20 追憶の40年
西新宿のキリュウ・グローバル(株)の本社ビルから数キロ離れた湾岸エリア。
そこに位置する巨大な要塞――それがキリュウ・グローバル・バイオテック、通称『KGB』だ。
ここでは、ダンジョンという超常の領域から得られるあらゆる資産を"市場"へと最適化するための、最先端の魔導科学研究が行われている。
その代表的な研究が、身体機能拡張である。
これは、ダンジョン内の過酷な環境に適応し、人間離れした能力を発揮する"探索者"たちの肉体メカニズムを解明・応用する技術であり、超一流シーカーの異常発達した動体視力、聴覚、および筋肉が駆動する際の神経伝達システムをデータ化し、なぜ常人を超えるパフォーマンスが可能なのかを分子レベルで分析している。
これらの研究結果がもたらすものは、"疲れにくい体"を作るサプリメントなど、いわゆる一般向けの健康食品。
中でも、特に売れ行きがいいのは、肉体疲労を極限まで軽減し、脳の処理速度を最適化する"魔素由来の次世代健康サプリメント"であり、キリュウグループの莫大な利益の柱となっている。
また、それ以外にも、生体データと同期し、シーカーの戦闘機動をアシストする最新鋭の強化外骨格や、ウェアラブルデバイスなどの探索者用DX装備の開発に加えて、ダンジョン内に生息する魔物の特異な生態組織を抽出し、既存の工業製品を遥かに凌駕する新素材へと作り変える"魔物素材の工業転用"技術なども研究されている。
もちろん、新宿ダンジョン特区の地下にある"メインターミナルパイプ"も、ここで研究された技術。
ダンジョンが内包する"魔素"そのものを安全にコントロールし、次世代のクリーンエネルギーや医療技術へと転換する技術である。
そんなキリュウ・グローバル(株)にとっての心臓と言っても過言ではない最高重要施設。
その施設で、重高度セキュリティに守られた最深部の分析室で、場違いなほどの豪快な笑い声が響き渡る。
「ガハハハ! なるほどな、森川! つまりこの灰は、ただの死体じゃねえ。最初から『消去』される前提で組まれた、使い捨てのプログラムだったってわけか!」
キリュウ・グローバルの最高経営責任者である桐生團十郎は、葉巻を加えたまま、強化ガラスの向こうにあるカプセルを見下ろして笑う。
カプセルの中に収められているのは、新宿ダンジョン最深部で伊佐水が回収してきた、あの「謎の女」のなれの果て――黒い灰。
「その通りです、社長! 正確に言えば、生体アセットの遠隔強制初期化と言えば、わかりやすいでしょうか!ああ、実に見事な、そしてゾクゾクするほど冷酷なシステム設計(仕様)ですよ!」
白衣を翻し、ステージの上の指揮者のように激しく身振りを手振りを交えて叫んだのは、KGB所長ーー森川剛、42歳だ。
ボサボサの髪に、四角いアセテート眼鏡。
彼は常にハイテンションで、自分の発明や研究が「どれだけ世界をひっくり返すか」にしか興味がない、絵に描いたようなマッドサイエンティストである。
森川は手元のホログラムパネルを高速でスワイプしながら、熱弁を振るう。
「彼女の骨格および残存する細胞データを復元したところ、我がKGBが誇る『身体機能拡張』の最高機密――探索者の異常発達した五感や筋力を人工的に再現するシナプス強化技術が、極めて歪な形でコピーされていました!それだけじゃない!彼女の筋肉は、人間の微弱な電気信号を外部からハッキング・同期させるための『受信機』として、遺伝子レベルで改造されていたんです!」
通常、KGBが行うオーグメンテーションは、一般人向けに"疲れにくい体"を作るための魔素由来サプリメントや、探索者の安全を守るDX装備の開発といった、持続可能な人類の拡張が目的である。
魔物の皮膚を応用した"超高耐久繊維"のスーツや、魔物の体液から精製した"超効率潤滑剤"の工業転用など、森川の発明は常に世界を豊かにしてきた。
しかし、ガラスの向こうにある灰は、その真逆。
完全に"戦うため、そして秘密を護るために使い潰すため"だけに作られた、非人道的なテクノロジーの塊であった。
「これほどの技術を裏で回せる資本など、世界中探しても片手で足りる。……名もなき投資グループ。やはり、あのドブネズミどもか……。」
部屋の壁際に立ち、目を光らせる男がいる。
高級な仕立ての着物に、重厚な羽織を纏った老人ーー鮫島道元、64歳。
現ダンジョン探索大臣であり、政府側からキリュウ・グローバル(株)の利権を監視、あるいは庇護する日本のダンジョン政策の最高権力者の一人だ。
鮫島は細い目をさらに細め、カプセルの中の灰を睨みつける。
「團十郎よ。品川、渋谷、そして新宿。これらは単なる一企業のテロ事件では済まされんぞ。国会でも、お前たちキリュウの魔素独占に対する風当たりは、日に日に強くなっている。奴らは我が国の"ダンジョン利権"そのものを、外資本の手で内側から買い叩くつもりだ。」
道元が放った"魔素独占"という言葉に、團十郎の笑い声がピタリと止まる。
部屋の温度が数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの、重苦しい沈黙。
森川は、そんな場の違和感をすぐに感じ取り、気配を消して自分の仕事へと戻っていった。
ガラス窓の向こうの赤い夕光を浴びながら、團十郎は葉巻の灰を静かに落とし、鼻から白い煙を吐き出す。
その顔には、先ほどまでの豪快な経営者のものではない、この国の"闇"を背負ってきた開拓者の冷徹な目が宿っている。
「……独占、か。お上の連中は、喉元を過ぎればすぐに歴史を忘れる。」
團十郎は吐き捨てるように呟いた。
その言葉には、深く重い、そして誰も反論の許されない絶対的なファクトが隠されている。
キリュウ・グローバルは、最初から利益を貪るために生まれた私企業ではない。
1986年ーーまだ世界がダンジョンという超常現象の正体を知らず、ただの"未曾有の災害区域"として恐れていた時代に、日本政府の超法規的な施策によって発足した"国家管理の安全対策法人"だった。
その後、異能者たちやダンジョン資源の有効活用と、より迅速な意思決定を目的として、1990年に"キリュウ・グローバル株式会社"へと民間商号に変更。
国が手を汚せない危険を全て引き受ける盾として、彼らはダンジョンの最前線に立ち続けてきたのである。
そして、1997年――あの大災害が日本を襲った。
深層から溢れ出た未定義の魔素と狂暴な魔物の群れにより、首都は壊滅の危機に瀕したのだ。
政府の機能が完全に停止し、官僚たちが右往左往する中で、命を賭してダンジョンの門を管理し、関東一円を物理的に救い出したのは、当時シーカーの先頭に立っていた團十郎であり、"キリュウ"の血を流した先人たちなのである。
「魔素の"独占"じゃねぇ。我が社が40年近く、命という最大の資本を投資し続けて築き上げた"安全管理のインフラ"だぜ。あの地獄を何も知らん若造議員どもに、利権などという安い言葉で片付けられては、割に合わん。」
鮫島大臣もまた、細い目をさらに細め、静かに深く頷く。
道元自身、若き日に團十郎と共にあの1997年の地獄を潜り抜けてきた男だ。
キリュウ・グローバル(株)の前身である国営法人の設立にも深く関わり、彼らがどれほどの血と泥を啜ってこの国の防壁となってきたかを、誰よりも理解している。
「分かっている。だからこそ、ワシがこうして大臣の椅子に座り、お上の暴走を抑え込んでいるのだ。キリュウが倒れれば、この国のダンジョン管理システムは1日で崩壊する……。」
道元は羽織の襟を軽く正し、冷徹な政治家の顔に戻った。
「だが、投資グループの狙いはそこだ。奴らは歴史も義理も人情も知らん。1997年のあの日、命を賭けて戦いもしなかった外資本のハイエナどもが、キリュウが築き上げたこの"完璧なシステム"の果実だけを、上前からはねのけようとしている。……これ以上の不愉快はない。」
「ガハハ! 言うようになったじゃねえか、道元!」
團十郎は再び、部屋の空気を一瞬で吹き飛ばすような豪快な笑いを響かせた。
先ほどの冷徹な眼光は消え、またいつもの不敵な社長の顔に戻っている。
「だったら話は簡単だ! 奴らがどれだけ間接的に仕掛けてこようが、キリュウの歴史の強さを見せつけてやるまでよ。KGBの技術、現場で奮闘するシーカーたち、そして、それを裏で支える人材。我が社の総力を以て、ドブネズミどもに"キリュウ"の力がどれほどか、その身に叩き込んでやる!」
團十郎は拳を握り締め、ガラスの向こうの黒い灰を睨みつけた。
40年の歴史、そして1997年の血の記憶。
それをただの数字で買い叩こうとする姿なき敵に対し、キリュウ・グローバルの巨大なカウンタープログラムが、静かに始動しようとしていた。
とりあえず、20話まで公開させていただきました!
意外と読んでいただけてるみたいなので、続きもしっかり描いていくぞとモチベアップです!(感謝〜)
ちなみに、ストックは少しあるので、定期投稿も検討中しています!伊佐水たちの物語を、ぜひ楽しんでいただければと思います。
引き続き、ご愛読のほど、よろしくお願いします!




