弦楽器って何?
早朝から慌ただしかったので、お昼休みの時間になってクリスティーヌが迎えに来てくれると、わたしは本当にホッとした。
サフィーとルビーも一緒に、校舎内にある一階の食堂でランチを摂る。
メニューは学校の給食みたいに全員、同じものを食べる。紅茶と硬めのパン、今日はそれにボルシチっぽい肉入りのシチューが付いていた。デザートにババロアらしきものも。
上級生も同じものなので、足りない人は校内の売店で追加でパンを買うらしい。でも、まだ身体の小さなわたしは支給されたもので充分、お腹いっぱい。
紅茶をおかわりして飲んでいる三人は楽しそうに話をしている。わたしはというと、指がなんだかうずうずして、かゆいわけじゃないんだけど、動かさないと神経がおかしくなりそうになっていた。
いわゆる発作だ。ピアノ発作。
――あああああ、ピアノが弾きたいよぉ。
ここへ来てもう三日目になる。三日弾かないと一週間分ヘタになる、というのはよく聞く話で、実際にそうだと思う。ピアノに限ったことじゃなく、楽器はみんなそうだし、もしかしたら他の習い事もそうなのかもしれない。
わたしは落ち着きなく、両手の指を交互に組んで、ぐっぐっと力を入れたり、自分の膝の上でハノンの練習曲を弾いたりした。
クリスティーヌたちは、授業の話や放課後の部活の話をしている。わたしが加わらずに、机の下で膝を指で叩いていると、隣に座っていたルビーが目ざとく見つけた。
「ねえ、パール、あんたさっきから何してんの?」
「えっ? ああ、ええっと・・・これは・・・」
わたしはどう答えたものかと思ったけど、結局正直に言った。
「あの、これはピアノの練習で・・・」
「ぴあのって何?」
最初のときのクリスティーヌと同じ反応。ってことは、やっぱりこの世界にピアノはないのかもしれない。
わたしは説明した。
「楽器なんだけど、大きくて、木でできてて、鍵盤っていう板がたくさん並んでてね、指で押して音を出すの。鍵盤を押すと、箱の中にぴんと張った弦をハンマーが叩いて音が出るんだよ」
「知らな~い。そんな変な楽器があるんだ? どこの国の?」
不思議そうなルビーに、わたしは苦笑いを浮かべた。
『どこの国』って答えても、多分わからないよね。ううん、困ったな。わたしがどう話したものかと思っていると、斜め向かいに座っていたおっとり顔のサフィーが言った。
「ねぇ、それってもしかして音階順に並んでいるんじゃない?」
「そうそう」
「それで、弦って動物の腱でできてるの」
ピアノの弦は鋼線だから動物性ではないけど、動物の腱でできた楽器もたくさんある。わたしはうなずいた。
「そう、弦楽器。知ってるの?」
クリスティーヌとルビーは何のことかさっぱり、といった顔をしていたけど、サフィーは微笑んだ。
「そうねぇ。知ってるけど、箱の中に腱を張ったものは見たことないわ。ほとんど箱の外に張ってあるから」
「でもあるんだ!?」
もしかしたら、ヴァイオリンがあるのかもしれない。わたしは目を輝かせた。
この世界にも豊かな音を持つ弦楽器があるのなら、ピアノもあるかもしれない。
サフィーは思い出すようにちょっと宙を見上げ、ぼそっと言った。
「それってギターのことじゃない?」
「・・・・・・」
わたしは硬直した。聞き覚えがありすぎる名前。ギターって思い切り弦楽器ですよね! しかし、この世界でヴァイオリンでもビオラでもコントラバスでもなく、ギターか。
――そっちで、きたかぁぁぁ!!
ちなみに、わたしはクラシックギターならちょっとだけ弾ける。家にあったから。ママが小学校の音楽の先生だったから、家にはいろいろな楽器があった。弟とお父さんはヴァイオリンを弾くし、ママはギターもコントラバスもクラリネットもドラムも、とりあえず手当たり次第にやっていた。
わたしも親の影響を受けまくって、高校は吹奏楽部でホルンを吹いていたので、ピアノじゃなくても、楽器全般が好きだ。でも、ピアノなら尚いいんだけど。
「なんだ、ギターのことかぁ」
ルビーがつまらなそうに呟いた。
「ギターなら、学校にあるわよ、パール」
と、クリスティーヌも言う。
わたしはうなずいた。
「うん、ありがとう。それは借りられるの?」
サフィーは首をかしげた。
「借りてどうするの?」
「えっ? 借りて・・・弾くんだけど?」
なんだか会話が噛み合ってないよね。何だろう、この違和感。
「どうして?」
サフィーに聞かれて、わたしは戸惑った。
「ど、どうしてって?」
弾きたいからじゃダメなのかな。この世界の常識がわからないので、わたしは眉を寄せた。
「えっと、弾いてみたいんだけど、ダメなのかな?」
正面のクリスティーヌが、困惑しているわたしに説明してくれた。
「あのね、パール。今の時期は宝玉祭が近いから、ギターは出演者の上級生が使っていることが多いのよ。学校の私物だから、数が限られてるし、下級生のわたしたちには借りられないかもしれないわ」
「オーブフェスタ・・・・・・」
出演者ってことは、そのお祭りで音楽を演奏するってことだよね。他の人の演奏を聴くのは楽しそう。わたしはちょっと、嬉しくなった。でもその反面、この間のクリスティーヌのお経っぽい歌を思い出して心配になる。
「オーブフェスタはいつなの?」
わたしが訊ねると、クリスティーヌが教えてくれた。
「ひと月後よ。三月の中頃。ちょうど花祭りがあちこちの町であるから、それに合わせてうちの学院でも保護者や近隣の人を呼んでお祭りするの」
「下級生は劇をしたり、合唱したりするんだよ」
ルビーが言い、サフィーがうなずいた。
「うちのクラスはもう劇って決まってるわ」
「そうなんだぁ」
何も知らないわたしは驚くばかりだ。そこでわたしは気づいた。
「あれ? でも劇の練習してないよね」
後ひと月なら、練習し始めた方がいいんじゃないだろうか。わたしの疑問にクリスティーヌが声をひそめて言った。
「あのね、パール。劇はわたしたち裏方だから、することないのよ」
「えっ?」
「主役はリアに決まってるし、役があるのはその・・・家柄で決まるから、ね」
「ああ、そうなんだ」
でも、むしろわたしからすればありがたいかも。授業に補習に部活に早朝の掃除にと忙しくて目が回りそうなんだもん。これで劇まで追加されたら過労待ったなしだわ。
「でも裏方なら、衣装作りとか大道具とかあるんじゃないの?」
訊ねると、クリスティーヌは首を振った。
「ううん、衣装は学校のを使うし、舞台の道具は全部揃ってるから」
もしかしたら代々同じ演目をやっているのかも。それなら、何も必要ないもんね。やることが何もないらしいので、わたしは劇のことは頭の端っこに追いやった。
そこでオーブフェスタのことを思い出す。上級生がギターを使うのでしばらく使えない残念なお知らせを。
この学院では下級生が一年から九年生までと、上級生が一年から五年生までいる。つまり中学から高校に上がるように、十五、六才から上級になるってことみたい。それまでは下級生として扱われる。わたしは下級の四年生ってことだ。
「ギターしばらくは借りられないのかぁ」
わたしは落胆して、机に突っ伏した。
どこにも楽しい音楽が流れていないから、せめて自分で鳴らそうと思ったんだけど、しばらくはお預けみたい。
それから、音楽に飢えたわたしは、机の上でショパンの曲を弾く真似をして、奇怪な指の動きで三人をぎょっとさせた。




