花嫁の交代
「……どうして、こんな……」
静かな部屋に後悔の声が落ちる。
声の主はこの国の王妃。リアナ王女の実の母だ。
彼女は女官より届けられた報告書を握りしめ、青褪めた顔で膝から崩れ落ちた。
――まずい。
焦るあまり王妃は整えられた髪を無意識にかき乱した。
これが夫である王に知られてしまったら……。そんな考えを振り払うように報告書を床に投げつけた。
そこに記されていたのは、リアナの護衛騎士アルベルトが婚約破棄をされたこと。
そして、彼が王女の輿入れ先まで随行するという内容だ。
「どうして貴族家の跡取り息子が輿入れ先についてくるのよ……? 嫁ぐまでの一時的な護衛役にうってつけだと思って選んだのに……」
王女の護衛にアルベルトを選んだ理由は、ただ単に丁度よかったからだ。
王族に侍るに身分も申し分なく、見目も悪くない。跡取りである以上、護衛の任は輿入れまでの一時的なものとなる。それに婚約者もいるので、王女と節度ある距離を保ってくれるだろう。王妃はそう楽観的に考えていた。
本来であれば女性王族の護衛に若く見目のいい男の騎士など必要ない。
だが、リアナが「絵物語のように、素敵な騎士様に守られたい」と願ったから、都合のいい男を宛がった。
そう遠くない未来に手元から離れてしまう可愛い娘の願いを叶えてやりたい母心だった。
ただ……それだけだったのに、こんな結果になるなんて想像もしていなかった。
これではまるでリアナとアルベルトが恋仲で、それが原因で婚約者と別れたようではないか。
この話が国王の耳に入れば、王女の輿入れの話は間違いなく揺らぐ。
自分の護衛騎士、しかも婚約者のいる男と恋仲になるようなふしだらな女を他国に嫁がせるような真似を、国王がするとは思えない。
恋仲かどうかはまだ判別していない。だが、真実などどうでもいいのだ。問題はリアナが原因で護衛騎士が婚約破棄されているという部分である。
これが社交界に知れ渡れば、まず噂になるのは二人がただの主従関係ではないということだ。それであれば婚約破棄などされるわけがない。二人が男女の仲と知った婚約者の令嬢が婚約破棄を申し入れたのだと、噂に飢えている宮廷雀が囀らないはずがない。社交界では事実よりも面白いと思う方が広まってしまうものだから。
「こんなことになるのなら、あの時リアナの我儘を聞くのではなかった……。節度ある振る舞いを心掛けなさいと、軽率な真似はしてはいけないと、あれだけ言ったのに……」
他国へ嫁ぐ王女には、それに相応しい品格と貞操観念が必要となってくる。
自分の護衛騎士と噂になるような、しかもその婚約を壊した原因になった王女が果たして嫁ぎ先で歓迎されるだろうか。
答えは「否」だ。誰が好き好んでそんなふしだらな女を嫁に迎えたがるものか。他所の男の種を仕込んでそうな危険性のある女など、王家どころか貴族家ですら敬遠される。これでは、リアナはどこにも嫁げない。
リアナが政略結婚を任せるに値しないという判断が下されたなら、代わりにその座に就くのは――
「…………ッ⁉」
王妃の脳裏にある人物の顔が浮かぶ。側妃が産んだ、もう一人の王女。リアナの母違いの妹。
「あの女の娘に……リアナの立場を奪われる」
王妃にとって、それだけは許せなかった。娘に与えられるはずだった輝かしい未来が、憎い女の子に奪われる。
それは耐えがたい屈辱だ。
王妃はすぐにさま呼び鈴を鳴らし、駆け付けた女官に命じた。
「リアナをここへ」
ほどなくして女官に連れられたリアナが現れ、呑気な声で「お母様、お呼びでしょうか?」と尋ねる。
「リアナ、率直に聞きます。あなた、護衛騎士のグランディア卿とどういう関係なの?」
「アルベルトですか? いえ、ただの主従の関係ですけど……」
リアナは王妃の質問の意図が分かっていないのか、不思議そうに首を傾げる。
その鈍い態度に王妃は頭を抱えたくなった。
「……グランディア卿が婚約者から婚約を破棄されました。どうしてだか分かりますか?」
「え!? アルベルトが婚約破棄……? いいえ、分かりません。そんな……可哀想に」
完全に他人事な娘の反応に王妃は唖然とした。少々おっとりとした性格だとは思っていたが、ここまで愚鈍だとは思ってもみなかった。少しも自分が原因だと想像もしていない様子にひどく失望を覚える。
「原因はあなたです。あなたが事あるごとにグランディア卿を呼びつけ、傍に置いたせいです。おまけに嫁ぎ先まで着いてくるよう命じたそうね? そんなことをして、お相手の令嬢が愛想をつかすとは思わなかったのですか?」
「え……? わたくしが原因……?」
状況が呑み込めないリアナに王妃はかすかな苛立ちを覚えた。
どうしてそこまで鈍いのか。己の娘がここまで出来が悪いとは思わなかった。
「ええ、あなたが原因です。……まさかグランディア卿と男女の仲……というわけではありませんね?」
「男女の仲⁉ それは違います! わたくしには婚約者がいるのに、浮気などいたしません!」
「なら、どうして嫁ぎ先まで着いてくるよう命じたの? 若い男があなたの傍にいたら、あなたの婚約者は嫌な気分になるわよ」
「そんな……わたくしはただ、アルベルトが傍にいると安心するから……」
「その安心のために彼の婚約は壊されたのよ? 事の重大さをまだ理解していないの?」
「やだ……お母様、怖い顔をしないでくださいまし。そうだ! なら、わたくしからアルベルトの婚約者に、彼とやり直すようお願いして参ります」
それならいいでしょう、と言わんばかりの娘の提案に王妃は頭に血が昇った。
気づいた時にはリアナの頬を打っており、床に倒れ伏す娘の怯えた顔がこちらを見上げている。
「お、お母様……?」
「もう結構。グランディア卿はお前の護衛から外します。お前はしばらく部屋から出てはなりません」
可愛い娘が「え? え……?」と困惑し、涙を流そうとどうでもよかった。
王妃の頭にあるのは、この事実が国王に伝わること。
そして、その恐れは現実となった。
数日後──
「これはどういうことだ」
王の執務室に呼び出された王妃とリアナ。
低く響く声に、王妃は顔を強張らせた。
「リアナの護衛騎士が婚約破棄? しかも、その騎士を嫁ぎ先へ同行させたいと望んでいる?」
国王の視線がリアナへと向く。鋭い視線にリアナはビクッと肩を震わせた。
「……嫁ぎ先に情夫を連れて行くとは……随分とふしだらな娘に育ったものだ」
「お父様、アルベルトは情夫ではありません! わたくし達はやましい関係では決して……」
「黙れ!」
厳しい言葉が室内に落ちる。その声を聞いたリアナは涙目で口を噤んだ。
「事実などどうでもよい。あちらの国からしたらそう見えるということだ。しかも、貴族家の婚約まで壊すとは……。お前は王家の信頼を失墜させた自覚があるのか?」
「……も、申し訳ございません。そんなつもりでは……」
「お前がどういうつもりかは関係ない。お前は貴族家の大切な婚約を壊し、他人の婚約者を奪う節操無しだ。そんな瑕疵のついたお前をこのままあちらの国へ嫁がせるわけにはいかぬ」
その言葉に王妃の顔から血の気が引いた。
「陛下、それは……」
「異論は認めぬ。恥を晒した王女に王家の名を背負わせるなど言語道断。なので、側妃の娘である第二王女をリアナの代わりに嫁がせる」
その瞬間、王妃は言葉を失った。恐れていたことが現実になってしまった。
ただ、娘の可愛い我儘を叶えただけだったのに……。
王妃は震えて俯くことしかできなかった。
かくして、他国へ輿入れする王女は側妃の娘である第二王女へと変更された。
表向きの理由はリアナの「心身の不調により静養」だけ。アルベルトの件には一切触れていない。
それが体面を守るために下した王家の判断。リアナは自室へ戻され、外出は厳しく制限された。面会できる者も限られ、護衛騎士との接触も当然ながら禁じられた。
かつてなら、彼女が望めば誰も拒めなかった。アルベルトもそうだった。
どれほど無理な願いでも、彼は必ず受け入れてくれた。
そんな彼はもういない。あれから、彼は王宮で姿を見かけなくなった……。




