お姫様の転落
「ねえ、お庭を散歩しては駄目? 今日は天気もいいし、気分転換に外に出たいの」
「なりません。国王陛下のご命令です。部屋から出ることは許されておりません」
そう尋ねるリアナに新しく配置された女官がぴしゃりと言い放つ。
一切表情を変えず、淡々と必要なことのみを口にするこの女官にリアナは苦手意識を抱いていた。
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
窓の外には青空が広がり、王宮の庭園では色鮮やかな花々が風に揺れている。あの庭園を散策すればさぞ気分も晴れるだろうに、それすらも許されない。
「少しだけでも?」
「なりません」
「……せめて、庭園の四阿でお茶だけでも……」
「なりません」
一切の情け容赦がない。
以前であれば、女官達がリアナの望みを何でも叶えてくれた。侍従も「王女殿下が御所望ならば」と快く従ってくれた。けれど、この部屋に新しく配置された女官達は違う。リアナの望みを叶えてくれる者は誰一人としていない。
「……ねえ、アルベルトはどうしているの?」
リアナが最も信頼し、誰より傍にいてくれた護衛騎士アルベルト。
まるで絵物語から抜け出たような理想の騎士。端正な容貌と柔らかい物腰の彼をリアナは一目で気に入った。
彼には婚約者がいて、自分もいずれは他国の王太子へ嫁ぐ身。結ばれることなど許されないし、そうなりたいわけでもなかった。ただ、嫁ぐ前のひと時の戯れとして、疑似的な恋愛を楽しむことくらいは許されるだろう。勝手にそう思って、何かにつけては彼を頼り、傍に置いた。
不安だ、と言えばすぐに駆け付けてくれる。婚約者との約束があってもだ。
それはまるで婚約者よりも自分の方が大切だと言われているようで気分がよかった。
いっときの戯れ、そこに深い意味などない。ただ、美しい騎士との恋人のような疑似的な関係を楽しんでいただけ。アルベルトも満更ではなさそうだったので、長くその遊びを続けた。
それなのに、彼は突然リアナの前から姿を消した。
いつも傍にいてくれた大切な騎士と突然引き離され、悲しむ暇もなく父親に呼び出され謹慎を言い渡された。
しかも、他国へ輿入れする話まで無くなってしまい、これからどうするのかも分からない。
何もかもが不安でたまらない。こんな時にアルベルトに傍にいてほしい。そう願って彼がどうしているのかを女官に聞くと、信じられない答えが帰ってきた。
「グランディア卿でしたら、国境にある砦にいち兵士として配属となったと聞いております」
「国境の砦……? どうしてそんな場所に……」
唖然としながら問いかけるリアナに、女官の冷ややかな視線が突き刺さる。
どうしてそんな目をされなければならないのかと怯えるリアナに対し、女官は呆れたように告げた。
「さあ? その家のご当主の意向ですので、わたくしからは何とも……。ただ、ひとつ言えることは……優先順位を間違え、家同士の婚約を駄目にした子息をいつまでも家に置いておくほどグランディア伯爵は甘くないということです」
「うそ……! そんなことで? アルベルトのお父様は酷い方だわ!」
「殿下……そんなこと、ではありません。貴族の婚約は家の利益となる大切なもの。跡継ぎとなるグランディア卿がその大切さを理解していないなど言語道断です。グランディア伯爵のご判断は酷いのではなく、貴族家当主としては当たり前のご判断です」
女官の目はリアナに「そんなことも分からないのですか?」と責めているかのようだった。
「……利益、利益って……皆そればかり」
納得できない気持ちが抑えきれず、リアナは不貞腐れたように呟いた。
しまった、と気づいた時には既に女官の視線は氷点下まで冷え切っていた。
「殿下が少しも反省なさっていないことは分かりました。このことは国王陛下にもご報告させていただきます」
「えっ……? どうしてお父様に?」
リアナの問いかけに女官は答えることなく部屋から出て行ってしまった。
彼女が退出した後、部屋の外から閂をかける音が響く。中にいる者を外から閉じ込める処置がリアナの部屋の扉に施されていた。
「なんで……あんな冷たい目をするの? 分からないわよ……。全然、何もかも分からない……。アルベルト……お母様、会いたい……」
リアナはどうして自分がこんな目に遭わなければならないのか分からなかった。
アルベルトを嫁ぎ先まで連れていこうとしたからだと言われはしたが、それの何がいけないのか理解出来ない。護衛の騎士を連れて行って何が悪いと言うのか。
父親からは「ふしだらな」と軽蔑されたが、アルベルトとはそんな関係ではない。ただの主従関係でしかないというのに、邪推する方がおかしいのではないか。
アルベルトの婚約者だってそうだ。少しくらいこちらを優先させたくらいで、婚約を解消するなど忍耐が足りないのではないか。結婚すればずっと一緒にいられるのだから、それまでの間少しくらい彼を貸してくれたっていいではないか。アルベルトと共に嫁ぎ先に来ることだって許してやったのに、狭量が過ぎる。
この国で最も尊い王と、女性の頂点に座す王妃の娘である自分は何より優先されるべき存在だと、リアナはそう母から教わっていた。だからアルベルトが婚約者よりもリアナを優先させるのは当然だし、彼を嫁ぎ先まで連れていきたいという願いだって周囲は叶えて当然だ。
なのに……どうしてここまで罰を受けねばならないのか。
何も悪いことはしていないのに、こんなのおかしい。
不貞腐れるリアナは己が犯した罪と、それによって他者の人生が狂わされたことを全く理解していなかった。
己が望むもの以外を視界に映さない視野の狭さ。他者には心があり、人生があると気づかない傲慢さ。
王女である自分は何をしても許されるという思い違い。
それら全てが今の状況を作り上げたということを、リアナが理解する日は……そう遠くなかった。
「殿下、陛下のご下命にございます。『明日より修道院へ入り、修道女として神に仕えよ』との仰せでございます」
「え…………?」
翌朝、女官から開口一番にそう告げられたリアナはあまりのことに口を半開きにしたまま固まってしまった。
「修道院……? 修道女ですって? どうしてわたくしが、そんなところへ行かねばならないの?」
「殿下が、未だご自身の犯した罪の重さを理解しておられないからにございます」
「罪って……わたくしはただ、アルベルトに傍にいて欲しいと願っただけじゃない! それの何がいけないの……?」
女官が向けた冷ややかな眼差しには深い失望と呆れが滲んでいた。
それを感じ取ったリアナはびくりと身を震わせる。
「それが許されぬのです。王族たるもの、私欲のみを求めてはなりません。己の感情や欲望を抑え、常に国と民を第一に考えること。それが王家に生まれた者の宿命です。それにもかかわらず、殿下は自らの欲を満たすことばかりを考え、その裏で誰が傷つき、何を失ったのかを顧みようとしない。それは王族として、いや、一人の人間として許されることではございませんよ」
「な……なにそれ? そんな、まるでわたくしが我儘みたいな言い方は酷いわ……」
「……まるで、ではなく実際にそうなのです。難しい言葉ですとご理解いただけないようなので、もう少し簡単に言いましょう。殿下の我儘は、他者の人生を壊すほどの危険物です。殿下に人生を壊された者達を少しでも哀れに思うなら、どうかその罪の重さを理解なさってください」
「え…………?」
一瞬、リアナは何を言われたのか分からなかった。
分からないが、胸に鋭く刺さり、体が硬直するほどの衝撃であったことは確かだ。
「な、え……なに、それ……どういう意味?」
「言葉通りでございます。殿下が我儘さえ仰らなければ、少なくともグランディア卿の婚約はそのままだったでしょうし、卿が国境に送られることもなかったでしょう。貴族家の当主として妻を迎え、順風満帆な人生を送るはずだった彼の未来は壊されてしまいました。それに、殿下に仕えていた女官や侍従も。彼等は陛下のご不興を買い、全員王宮を去るよう命じられました」
「…………ッ⁉」
長年リアナに仕えてきた女官や侍従たち。彼等がどうしているかなど、リアナは今の今まで考えもしなかった。
ただ、味方であった彼女達と引き離されたことが悲しかった。だからそれ以上のこと──彼女達がどういう処分を受けたかは気にもならなかった。他者の人生など気にしたことがなかったから。
「本来でしたら殿下を諫めるべき立場でありましたのに、誰一人として役目を果たさなかったようですね。その責を思えば、王宮を去るだけで済まされたことは陛下のご寛大な処置に他なりません。少なくともグランディア卿よりはマシです」
「な、なんで……? 皆はわたくしのお願いを聞いてくれただけなのよ?」
「ただ聞くだけの、それがどういう結果をもたらすかを考えられない木偶の坊に王族の側仕えは務まりません。遅かれ早かれこうなっていたことでしょう」
「そんな言い方……酷いわ! あんまりよ!」
「わたくしからすれば、『酷い』のは殿下の方かと。殿下が王族としての責務をきちんと理解し、過ぎた我儘さえ言わなければグランディア卿も、女官達も、処罰を受けずに済んだのですから。お母君だって……」
「母……? え? お母様がどうしたの……?」
「お母君は王妃の位を失いました。現在は本宮から離宮に移り、謹慎なさっております。側妃に降格か、はたまた離縁されるかは決まっておりません」
「そんな……! どうして? どうしてお母様がそんな目に?」
「王族たる者が罪を犯せば、その責は本人だけに留まりません。連座により母君もまた処罰を受ける。それが王宮の掟でございます」
「そんなっ……! あんまりよ……」
事の重大さにリアナは顔面蒼白となり、膝から崩れ落ちた。
「ただ、アルベルトに傍にいて欲しかっただけなのに……それはそんなに悪いことなの?」
「さようでございます。『それ』がもたらした結果がこれなのですから、かなりの『悪いこと』ですね」
「…………ッ‼」
追い打ちをかける女官の温度のない声にリアナはショックで言葉を失った。
そんな彼女に女官は何の反応も示さない。慰めの言葉をかけることも、叱責することも。ただ淡々と事実だけを述べる。
「本来でしたら、王族たるものこれくらいは理解していないといけません。誤った言動ひとつで簡単に他者の人生を壊してしまえますし、ご自分の人生だってそうです。知らなかった、そんなつもりはなかった、ではすまされません」
女官の告げた事実がリアナの胸を深く抉る。頭が真っ白になり、返す言葉も見つからない。
唖然としたまま時間が過ぎ、気づけばリアナは修道院へ向かう馬車へと乗せられていた。




