婚約破棄
「そうか……。もう、駄目だな、あいつは……」
「ええ……。もう、駄目という言葉では表現しきれないほどの愚者ですね」
エリーゼから報告を受けたアシュラン伯爵はあまりの内容にしばし呆然とした後、頭を抱えた。
それまでは真面だったはずなのに、王女の護衛になってからアルベルトは著しく知能指数が下がった気がしてならない。いや、気ではなく、実際にそうだ。自分がどれだけ危うい事をしようとしているのか全く理解していない。
「婚約を破棄することは当然として……グランディア伯爵にも釘を刺しておくか。おたくの息子が国家反逆を企てている、と」
「国家反逆……」
大袈裟に聞こえるがその通りだ。
王女の嫁ぎ先に喧嘩を売り、国同士の関係にヒビを入れる行為は自国への反逆も同然の行い。その危険性を理解せず、ただ妄信的に王女の傍にいようとするアルベルトが残念でならない。
「申し訳ございません。わたくしではお止めできず……」
「いや、それは親であるグランディア伯爵の仕事だ。製造者として責任をもって止めてもらおう。お前はもう関わらないでいい。後は私とあちらの家で話し合う」
フーっと長いため息をつき、伯爵はエリーゼに視線を向けた。
「済まなかった、エリーゼ。あんな馬鹿と婚約させたばかりにお前に辛い想いばかりさせてしまった……」
「いいえ、謝らないでくださいませお父様。初めはあんな方ではなかったのです。王女殿下の護衛を務めるようになってから、変わってしまわれた……」
婚約当初は幼気な少女が恋心を持つくらいに素敵な令息だった。
会話も、考え方も、どこもおかしくなかった。彼が変わってしまったきっかけは間違いなく王女だ。
(王女殿下は……どうしてそこまでアルベルト様をお傍に置きたがるの……?)
ここまで特定の護衛騎士を傍に置きたがるのは異常に思える。
もしかすると王女はアルベルトに恋心を抱いているのではないか──そう思ったのだが、以前の夜会で顔を合わせた時の王女の態度からはそのような気配はまるで感じられなかった。
まるで幼子が母親を求めるように、ただ安心できる居場所を欲しているだけのような態度。
今までの「不安だから傍にいてほしい」というのは方便ではなく、本当なのかもしれない。
(それが本当なら……あまりにも幼い)
これが幼い子供ならばまだしも、王女はもう成人した大人の女性だ。
不安だから、寂しいから、などという理由で婚約者でもない特定の異性を傍に置くなど本来ならばしてはいけない。いくら護衛騎士といってもアルベルトは見目麗しい独身の男。それを異常なまでに傍に置くせいで社交界では二人は恋仲だという噂まで出ている。王女ともあろう者が婚姻前に他の男との仲を疑われるような真似をしてはならないことも分からないのだろうか。
そのような未熟な王女が嫁いで、本当に問題はないのだろうか。
国同士の友好を築くための婚姻なのに、亀裂が入ったりしないだろうか。
そこまで考えてエリーゼは首を横に振った。それは王家の領分で、こちらが踏み込むものではない。
「いや……変わったのではなく、あれが本性なのかもしれん。いずれにせよ、もうあれと関わるべきではない。いらぬ火の粉を被ることになる」
父の言葉にエリーゼは頷いた。王女がアルベルトに向ける感情が何にしても、おかしくなった彼とこれ以上関わるべきではない。
「お父様……。王女殿下の輿入れにアルベルト様が随行すること……国王陛下もご了承なさっているのでしょうか……?」
王族の女性の護衛には女騎士や壮年の騎士が選ばれることが多い。
若い男性騎士がその任に就くことは稀である。これは身辺に不貞の疑念を生じさせず、その貞節を守るための配慮である。
王侯貴族が伴侶に絶対に求めるのは貞淑であること。そうでないと子が出来た時に出自を疑うことになってしまうから。万が一にも他所の男の子であった場合、受け継いできた血が途絶える。どこの家もそれだけは絶対に避けたい。だからこそ貴婦人は身持ちが固くなければならない。
既に王女はアルベルトとの噂が立ってしまっている。そのような状況で彼を輿入れ先へ随行させれば先方の心証を損ねるのではないか。それを国王がよしとするとは到底思えない。
「いや、流石にそれはないだろう。そんな戦をしかけるような真似を容認なさるとは思えない。なにより、先方の国とこちらでは国力に差があり過ぎる。戦になっても勝ち目すらない。……おそらく、王女の独断か、もしくはアルベルトが勝手に言っているだけだろう」
「そう……ですよね。知ってしまった以上、お伝えした方がよろしいのかと思って……。万が一にも輿入れ先にアルベルト様が随行してしまっては、何かとよろしくないかと……」
「……ふむ。流石にそれを陛下がお許しになるとは思えぬが……確かに万が一ということもある。分かった。それも私の方で何とかしておこう。お前はもうこれ以上あの男のことで気を揉まずともよい。新たな縁談先も探しておく。それまでは少し休んでいなさい」
「はい。ありがとうございます……お父様」
こうしてエリーゼとアルベルトの婚約は彼有責という形で破棄となった。
グランディア家は何とか考え直してもらえないかと願い出たが、アシュラン伯爵は決して首を縦に振らなかった。
「ご子息は婚約者を迎えるにはいささか未熟であられたようですな」
そう言われて返す言葉もない。グランディア伯爵も自分の息子がここまで愚かだとは思っておらず、跡継ぎを見直すことまで考えるようになった。




