9 特命指示
木曜日の朝。
キリュウ・グローバル(株)の本社ビルは、コーヒーの香りよりも"焦燥感"と"魔素中和剤の臭い"が漂う異常な熱気に包まれている。
昨日の渋谷ダンジョンでの「大爆散」は、ネット上では騒がれているようだが、組織の内側では「数億円規模の事務的災害」として大問題になっているからだ。
だが、渦中の人である神代焔は、特に気にしている様子もない。
どうやら、先日のドラゴン討伐での活躍やこれまでの功績も相まって、焔は順調にわがままなお姫様になりつつあるようだ。
もちろん、彼女がそんな態度をとれるのも、彼女が探索派遣事業本部における『金のなる木』であり、本部長が甘やかしてきたからであるが……。
探索派遣事業本部内では、それを危険視する声も少なからずあるようだが、本部長が許しているのだから一般社員にはどうしようもない問題であった。
組織を運営する上で、"役職"とは単なる肩書きではなく、「責任の範囲」と「意思決定の権限」を明確にするための機能的なツールであることを改めて実感するな。
だが、今回はそうもいかないだろう。
先ほど、総務部長が社長に呼ばれ、ある特命指示を受けたらしい。
上層部およびコンプライアンス委員会は、今回の事態を重く受け止めている……とのこと。
『今回の攻略一課・神代焔主任の独断専行による被害は、受容限度を超過している。総務部において、社内規定に基づいた厳正な処分および、物理的・事務的な再発防止策を講じよ』とのご命令だ。
さすがに、焔は今回やり過ぎだ。
上司の指示を守らず、勝手な判断で周囲を巻き込み、多大なる迷惑をかけたのだから、相応の報いを受けることになるだろう。
「伊佐水くん、この件は君に一任します……。」
総務部長はハンカチで冷や汗を拭きながら、弱々しく俺に資料を手渡した。
くくく……ようやく書類上の大義名分ができたな。
彼女にはそろそろお灸を据えてやらないと、企業内で厄災と化してしまう。
そうなる前に、一度組織運営とは何か……教えてやらねば。
資料を早急に整えて、午後イチで彼女の下へ向かおう。
俺はそう決めると、すぐに探索調査部攻略一課の志村課長へ内線をかけた。
・
その日の午後。
焔は攻略一課の課長である志村の指示どおり、自分の席に座っていた。
と言っても、本当に座っているだけで、探索調査部の不穏な空気もどこ吹く風といった様子。
スマホをいじりながら、鼻歌まじりに昨日の渋谷ダンジョンの件に関するSNS投稿を観て笑っている。
そんな彼女の下へ、音もなく忍び寄る影がひとつ。
「神代主任……お疲れ様です。」
「う……わぁ!!」
突然、真横に人影が現れたので、焔は椅子から落ちそうになりながらも、持ち前の身体能力で持ち直す。
「ちょ……声かけるなら距離感があんでしょ!……って伊佐水……!?」
怒りに任せて相手を罵倒しようとした焔だったが、目の前に立つ人物が誰かを理解し、困惑した。
なぜなら、その男は渋谷ダンジョンの件で、現在進行形でてんてこ舞いになっているはずの総務部の男だったからだ。
「なんで俺がここにいるのかって顔ですね……。」
疲れた顔をしているくせに、何やら嬉しそうに笑う総務部の男に、焔は不気味さを感じざるを得ない。
そんな焔に対して、伊佐水はなおも優しげに笑いかける。
「渋谷の被害なら、すでに対処済みですよ。残すは必要な報告書を作成して、社長まで説明すれば終わりです。ですが、別の仕事を命じられてしまいまして……」
伊佐水は鼻を掻きながらそう言うと、2枚の紙を焔のデスクに置く。
伊佐水への警戒はそのままに、焔はその紙に目を落とす。
「ひとつは今月の給与明細(予定)です。人事部に言って急いで作ってもらいました。それと、もうひとつは"公共物への不適切な魔素汚染に関する報告書"です。特区管理局から出すように言われたので、作成しました。そこにサインをいただけますか?」
そう言われて簡単にサインする焔ではない。
資料の中身に目を通し、唖然として不服を申し立てる。
「ちょ……こんなの報告したら、私の公式ライセンスが……」
「そうですね。停止処分になるかもしれません。」
その事実に、探索調査部内に響めきが起きる。
だが、2人の口論は止まらない。
「それが何を意味するのか……あんたわかってんの!?私はこの会社のエースよ!?そのエースが仕事できなくなったら、会社にどれだけ損害を与えるかわかっ……」
「わかってますよ。わかってますが、今回の件はそれ以上に会社に損害を与えているということです。どれだけのものか……説明しましょうか?」
苛立つ焔に対し、伊佐水は冷静さを保ったまま、別の資料を取り出すと、その中身を呪文のように唱え始めた。
「まず、公共インフラの修復、自社機材の滅失、近隣商業施設の特殊洗浄など、物理的損害および修繕費用として約1億8,000万円。次に、休業補償、精神的苦痛に関する見舞金など、営業補償及び示談金が約3億5,000万円。環境汚染超過過料として約7,000万円。これだけで、ざっと6億円の損害です。……あとはこの件で駆り出された人件費と、微減ですが株価も下落したそうですので、もう少しいくか……」
その内容には焔だけでなく、探索調査部内が愕然とした雰囲気に飲み込まれた。
たかが魔物1匹を屠っただけで、中堅企業の年商に匹敵するキャッシュを失ったのだから、当たり前だろう。
絶望的な現実を突きつけられ、焔自身も言葉を失っているようだ。
伊佐水は彼女の様子を見て、小さくため息をつく。
「……とはいえ、あなたの言うとおり、エースのライセンスを停止させるわけにはいきません。この後、社長が今回の件に関する謝罪のために、特区管理局へ赴きます。そこで、あなたのライセンス停止について、陳情書を提出し、説得してくださるそうですよ。」
焔ほどの探索士は、なかなか居ない。
だからこそ、会社としてある程度の自由は許してきたのだ。
だが、それにも限度はあるのだということを、今回のことで理解してくれればいい。
伊佐水はそう思っていた。
「とりあえず、当分の間は土日にこの研修を受けてください。これは社長命ですから、心して受講するように……。」
伊佐水は、焔のデスクに『一般事務員向けマナー研修』と書かれた新人向けの研修案内を置く。
「それと、給与明細(予定)にも書いてますけど、会社に与えた損害分は分割控除していきます。6億円分……頑張って働いてくださいね。」
説明を終えた伊佐水は満足げに笑うと、放心している焔にサインを貰い、総務部へと帰っていく。
そんな彼の背中を、焔は呆然とした瞳で見つめていた。
・
さて、焔への通告も完了したし、残すは片桐千鶴子か。
一度、総務部へと戻った俺は、今度は千鶴子への通告を行うための資料を手に取った。
彼女の場合、焔の指示で魔物を屠っただけなので、特に厳重な処罰はない。
だが、焔の口車に乗せられてしまい、何も考えずに魔物を爆散させてことについては、多少の罰は与えておかねばなるまい。
現に、焔隊の他のメンバーには、始末書の提出と1週間の奉仕活動を命じている。
でもなぁ……彼女に関しては、これでお灸を据えられるか、甚だ疑問だ……。
そうは思いつつも、これはやらねばならないこと。
自分にそう言い聞かせて、俺は千鶴子の下へと向かった。
我が社の2階には、共用スペースが設置されたフロアがある。
働き方改革の一環で、社内では現在フリーアドレス化に向けたオフィス改革を推進している。
このフロアは、作業や打ち合わせが気軽に行えること、そして、それによる生産性向上を目的として設置されている。
そこに、片桐千鶴子はいた。
彼女は何やらパソコンを開いて作業中のようで、仕事熱心な一面を見て、俺は感心させられた。
真面目に仕事する姿勢……素晴らしい。
だが、彼女の後ろに回り込んだ俺は、その作業内容に愕然とする。
千鶴子は、"焔様の行動における黄金比率の分析レポート"と題し、よくわからない数値をグラフ化したレポートを、自主的に制作していたのである。
大きなため息が漏れる。
だが、それでも俺の存在に気づかず、千鶴子は作業に没頭している。
その集中力……できれば業務に回して欲しいものだな。
俺はわざと彼女の視界に入るように、"備品管理台帳"と重いタブレットをデスクに置いた。
「片桐さん……?」
「ん……?おぉ!伊佐水先輩ではありませんか!!」
俺に気づいた千鶴子は、手を止めて俺に敬礼を向ける。
軍隊ではないんだが……相変わらずマイペースな子だ。
「仕事中に申し訳ないね。君が昨日固定した『事象』のせいで、渋谷の街灯30本の所有権が一時的に不明瞭になってしまったんだ。この台帳とタブレットに記録されている全てのシリアルナンバーを照合(整理)してほしい。それが終わるまで神代主任との接触は禁止……志村課長からの指示です。」
彼女が焔崇拝者であることは、俺も知っている。
だから、彼女と接触を禁じたら怒るかもしれない。
その点が少し不安だったが、彼女からの回答は意外なものであった。
「これはもしや……焔様を守るための試練……! 伊佐水先輩、ありがとうございますっ!」
千鶴子は再び敬礼すると、何かを勘違いしたまま猛スピードで作業を開始する。
その様子を見て、俺はやはり大きなため息をついてしまった。




