー・アルトゥラ。おまえの彼氏だ!」
すぐにもう一人の男子が笑いながらティミーを小突いた。
「おい、ふざけんな。パールはマジで困ってんだぞ」
「悪い悪い」
「ったく、おれは上級の二年だ。オーサー・トレランテ」
オーサーはちょっとぽっちゃりしたメガネの男子で、話し方から真面目そうな印象を受けた。
「よ、よろしく」
わたしはぺこりと三人に頭を下げた。
三人が一斉に目をぱちぱち瞬かせる。
「パール、本当に大丈夫なの?」
「パールがお辞儀したぞ!?」
「やっぱり頭を強く打ったんだな・・・」
そんな三人共、驚愕しなくても。わたしは前のパールがどんなだったか知らないけど、礼儀知らずな無法者みたいな子だったのかな、と想像した。
「じゃあ、最後はわたしね」
と、三人の後ろに立っていた生徒がようやく自分の番が回ってきたとばかりに言った。
紺色の制服を着た女子生徒で、元の高校生だったときのわたしよりも年上に見えた。
――大学生ぐらいかな。
子供と違い、すでに出来上がった体つきをしている。出るところは出て、くびれるとこはくびれて。鼻筋の通った色白美人だ。左右の横髪が定規で測ったように綺麗に段差になっている。パールの適当にぱっつんと切りましたって髪とは違う。
「わたしはプラム・ラヴァーシュタインよ。上級の五年生。半年もすれば引退するから、うっとうしがらずに仲良くしてね」
彼女が首を傾けると、さらさらの金糸のような髪が肩に広がった。
「は、はい。よろしくお願いします」
美人を前にすると、なんだか緊張してしまうのは何でなんだろう。わたしも女子なのになぁ。
「じゃあ、パールは今日はわたしと行きましょうよ。何もわからないんでしょう。わたしがするのを見ているといいわ、ね?」
綺麗な上にやさしいとは。
――プラムさん、モテるだろうなぁ。
わたしはぽけ~と彼女を見つめ、一緒に行動できるならその方がいいな、とうなずこうとした。
だけど、突然、頭をぺしっと叩かれた。
「バカパール! 上級生の手をわずらわせんじゃねぇ!」
振り返ったわたしの目に、ジェダイドのふてくされた顔が映った。
「おまえはおれと一緒に来い。どうせ役に立たないんだから、せめて他の人の迷惑にならないようにしないとな」
ぎゅっと腕を掴まれ、わたしはジェダイドに引っ張られた。
ついでに、ジェダイドがわたしの持っていた蛇――じゃなかったヤンカシュ――のリードを奪い取る。
「行くぞ」
有無を言わさぬ態度のジェダイドに引かれて、わたしは教室から連れ出された。なんとか顔だけ振り向かせて、プラムさんと他の三人に手を振ったけど。
四人とも微笑んでくれたからよかったけど、教室を出て廊下を過ぎ、校舎の外に出るやいなや、わたしはジェダイドの手を振り払った。
「ちょっと、ジェダイド! あんな態度、失礼じゃない!」
「ハァ? ふざけてんのか、おまえ」
「ふざけてるのはそっち!」
「いや、おまえだし」
わたしが口をとがらせ、さらに反論しようとすると、ジェダイドはヤンカシュのリードを持った方の手を近づけてきた。
ヤンカシュがこちらを向き、キシャア! と威嚇してくる。
「ひあっ!!」
思わず、わたしは後ずさった。
――怖い怖い怖い!
「ったく、パールはどうしようもないバカだな」
「なんでよ!?」
威嚇中のヤンカシュから目を離さず、言い返す。
「プラム・ラヴァーシュタインは上流貴族だぞ。記憶がなくなって、前よりドアホになったおまえが何かしでかしたら、おまえだけじゃなく家にも迷惑がかかるってこと」
「家? ブラックストーン家?」
「そうだよ」
「プラムさんは上の方の貴族なの?」
「まぁ、そうだな。おれより下位だけど、この国の十位には入る」
「十位・・・・・・」
「おまえ、わかってなさそうだな」
ジェダイドが溜め息をつく。
わかってないけど、なんだかジェダイドの言い方とか態度って、カチンとくる。
「しばらくはおれと行動した方がいい。あいつらはいいやつらだけど、おまえがそれを超えた非常識なことをするかもしれないからな」
「・・・・・・」
さすがにそんなことを言われたら、絶対ないとは言えない。
わたしがむすっと押し黙ると、ジェダイドは顔を背け、鼻を掻きながら言った。
「おまえ、そんなにおれと一緒なのがイヤなのかよ」
「イヤ!」
はっきり答える。
「ああ、そ」
ジェダイドは呆れてるみたいだけど、意地悪なこと言われたり、暴言を吐かれたら誰だって、その人のこと嫌いになると思うの。まぁ、ジェダイドのことむかついたり、腹が立ったりするだけで、本当に嫌いかって聞かれたら・・・そこまでじゃない気もするけど。
ヤンカシュのリードを引っ張り、ジェダイドはわたしの側から蛇っぽい幻想生物を退けた。代わりに肩に下げていた虫かごをわたしに押し付ける。
「まぁ、今日は我慢しろよ」
そう言って、歩き出す。
校舎の外に出ると、空が群青色とオレンジにはっきり分かれていた。今はまだオレンジ色が勝ってるけど、群青色がこっちの方へ迫ってきている。急がないと、暗くなってしまいそうだ。
わたしはジェダイドに付いて歩き出した。




