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8 え?定時退社日?

その日の夜、各局のニュースは渋谷ダンジョン特区の件を報じていた。



「本日午後、渋谷ダンジョン特区にて攻略一課・神代主任率いるチームが多脚型魔物を討伐しました。しかし、討伐時の衝撃により、魔物の死骸が半径500メートルに飛散。渋谷駅周辺の商業ビルは現在、強烈な腐敗臭を放つ液体に覆われ、全面立ち入り禁止となっています。」



どの番組も、渋谷ダンジョン特区の話で持ちきりだ。


キャスターたちが起きた事件を取り上げて、コメンテーターたちが好き勝手に持論を展開している。


だが、驚いたのは彼女たちを非難する声もあれば、称賛する声も同じくらいあるということだ。


あれだけの惨事を起こしておいてなお、人気が衰えないというのも、なかなか凄いことだな。



「なかなかの反応ですね……。」



俺の横に座っていた凛子は、スマホを見ながらそう呟く。


どうやら、この件に関するSNSの反応を確認しているらしい。



「君がそう言うってことは……悪い方ではないってことか?」


「う〜ん……SNSの反応は……思ったより悪くはないです。焔ちゃんや隊員たちを称賛する声はけっこう多いので、会社の企業イメージはそこまで落ちてません。でもなぁ……」



その「でもなぁ……」は聞きたくなかった。


いったい何があるのか気になりはするが、余計な仕事が降ってきそうで怖い。


なので、俺はデスクに並んだ書類に目を通し始める。


まずは固定資産損壊報告書。


これは、ゲート付近に設置されていた検問用デバイスおよび広報用機材の損壊に伴う除却処理のためのものだ。


それと、第三者対物賠償示談書。


こっちは、渋谷駅周辺の商業ビル(計12棟)の外壁汚染に対する洗浄費用、および「緑の液体」による看板の腐食被害への損害賠償手続きに必要。


それに、立ち入り禁止となったエリア内店舗への、1日分の利益補償に関する営業補償契約書の作成や、特区法に基づく「環境汚染」事後届出……これは魔素を含む体液が下水道および土壌に流出した際の、環境省およびダンジョン庁への化学物質排出把握管理(PRTR)届出だ。



これはかなり地獄を見るな……。


山積みになった書類が、さらに山積みになり、そのショックから俺はガックリと項垂れた。



「先輩!!元気出しましょーーー!落ち込んでても仕事は終わりません!」



凛子にしてはもっともな事を言うじゃないか。


ゆっくりと顔を上げて凛子を見ると、相変わらず赤毛のツインテールが揺れるたび、大きな胸も……


っと……いかんいかん!


どうやら、かなり疲れが溜まっているようだ。


そんな邪心に囚われるとは、まったく俺としたことが……。



「そうだな。さっさと終わらせて早く帰ろう。」


「そうです!今日は定時退社日ですから!!先輩なら、ちゃっちゃと終わらせられますよーーー!」



定時退社日とは言うが、時刻はすでに20時を回っているけどな。


だが、彼女が分けてくれた笑顔と元気に感謝する。



「ありがとう……しかし、東條は帰らないのか?」


「帰る!?何をおっしゃいますか!!私は今から情報操作しないといけません!!」


「じょ……情報……操作……?」


「はい!!SNSの反応は悪くはないんですが、裏でデマを流してる奴らがいるんですよーーー!その対応を終わらせないと!」



なんでも、今回の件について『渋谷に酸性雨が降った』というデマを流している奴がいるらしい。


凛子はそのフェイクニュースへの対策として、気象庁および報道各社へ送る"魔素気化現象の技術的解説資料"を作成するんだとか。


彼女が何を言っているのか、俺にはさっぱりわからんが……。



「株価も微減してますしねーーー!!では先輩!また明日です!!」



凛子はそう言って、颯爽と総務部から姿を消した。


嵐のような彼女が去った後、総務部には誰もいない静けさだけが残っている。



「さて……まずは書類整理を先に終わらせよう……」



静寂の中、俺は再び手元の資料に目を落とした。





深夜2時。


メディアと野次馬が去り、渋谷の街は静まり返っている。


いくつかの灯りに照らされて、ところどころに見えるのは緑色に染まった建物や道路。


辺りにはもちろん人の気配は一切なく、まるで世界が滅んだような静けさが支配している。



そんな静けさを、大男の声が切り裂く。



「……おいおい伊佐水。これ、手作業でやってたら1年はかかっちまうぜ。あの嬢ちゃん、派手にやりすぎだろう。ビルのガラスにこびりついたこの粘液……酸性じゃねえか。」



回収班の鉄輪でも、この惨状には辟易しているようだ。


いつもはテキパキと動いている彼の部下たちも、今回は唖然としている者が多い。



「俺に言わないでください……まったく、彼女はいったい何がしたいんですかね。」



そんな本音が溢れるが、鉄輪は答えずに肩をすくめた。



「とりあえず、整理してしまいますので……」


「あいよ。俺たちの出番はその後だな。」



俺が準備を始めたので、鉄輪は部下たちに離れるように指示を出す。


彼らが移動し終えたことを確認した俺は、静かに目を閉じてスキャン(棚卸し)を行う。



(今回は範囲が広すぎて、【デリート(整理整頓)】じゃ到底及ばないな……。仕方ないが、【アクティブ(最適化)】を使うか……だけど、あれ疲れるんだよな。)



内心でボヤきつつ、自身の異能『万象整理』を最大出力で解放すると、街中に飛び散った数万個の"破片"と"液体"の座標が、脳内でインデックス化されていく。



(酸性の粘液……けっこう張り付いてるな。こりゃ、溶かさないように気をつけないと……。)



元通りに直しておかないと、後で賠償請求額が跳ね上がっても困りものだ。


俺は慎重に慎重を重ねて、"破片"と"液体"の物理法則を、"1箇所に集まるべき未整理のゴミ"として書き換えていく。


数分後、全ての書き換えを終えた俺は、静かに目を開く。



「アクティブ(最適化)……」



夜風が吹き荒れた瞬間、ビルに張り付いた液体が逆再生のように剥がれ落ち、空中で巨大な球体へと圧縮され始め、集まった液体は、鉄輪たちが用意した特殊なドラム缶へと分割されていく。


魔物の外殻の破片は、鉄輪たちが処理しやすい場所へと移動させ、重機による回収が進んでいく。


渋谷の街は、わずか数分で最初から何もなかったかのように清潔な街へと戻されたのだ。



「まったく……いつ見ても圧巻だな。」



驚きを口笛で表現する鉄輪に、俺はくすりと笑う。



「俺はこれが見たいがために、回収班を続けてるようなもんだぜ。」


「買い被りすぎですよ。」


「はっ……相変わらず謙遜の塊め。」



鉄輪が拳を向けたので、俺はそれに拳で返した。





「さて……ほぼ片付いたな。あとやる事で残っているのは……この状況の説明か。」


「……シナリオはこちらで準備します。鉄輪さんたちはゆっくり休んでください。」


「まっ、そうさせてもらうわ。週末の疲れも取れてねぇしな。」


「その節は、ありがとうございます。」



御礼を告げると、鉄輪は手を上げて応え、部下たちに撤収の合図を送る。


その傍らで、ふと彼が俺を見た。



「それはそうと、お前もちゃんと休めよ。目の下に疲れが溜まってるぜ?」


「そう……ですか?休んでるつもりですが……」


「お前はすぐに無理するからな。休んでるって言って、休まないのがお前だ……ったく、そろそろ良い嫁さんを見つけたらどうだ。ちゃんと健康に気を遣ってくれるパートナーが、お前には必要だと思うぜ?」



その言葉に、俺は肩をすくめる。



「まぁ……いれば……ですかね。」


「はぁ……そんなんだからお前は……まぁいい。今度うちに飯でも食べに来いよ。」


「それは……悪いですよ。」


「いいんだよ。うちの家内も子供たちも、お前と会うと喜ぶんだ。」


「……なら、今度時間がある時に。」


「おう……必ずな。」



鉄輪は、そう言って缶コーヒーを放り投げた。


「週末に約束しただろ」と。



深夜の渋谷で、俺たちは男同士で笑い合った。

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