ステラの涙
「な、何・・・!?」
ドラゴンが尾を突き出してきたので、わたしは突き刺されるのかも、と怖くなった。
だって、うろこに覆われた尾の先は鋼鉄の槍みたいにとがっていた。
ドラゴンは檻から尾を出したまま、わたしの胸の前の真ん前で停止させている。そう、まるで手のように差し出しているのだ。
「どうしたの?」
わたしは恐る恐る、檻の向こうの白いドラゴンに訊ねた。
「しっぽが痛いの?」
体と同じ銀色にも見える白いうろこに覆われた尾は、頑健そうに見える。うろこが剥がれているとか、どこか傷ついているといった箇所は見当たらない。
手を上げて、わたしは差し出されている尾にそっと触れた。硬くてひんやりとした感触がした。研磨された金属の板みたいだ。
怒って尾で引っぱたかれるとか、そういう感じではなさそう。
ちょっと調子に乗って、硬い尾をなでなでしてみる。
「ふおおおお、すごいつるつる。よく磨かれてますね、旦那!」
調子に乗り過ぎかもしれない。
だけど、ドラゴンは気を悪くした風でもなく、わたしに何度かなでなでさせると、尾をゆっくりと檻の中に戻した。
――えっと、これは何をしたかったのかな?
ドラゴンの所作について、わたしは何も知らない。首をかしげながらも、わたしは次の肉を取りに水場の前に戻って行った。
それから数往復、一頭目のドラゴンが大人しかったので、わたしはすぐに二頭目の餌やりに取りかかり、またもや同じ光景を前にした。
肉を放り入れた後|(今度はうまく放り込めた)、くすんだ赤い色のドラゴンが尾を檻の外へ、わたしの方へ差し出してきたのだ。
「あの、これはどういう意味なのかな?」
訊ねても当然、答えてはもらえない。
わたしはその赤いドラゴンの尾を、さっきと同じように撫でた。すうっとまた檻の中に尾が戻って行く。
わたしは、ぽんっと手を打った。
「わかった! これはアレよ。お肉ありがとう! もしくは、はじめましての挨拶!」
そうなのかぁ、と一人納得し、わたしは俄然やる気になって、次々と餌をドラゴンたちに運んだ。
三頭目も尾を触らせてくれ、次は左端の檻、パールとジェダイドの世話しているステラだ。
ステラの檻にエプロンで包んだ肉を運んで行くと、その濃い灰色のドラゴンは待っていたように、ちょこんと座っていた。巨体なので、ちょこんと言うのは、ちょっと変かもしれない。どでん! って感じかな。
「ステラ、餌を持ってきたよ」
わたしはまったく警戒せず、格子のすぐ近くまで行って、下の隙間から肉を入れた。ちょっと腕が入ったけど、ステラなら大丈夫・・・なはずだ。一度、乗ったことだってあるし。
二つ目の肉を檻の中に入れ、顔を上げたわたしはびっくりした。
座っているステラは、頭をうな垂れるように下げていた。そのつぶらな黒い瞳が透明な水の膜で覆われている。濡れているのだ。泣いているみたいに。
「どうしたの、ステラ?」
ステラはわたしの方へ尾を出して来ようとしなかった。ただうつむいている。
黙って見つめていると、ステラは瞬きをした。瞼に押されて、涙が一粒、ぽとっと藁の上に零れ落ちる。
それが、ころころ転がってきた。
「えっ!?」
檻の外に転がり出て来た涙が、わたしの革の靴の先にこつんと当たった。
「こ、これ、涙だよね?」
しゃがみ込み、地面の上の涙をわたしは見下ろした。
ビー玉ぐらいの大きさがある、透明な涙のかたまりだ。零れ落ちたばかりなのに、もう固まっている。拾い上げると温かった。
「ステラの涙・・・・・宝石みたい・・・」
ダイヤモンドみたいに、わたしの手のひらに虹の光を放射している。
「す、すごい」
手のひらに涙を載せたまま、戸惑いながらわたしが見上げると、ステラはもう泣いていなかった。目も濡れていない。それどころか、わたしが放り込んだ肉を器用に舌で拾い上げると、ぺろりと一口で食べ、次の肉も食べ、催促するように、ぐつぐつ、と喉を鳴らした。
わたしがステラの涙を手に、これは一体どういうことなんだろうと困惑していると、厩舎の入り口から声が聞こえてきた。
「おい、パール! ちゃんと餌やりやってるだろうな!」
偉そうな声が誰なのかわかって、わたしは顔をしかめた。
ジェダイドはわたしがステラの檻の前にいるのを見ると、ついで水場の前の桶に顔を向け、まだ半分以上、肉が残っているのを確認した。
「まだこれだけかよ」
と、ぼやいている。
これでもサボらず真面目にやっていた方だと思う。むっとしながら、わたしはステラの涙をスカートのポケットに突っ込み、ジェダイドの方へ駆け寄った。
すると、もう一人、入り口から入って来るのが見えた。
背が高くて、ひょろっとした体形の男性。黒い薄手の外套を羽織り、手に白い手袋をしている。前に保健室で見たときよりも顔色が悪く、ちょっと紫がかってナスビみたいな顔色だ。大丈夫だろうか。それに、不機嫌ですって書いてあるみたいに、しかめ面をしていた。
わたしとジェダイドのクラス、シルバーフォックスの担任教師でもあるゴーヤン先生だ。
ゴーヤン先生は幻想生物学の担当なので、ドラゴンの飼育管理責任者でもある。
先生はわたしの方には目もくれなかった。
まず、一番近い檻に近づき、ポケットから魔法の杖を出すと、戸にかかっていた金色の錠にかざして何か呟いた。錠がカチャンとはずれ、鎖と共に地面に垂れ落ちる。
「うわぁ」
わたしは感嘆の声を上げてしまった。魔法が存在することはわかっていても、実際に見るとやっぱり感動する。
ゴーヤン先生が背をかがめて、檻の中へ入って行く。そこは、黒いドラゴンの檻だ。わたしはまた悲しい気持ちがぶり返してきた。
ドラゴンに懸命に餌をあげているときは、気にならなくなっていたけど。単に他のことをしていて気がまぎれていただけみたい。
しょんぼりとうな垂れたわたしに、ジェダイドが言った。
「おい、まだ餌やり終わってないぞ」
「・・・・・・わかってるもん」
わたしはぷっと頬を膨らませた。
ジェダイドって全然わたしを悲しい気持ちにさせてくれない。
でも、わたしはそこでちょっと気づいた。ジェダイドの目が赤い。
「あの、ジェダイド・・・大丈夫?」
訊ねると、ジェダイドは顔をしかめた。
「何がだよ」
「何がって・・・・・・」
目が赤いよ、なんて言ったらジェダイドは怒るかも。わたしはきゅっと口を閉じた。
――やっぱり泣いたのかな。意外なような、そうでもないような。
今朝ここに着いたとき、ジェダイドは本当に落ち込んでいるように見えた。それって、あの黒いドラゴンのことを心配していたからだと思う。あの子が死んで悲しいのはわたしだけじゃない。
きっと、ジェダイドはここから出て行った後、こっそり泣いたんだ。
わたしが口を噤むと、ジェダイドは不審そうな目で見返しながら、
「時間がないんだぞ。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと運べよ、グズ」
と、心底呆れたように言った。
――前言撤回!
わたしはむくれた顔で、桶の中から肉を拾い上げ、ぷりぷり怒りながらステラの方へ運んで行った。
もちろん、ジェダイドも他のドラゴンの餌やりに桶を手に向かう。
その間、ゴーヤン先生は黒いドラゴンの檻の中にいた。
「朝からご苦労だったな、カルサイト、ブラックストーン」
ゴーヤン先生にねぎらわれたわたしとジェダイドは、ただうつむいた。
黒いドラゴンの檻の前だ。鎖をはずされ、広がったままの翼を折りたたみ、垂れていた舌も今は口の中。ドラゴンの亡骸は綺麗に整えられ、藁の上に横たわっていた。
「後の始末は上級生に頼むから、おまえたちは授業へ行け。急げば遅刻しないだろう」
「はい」
ジェダイドがうなずく。わたしも黙ってこくりとうなずいた。
積んだ藁の横に置いたバッグをジェダイドが取りに行き、わたしも取って来ようときびすを返したとき、ゴーヤン先生が言った。
「ブラックストーン、調子はどうだ? 何か思い出したか?」
「いえ、何も・・・」
わたしが首を振ると、ゴーヤン先生はふん、と鼻を鳴らした。
「補習授業のスケジュールだが、他の先生方と話し合い、必要なものだけに絞ることにした。おまえ、数学と国語はそこそこできるらしいな」
それは一応、高校三年生ですから、とわたしは言いそうになった。この学院の四年生の数学は、初歩の割り算から始まるらしく、わたしには簡単な問題ばかりだ。国語は文字が読めるので、比較的わかるといった程度だけど。
――そういえば、先生の前で本を読まされたけど、文字を書いたことはないんだっけ。
書くのはまったくダメだけど、国語の先生にはまだバレていない。
――う~ん、言った方がいいのかな・・・。
でも授業が増えるのはイヤだ。こっそり自習をすることにしよう。わたしは黙っておくことにした。
「理科と社会に関しては、先生方からあまりにひどいと聞いている。この二つを重点にした方がいいな」
ゴーヤン先生は溜め息をついた。渋い表情がさらにしかめ面になる。
こっちの世界のことがまったくわからないので、自然科学である理科や、地理や歴史などの社会はさっぱりなのだ。
「理科ならわたしも教えられる。放課後、時間が空いたときには見てやろう」
「は、はい・・・・・・」
『見てやろう』って言ったとき、ちょっとゴーヤン先生の目がきらんと光った気がするのは、気のせいかな? 見た目からスパルタっぽいし、笑ったことがなさそうな顔も怖い。
でも、もうしばらくこの世界にいるのなら、どちらも勉強しておいた方がいいかもしれない。特に地理やこの世界の自然界のこととか。
ジェダイドが二つ、バッグを肩にかけて戻って来た。
「じゃあ、先生、おれたち行きます」
「ああ」
ジェダイドが視線でわたしを促す。付いて行こうとしたとき、わたしはふと思い出してゴーヤン先生に訊ねた。
「あの、先生」
「なんだ?」
「さっき、餌やりしているときにドラゴンたちがわたしの方にしっぽを出してきて、触らせてくれたんですけど、それってどういう意味なんですか?」
わたしの質問に、ゴーヤン先生の眉間のしわがぐぐっと深くなった。ジェダイドが横から、
「はぁ? ンなわけないだろ」
と、ちょっと呆れた声で言う。
ゴーヤン先生は元から眠そうな細い目をしているのだが、さらに細めてわたしを見下ろした。
「それは本当なのか、ブラックストーン?」
「えっ? は、はい」
二人の反応がおかしいことに気づいて、わたしは面食らった。
――何か変なこと言ったかな、わたし・・・。
ゴーヤン先生はうろたえているわたしを睨むような目で見ながら言った。
「ドラゴンは人間に尾を触らせない。尾は敏感な器官で、不用意に触ると怒らせて噛み殺されることもある」
「えっ?」
「ただし、ドラゴンの方から触らせるときがないわけではない。仲間同士で尾に触れ合うことがある。人間相手にそうした事例は少ないがな。基本的にドラゴンは人間が嫌いだからな」
説明を聞いて、わたしは余計に混乱した。
――でも、確かに檻の中からしっぽを出してきたし、触っても怒らなかったけどなぁ。
理由がわからず、首をかしげる。すると、ジェダイドが言った。
「おまえの餌やりがへたくそすぎて、尾で叩いてやろうとしただけかもな」
むっとわたしが口をとがらせる。ジェダイドは隣でハハッと笑っていた。
「ブラックストーン」
ゴーヤン先生に呼びかけられる。
「ドラゴンを相手にするときは近づきすぎないように。ステラはおまえとジェダイドに慣れているが、他のドラゴンにとっておまえは餌と大差ない。警戒は怠るな」
「・・・はい」
「それと、今日は補習が終わった後、生物室に来るように。生物部があるからな」
生物部とは、幻想生物の飼育管理の助手をするボランティアのことだ。わたしはまだ一度も顔を出したことがないし、何をするのかもあまりわかっていない。
――でも、なんか嫌な予感だけはするんだよね。
しかも、クリスティーヌに聞いたところでは、ジェダイドも一緒らしい。
――わたし、気づいたけど、一日中ジェダイドと一緒だよね。
うんざりしているわたしを、ジェダイドが袖を掴んで引っ張った。
「おい、行くぞ。授業に遅れたらおまえのせいだからな」
いつもいつも一言多い! わたしは口をとがらせたまま、ゴーヤン先生にぺこりと一礼し、先に駆け出したジェダイドを追いかけた。




