夜会の約束
アルベルトが二度も約束を反故にした事実はエリーゼの心に大きな傷を残す。
けれど彼女はそれを認めようとはしなかった。認めてしまえば自分がどれほど惨めな思いをしているのかを自覚してしまうから。それは彼女の矜持が許さなかった。
そして何より反故の理由が王族を守る任務ならば、異を唱えるこちらが悪いようにされてしまうかもしれない。不敬だ、と断じられたらそれに続く言葉が見つからない。
(大丈夫よ……。どれだけ王女殿下の傍にいようと、婚約者はわたくしなのだから……)
そこで、エリーゼはアルベルトの気持ちが王女に傾いているのではないかと疑っていることに気づく。
相手が王女だから、女だから──ここまで心がざわついているのではないかと。
(何を考えているの……これは王族をお守りする大切な任務よ。それを不貞のように疑うなんて……)
駄目だと思っても、頭が勝手に考えてしまう。彼の心は王女殿下で占めているのではないかと。
アルベルトが護衛を務めることになったリアナ王女は可憐で真珠にたとえられるほど美しい姫君だ。いずれ他国に嫁ぐ身とはいえ、そんなにも美しい姫の傍にいたら彼の心は自分ではなくそちらに向いてしまうのではないか。そう考えると急に胸が締め付けられる。
それに、社交界ではこんな噂が流れ始めていると耳にした。
『リアナ王女殿下とグランディア卿は周囲が羨むほど仲睦まじい』
『まるで物語の騎士と姫君のようで絵になる』
まるで、二人が婚約者の間柄であるかのような噂。これを聞いた時、エリーゼは表面上は笑って聞き流していたが、足元が冷えてぐらつくような感覚に襲われた。
(アルベルト様は護衛騎士ですもの。王女殿下のお隣にいるのは当然のこと……。仲睦まじいのは、きっと……そう、信頼よ。愛情などではないわ……)
まるで自分に言い聞かせるように、何度も何度も心の中で反芻する。
頭が警鐘を鳴らしていても、聞きたくないとばかりにそれを無視した。
そうしてアルベルトに会えない日が続いた。その間もエリーゼの胸に不安はどんどんと積もっていく。拭いたくとも拭うことが出来ない。このあたりで彼女は己の恋心を捨て、もう楽になりたいとすら思っていた。
*
その年の秋、王宮で若い貴族向けの夜会が開かれることになった。
婚約者がいるならば共に参加するのが貴族の習わしで、この日ばかりはアルベルトも「必ず迎えに行く」と約束してくれた。
しかし、何度も約束を反故にされ、今の今まで放っておかれたエリーゼは手放しで彼の言葉を喜べなかった。感情の無い顔で「そうですか……」と答える彼女に、アルベルトは流石にまずいと思ったのか「今度こそ約束は守る。君を一人にしない」と約束してくれた。
その言葉を聞いた時、エリーゼの顔にぱっと明るい表情が浮かんだ。
「約束ですよ。必ず……守ってください」
「ああ、勿論だ。今まですまなかった……」
本当ならそんな言葉だけで許したくはなかった。
だが、今度こそはきっと……と期待が込み上げる。
(今度こそ……きっと、大丈夫よ。さすがの王女殿下も、夜会で婚約者を引き離すような非常識な真似はなさらないはず……)
一抹の不安がよぎるものの、今度こそはきっと大丈夫とエリーゼは自分に言い聞かせた。
そうして迎えた夜会当日。エリーゼは朝から準備に大忙しだった。
身にまとったのは青いドレス。そして首元にはアルベルトから贈られた青い宝石の首飾りを身に着けた。婚約したばかりの頃、自分の瞳の色だと渡されたものだ。鏡の前でエリーゼは微笑む。
「きっと喜んでくださるわ」
そう信じていた。しかし、現実はどこまでも非情だ。
約束の時間になってもアルベルトは現れなかった。
侍女が何度も外を確認し、不安げに「お嬢様……」と声をかける。
「もう少しだけ……待ちましょうか」
すると、またしてもグランディア伯爵家の使者が現れた。
「アルベルト様よりご伝言です……。王女殿下の護衛任務により本日のエスコートは難しい、と……」
使者が悪いわけではないのに、彼は心の底から申し訳なさそうに頭を下げる。心なしか声も震えていた。
だが、エリーゼはしばらく何も言えなかった。
「……そう」
たった一言。それしか出なかった。
正直な気持ち、もうこのまま夜会を欠席してしまいたい。
だが、招待されているのにそんなことが許されるわけもなく、今からでは父や兄にエスコートを頼むことも出来ない。エリーゼは仕方なく一人で会場へと向かった。
宮殿の大広間に着き、中に入るとエリーゼから表情が消えた。広間の中央にアルベルトの姿が見える。
その隣に、王女リアナの姿も。しばらくじっと眺めていると、アルベルトがエリーゼに気づく。一瞬、表情が変わった。
「あ……エリーゼ」
彼はそのままエリーゼの方に近づいてくる。そうして一言「すまない」とだけ告げた。
「王女殿下が不安を感じておられて」
「そうですか……」
いったい何に不安を感じているというのか。護衛騎士の域を越えてアルベルトを侍らす王女に嫌悪が湧く。どんな顔をして他人の婚約者を我が物顔で侍らし、こちらに恥をかかせたのか。エリーゼは怒りと屈辱を耐える為に俯くのが精一杯で、王女の顔を見ることすら出来ない。
そして、少しも悪いと思っていなさそうなアルベルトにスッと気持ちが冷めていった。
本当ならば、この場で心の丈をぶつけてしまいたい。だが、公の場でそんな恥ずかしい真似が出来るわけもなかった。
その夜、帰宅したエリーゼは鏡の前に立った。
美しく整えた髪、ドレス。アルベルトのためにつけた首飾り。
それらすべてに意味がなかった。
「……わたくしは、何を期待していたのかしら」
初めてそんな言葉が口からこぼれた。
「もう……終わりにした方がいいのかもしれない」
これ以上、蔑ろにされて惨めな思いをするのは御免だ。意を決したエリーゼは当主である父に今までのことを伝えるべく、執務室まで足を運ぶのだった。




